しばふ ねこ

個人的に「生きづら」と思った時に,コラム的なものを書いています。「お役に立てるものを!…

しばふ ねこ

個人的に「生きづら」と思った時に,コラム的なものを書いています。「お役に立てるものを!」と思いつつ,「いやいや,それはおこがましすぎでしょ」と思ったり,内的葛藤が大きい臨床心理士です。

マガジン

  • カウンセラーが自分に心理療法をかけてみた

    他人に勧めるなら,まずは自分で試すべし。 時々,有料記事になる可能性が高いです。

  • 過剰適応脱却のススメ

    「過剰適応」 大人の言うことをよく聞く「いい子」。 仲のいい友達で自分のステータスを確かめる。 空気は吸うものじゃなくて,読むもの。 「私」を作り上げて,そのうち「私」が壊れて,「私」を探し始めた人の話。

最近の記事

  • 固定された記事

「生きづらさ」を飼いならす

これは、10代半ばから,10年間死にたい気持ちを抱えていた人のnoteだ。 10年間,「死にたい」気持ちがあることが当たり前だと思っていたけれど,大学・大学院で,心理学の勉強をする中で,自分がどうやら「生きづらい」らしいこと,「生きづらい」考え方をしていることに気づいた。 それに気づくまで,心理学の勉強を始めてから8年間。 そこから,2年かけて「死にたい」はだんだん薄らいでいった。 「なんでこんなしょうもない世界のために,わざわざ痛い思いをして死ななきゃいけないのか?」

    • 今月も生理が来た-250円以下の私-

      私は、基本的にポンコツだ。コンビニで買ったおにぎりをポケットに入れたまま洗濯したり、3万円の入った封筒を落としてしまったり、ドアの鍵を開けようとしてSuicaを当てていたりする。 夫には「最高の面倒くさがり」と評価されている。畳んだ洗濯物をクローゼットに仕舞う様子を全く見せない私を見かねて、「ベッドの上に畳んだ洗濯物を置けば、さすがに邪魔だし、仕舞うだろう」と思ったところ、畳んだ洗濯物の上で寝始めるくらいには面倒くさがりである。 しかし、良いところもある「明るい」。 そ

      • カウンセリングと占い、どっちに行けばいいんだろう?

        行きつけの美容室の美容師さんに 「しばふさんの仕事と、占いって何が違うんですか?」 と聞かれた。 「占いとは違いますよ〜」とその場で答えたものの、 はて、何が違うのか、を改めてまとめてみようと思う。 先に申しておくと、私は占いが好きだ。 高校生の時に、受験というプレッシャーに負けそうになったときに、「占い師になろう」と、突然ひらめいて、数学の教科書から、タロット占いの本に切り替えて読み始めたくらいには、占いが好きである。 今でも、しいたけさんや石井ゆかりさんの占いを読ん

        • はじめに

          「カウンセラーが自分に心理療法をかけてみた」マガジンの説明  もし、自分が臨床心理士じゃなかったら、情報を選ぶことができただろうか?カウンセリングを受けることにしただろうか? …私は、おそらく、情報を選べなかったし,カウンセリングを受けなかったと思う。  「頑張らねば報われない」「努力が足りない」「自分が弱いのが悪い」と考えて,ひたすら自己啓発本を読み漁ったのではないかと思う。  そして,だいぶ,こじらせることになったんじゃないかと思う。  ずっと頑張り続けなきゃ報われ

        • 固定された記事

        「生きづらさ」を飼いならす

        マガジン

        • カウンセラーが自分に心理療法をかけてみた
          3本
        • 過剰適応脱却のススメ
          5本

        記事

          カウンセリングって、結局、何?

          前置き 正直なところ、5年前の自分は、まさか自分がカウンセリングをするようになるとは思っていなかった。 臨床心理士の中でも、カウンセリングとは関係のない分野で働いていた自分が、カウンセラーになる日がくるとは、全く考えてもいなかった。 自分はカウンセリングの仕事はすることはないだろうと思いながら、大学院で学んでしまったために、慌てて、カウンセリングについて学び直すことになった。 一方で、私自身がカウンセリングを必要としていた人だった。カウンセリングを受けるにはどうしたら

          カウンセリングって、結局、何?

          壮大なここだけの話

          新型コロナウィルスの影響で,私の働いているクリニックでは,密室空間で長時間会話をするのはリスクが高いということで,感染予防のために,カウンセリングをお休みにしている。 「こういう時こそ,むしろカウンセリングが必要でしょ?」と普通に考えたら思う人が多いんじゃないかと思う。 がむしゃらに「人を助けたい」と思っていた大学院生時代の私なら間違いなくそう思っただろうし,その時の私だったら「なんで,こんな時にやらないんだ!!」と院長にブチ切れただろうと思う。 だから,「カウンセリング

          壮大なここだけの話

          心が自由じゃなかった時

          常に私の心の中には監視役がいた。 あまり遅くまで出歩いてちゃダメ。夜遊びしちゃいけません。 いい年した大人になって、誰かに叱られるわけじゃないのに、私の中の監視役が家路へと急かした。 だから、楽しい飲み会に参加してても、ふと脳裏に「この時間は家にいないといけない」という考えがよぎる。 さっきまで夢中で味わっていた楽しむという感情が、罪悪感に変わって、私に襲いかかる。 もうそこから、私の注意は時計に持っていかれる。 帰らなきゃ、帰らなきゃ。 結局、「いい子」でいた

          心が自由じゃなかった時

          お姉ちゃんなんだから症候群

          子どもの頃,2歳下の弟のことがうらやましくて仕方なかった。 弟は,彼自身の欲求にとても素直だった。 宿題が嫌だったらそのプリントを破って,なかったことにするし, お菓子が食べたいと思ったら,母が戸棚の奥とかに隠していたポテトチップスを,恐るべき嗅覚で探し出してくる。 「食べる?」とニヤニヤしながら,私を共犯にしようとするのだ。 まぁ,もちろん食べたけど。 そんな感じだったので,弟はいつも母に怒られていた。 私は,そんな弟を見ていたので,母を怒らせないように,困

          お姉ちゃんなんだから症候群

          いいねができない

          私の中の何かが邪魔をする。 他人に「いいね」ができない。 なぜ、覗き見るだけ見て、「いいね」ができないのか。 そんなに更新されないのもわかってるのに、何回もアプリを開き、指が勝手にスクロールしているにもかかわらず、だ。 「羨ましい」と、「私だって」という気持ちがごちゃごちゃと絡まっている。 「他人に『いいね』ができないこと」は、その行為自体に、自分がべったりとへばりついてしまっている。 自分が誰よりも「いいね」されたい。認めて欲しい。 それは、他人に「いいね」を

          いいねができない

          ドトールはぼっち貧乏に優しい

          どこで学んだのかは忘れたが、 人間関係 2:6:2の法則を意識しながら生きるようにしている。 この法則によれば、他人は 2割の人は、私のことを絶対好き。 2割の人は、私のことを絶対嫌い。 6割の人は、どちらでもない。 らしい。 誰からも好かれなければ、がんばって良い人に、人格者にならねば!と何かに追われていた時期もある。 誰からも好かれる人格者になりたい、と願っていた中学生だった。 今、人格者になりたいと嘯く中学生が目の前に現れたら、微笑ましくて笑ってしまう

          ドトールはぼっち貧乏に優しい

          ヨガをすること

          私は1年前からヨガを習っている。 そこまで、真剣にやっているわけではないが、始めたきっかけは、「混乱した感情により、めちゃくちゃな選択をしてしまう時があって、それは損をしている気がする」と思ったからだった。 混乱した感情を扱えるようになるために、瞑想やら何やら、いろいろ試してはみたものの、一人でやるよりも、習った方が充実感がある、と思ったのだ。 そこで、選んだのが、ヨガだった。 周りの人からも、よく激昂し、泣いたり怒ったりで忙しい私に、「ヨガでもやったら?」と、勧めら

          ヨガをすること

          自分を生きることを始めてから、時間が足りない1

          時間が足りない。 気づけば他人の動向に振り回される人生だった。 mixi, twitter, Facebook,instagram これといった更新はないのに、開いては閉じて、開いては閉じて。 別に楽しくなるわけでも、幸せになるわけでもなく、むしろ羨ましいとか、もっと頑張らなきゃとか、全然がんばってないなとか、焦りだけが募るのに。 やめられないのだ。 そういえば、SNSが流行る前から、子どもの頃から、 こうしたほうがいいだとか、こうするのが正解、を、ずっと探して

          自分を生きることを始めてから、時間が足りない1

          自己犠牲の代償

          私は完璧主義だ。 (と、私よりストイックな方は溢れるほどいるし、そんな人に言ったら怒られてしまうだろうが) どのあたりでそういうのを感じるかというと、例えばこのnoteも、ちゃんとネタがあって、ちゃんとオチがあって、じゃないと書いてはいけないと思っている。 でも、今年は1週間に一回はアウトプットする、なんて目標も立ててしまった日には、もう自分の逃げ場はない。 どんなにつまらないものでも、オチがなくとも、書かねば。 これでも、だいぶ完璧主義は薄らいだ方で、以前は 「

          自己犠牲の代償

          自分のことを話すと泣いてしまうのは何故だろう:仮説編2

          さて,他人に自分のことを話すと泣いてしまう。 いい歳なので,結構,困っている。 google先生のご回答は… ①「過去の傷が癒えていないこと」 はて、過去の傷とは…? 勝手に癒えた気になっていたのだろうか? 私は,ある時を境に,我慢することをやめた(これについても別のnoteで書こうと思う)。そこからは,我慢せずにいろいろなもの,悪から善からそれはそれはいろいろなものを,外へと吐き出してきた。それで全て解決したと思っていたし,傷も癒えたと思っていた。 野ざらしの心はそ

          自分のことを話すと泣いてしまうのは何故だろう:仮説編2

          誰かの役に立たないと生きる価値がないのか?仮説編

          何をするにも、誰かにお伺いを立てている気がするし、 常に誰かが私の行動を監視している気がする。 それは、「悪いことしたら、お天道様が見てるよ」から始まったのかもしれない。 休むことは悪いこと、何もしていないことは悪いこと。 勉強してることはいいこと 働いていることはいいこと 家事をしていることはいいこと 学生として勉強して 社会人として仕事して 妻として家事して 親として子どもの世話をして という役割があれば、私は,生きていることを許される。 息をすること,を許される

          誰かの役に立たないと生きる価値がないのか?仮説編

          同窓会に行けない

          どうしても、いろいろ考えてしまう。 服買わなきゃとか、美容室行かなきゃとか、マツエクつけなきゃとか。 そんなことどうでもいいのに、と思いつつ、できるだけ綺麗に見せたい自分がいる。 その結果、いろいろ考えることがめんどくさくなって、行くこと自体やめちゃえばいいんだ!って思う。 たぶん、自分が何かを成し遂げてないことが嫌なのだ。それを露呈してしまうことが怖いのだ。 誰も私が何かを成し遂げたかどうかなんて、興味がないことは重々承知だ。 それでも、頭の中では誰かに「すごい

          同窓会に行けない