壮大なここだけの話

新型コロナウィルスの影響で,私の働いているクリニックでは,密室空間で長時間会話をするのはリスクが高いということで,感染予防のために,カウンセリングをお休みにしている。

「こういう時こそ,むしろカウンセリングが必要でしょ?」と普通に考えたら思う人が多いんじゃないかと思う。
がむしゃらに「人を助けたい」と思っていた大学院生時代の私なら間違いなくそう思っただろうし,その時の私だったら「なんで,こんな時にやらないんだ!!」と院長にブチ切れただろうと思う。

だから,「カウンセリングを延期します」と,クライエントの皆さまに告げる時に,がっかりされるんじゃないか,怒っちゃうんじゃないか,泣いちゃうんじゃないか,とかヒヤヒヤしながら受話器を取った。


しかし,クライエントの反応は意外なものだった。
「こういう時期ですから,仕方ないですよね」
「大きな声では言えないけど,実はむしろ元気なんです」


カウンセリングに来る人々は,他人の言うことをよく聞く(時に,聞きすぎてしまう)「いい子」であることが多い。
「他人の要求に応えられない(と思う)自分」に苦しんでいる。
「無理ができなくて体調を壊した自分」をダメな人間と思っている。
「何もできない」自分を人間として欠陥がある,と思っている。

新型コロナウィルスによる不要不急の外出自粛により,「外出すること」,「人と関わること」がむしろ推奨されない状況であることは,彼らにとってどうやら「今,無理して動かなくていい」という安心感を少しだけもたらしているらしい。


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ウィルスは人を選ばない。誰にも発症する可能性がある。
つまり「うつ病」だろうが,何だろうが関係なく,「とにかく,皆,家にいろ」という状況が,彼らの心をほんの少しだけ軽くしている。


日本では未だに,「精神科」に対して差別があると思う。
風邪ひいて病院に行った時と同じテンションで「ちょっと精神科行ってきたんだー」とは言いづらい風潮が絶対にある。

それは,いわゆる「心の病」は,一部の”弱い”人間が発症するものという偏見があるからじゃないかと思う。

偏見とは,合理的根拠がないのに,特定の個人や集団に対して抱く,感情的で固定的な態度を指す。そして,正しい知識が与えられても即座に解消するものではない。

「うつ病」患者自身も,「心の病」に対する偏見を持っていて,「自分は弱いダメな人間」と強く思ってしまうので,余計に拗れてしまうこともある。

本当に”弱い”人間が心の病にかかりやすいのか?
逆に考えれば,人は強いままでいられるのか?

これまでと「同じ」ように生活ができなくなった今,気持ち的に全く影響なく過ごせているという人がどれだけいるだろう?
「いつまで続くのか?」「安心して過ごせる生活は戻るのか?」など,多少なりとも,不安は抱えているのではないだろうか?
その時,多くの人は,不安を解消しようとする行動を取るのではないだろうか?

「うつ病」患者の多くは,自分一人で解決しようと,誰かに助けを求めず,自分自身で頑張ってしまう傾向がある。彼らは,誰よりも「強く」いなきゃいけないと考えている。

そんな,一人で生きる「強さ」をひたむきに求め続けた彼らの身体は,先に限界を迎えて,「強く」いられなくなったときに,彼らの心からのSOS信号として,うつ病の症状が現れる。

「弱い」のではなく,誰よりも真面目すぎるのだ。
「弱い自分であること」の不安を解消するために,自分の首を締めていく。

「弱い人間が精神科にかかる」と言っている人間に限って,自分にめちゃくちゃ甘かったりするのだ。

そして、現在のどこもかしこも不安定な状況では、これまで他人に自分の機嫌をとってもらっていた人が、必要以上に不安になって、うろたえて、怒りを撒き散らしたりしていて、
むしろ、うつ病の人々の方が、冷静で、自分の気持ちを強く保てているんじゃないだろうか?という仮説である。

「『何もしてないから疲れないでしょ?』っていうけど、目的もなく、何もしないで家にいるっていうのが、どれだけストレスで、辛いことか気づいたらいいですよ」
いつも泣いている子が、「まぁ、冗談ですけどね」と言いながら、ちょっと笑っていた。

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コロナ禍により,皆「いつもの生活」を変えざるを得なくなった。
そして,仕事や学校で出勤や通学をするよりも,命の方が重要であることを突きつけられている。

それは,これまでの「何かをしていなければならない」という価値観を大きく変えることになるだろうし,命より大事なものはない,ということが共通認識になったことで,ほんの少し,安心できている人たちがいる。

この状況が落ち着いた頃に,
一人でストイックに頑張ることをとにかく推奨される社会から,
肩の力の抜いて,人に頼ることが当たり前の社会になれば,
皆,生きやすい社会になるんじゃないかと思う。











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