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海賊ブラッド外伝(2)~宝物船サンタ・バルバラ号

 大きな企てを計画する能力、例えば好機を察知する勘や、その好機を如何にして掴むかを考え出す才覚ほど人の真価を示すものはない、というのがキャプテン・ブラッドの持論だった。

 かの素晴らしきスペイン船シンコ・ラガス号を己が物とする際に、確かに彼は優れた才覚を見せ付け、そしてその雄大な船を彼から奪おうとした狡猾な海賊キャプテン・イースタリングの計略をくじく事によって再度その才を発揮していた。

 一方、ブラッドとシンコ・ラガス号の危機一髪の逃亡は、トルトゥーガ水域には自分達にとって安全な場所は存在せず、バッカニア(海賊)達には信頼が置けないという事実を仲間達にも完全に理解させる事となった。その日の午後、中部甲板で行われた会議において、ブラッドは至極単純な哲学を開陳した。即ち、攻撃を受けたならば、戦うか逃げるかの二つに一つであると。

「そして我々は攻撃されたとしても戦う訳にはいかないはずだ。他日において己が勇者である事を証明する為に生き残ろうとするならば、今は臆病者の役割を引き受けねばなるまい」

 仲間達も彼と意見が一致した。しかし逃亡という結論が採択されたものの、何処へ、という問題が依然として残されていた。目下の処、全てに優先するのはトルトゥーガ島周辺を離れて、予測されるキャプテン・イースタリングの執念深い追跡から逃がれる事であった。

 かくして次の晴れた月のない夜に逃亡は決行される事となり、かつてはカディス造船所の誇りであった巨大なフリゲート艦は、さながら極秘の軍事行動に向かうかのように静かに錨を上げた。岸から吹く微風を帆に受け、干潮に助けられてシンコ・ラガス号は沖に出た。仮にウインドラス(揚錨機)のきしみやチェーンのがちゃつき、滑車の立てる音によってイースタリングが乗るボナベンチャ号に彼等の行動を察知されたとしても、一鏈(約185m)という距離が開いていてはイースタリングにはブラッドのもくろみを邪魔立てする事はできなかった。

 彼のガラの悪い乗組員達の少なくとも四分の三が陸上の居酒屋におり、そして残りの手下達はシンコ・ラガス号の人員に比して二対一の劣勢とあっては、イースタリングも出航しようという気は起こさなかった。とはいえボナベンチャ号の乗組定員である二百名が乗船していたとしても、イースタリングとしては問題なく出航できるという訳ではなかった。トルトゥーガ水域において、彼は密かに策略を用いてシンコ・ラガス号の所有権を得ようと試みたが、しかし向こう見ずな彼にしてさえ、このような保護区域で、特にフランス領総督ムッシュー・ドジェロンがブラッドとその仲間の逃亡者達に肩入れしているように思える状況では、暴力的にあの船を奪取するのは考えられぬ事だった。

 だが外海上でならば話は違ってくる。シンコ・ラガス号を手に入れた顛末を後日どう説明しようとも、その話に異を唱える事ができる者はケイオナには一人としていないのだ。

 そのような訳で、キャプテン・イースタリングはピーター・ブラッドの出発を妨げず、彼等の好きにさせておいた。そしてシンコ・ラガス号が去った後も、彼は格別慌てた素振りは見せなかった。イースタリングは余裕をもって準備を整え、翌日の午後まで錨を上げようとはしなかった。彼はブラッドが必ずや選択したであろう方角を推理した己の判断を信じており、ボナベンチャ号の速度ならば目標が決定的な距離を稼いでしまう前に追いつける自信があった。彼の推論は充分に抜け目のないものだった。シンコ・ラガス号が長い航海を行うのに必要なだけの食料を積んでいない事は知っていたので、彼等が直接ヨーロッパに向かう可能性は除外してかまわなかった。

 あの船はまず最初に長旅の準備を整えるはずであり、その際ブラッドは英国領やスペイン領に近寄る危険は避けて、残る選択肢である中立のネーデルラント植民地のどれかに向けて舵をとるだろう。そしてまた、経験豊かな水先案内なしでバハマの危険な砂洲の中を進むような無謀をブラッドが行う可能性も高くはなかった。よって、ブラッドの目的地はリーワード諸島のシント・マールテンかサバ島、あるいはシント・ユースタティウス島であろうという推論は容易だった。そのように確信したイースタリングは200リーグの距離を稼いだブラッドがそれらのネーデルラント領に入る前に追いつく為、イスパニョーラ島の北岸に沿って東へ進むコースにボナベンチャ号の舵をとった。

 しかしながら、事はイースタリングの想定ほどには単純にいかなかった。初めは好都合だった風が夕方には東に方向を変え、強さを増して一晩中吹き続けた。そして夜明け――不穏な朝焼けに染まった荒れ模様の夜明け――ボナベンチャ号は目標に近付くどころかコースを数マイル外れて漂流していた。それから正午近い時刻には南風に変わり、今までよりも激しく吹き始めた。その風はカリブ海に嵐を呼び、船全体に叩きつけ波の谷から頂上へとボナベンチャ号をコルク栓のように放り上げる波に対して、帆を全て降ろしハッチを当て木で密閉して対抗し、二十四時間耐え続けた。

 頑強なイースタリングが、ふてぶてしい戦士であるだけでなく熟練した船乗りでもあったのは幸運だった。彼の手馴れた指示の下でボナベンチャ号は無傷で苦境を乗り越え、ようやく嵐が過ぎ去って風が南西からの間断ない微風にまでおさまった時、追跡は再開された。帆を全て広げたスループ帆船は嵐の名残でうねる海原を飛ぶように進んでいった。

 イースタリングは、このハリケーンが自分達を遅らせた分、シンコ・ラガス号も遅れているに違いないと指摘して手下達を鼓舞した。実際、元スペイン海軍のフリゲート艦を操縦しているのが未熟な船員達である事を考えれば、ボナベンチャ号にとって嵐が好都合に働いた可能性は大いにあった。

 嵐が彼等の為に何をしてくれたのかは翌朝発見したもので明らかになった。エンガニョ岬沖で一隻のガレオン船を見つけた時、遠目で見た彼等は当初、自分達の探していた標的ではないかと考えたが、しかし間もなくそれは別の船である事が判明した。その船がスペイン船であるのは傑出した造船技術によってのみならず、メインマストのクルシフィクス(キリスト受難像)の下に翻るカスティリャの旗でも明らかだった。メインマスト(大檣)のヤード(桁)では全ての帆が畳まれており、フォアスル(前檣帆)、ミズンスル(後檣帆)、スプリットスル(斜桁帆)だけを広げ、左舷方向からの風を受けて、その船はモナ海峡に向かってぎこちなく不器用に進んでいた。

 部分的に損傷しているその船の姿は鹿の姿を目にした猟犬のようにイースタリングを刺激した。差し当たりシンコ・ラガス号の探索は忘れられた。目の前にもっとお手軽な、弱った獲物がいるのだ。

 彼は船尾楼から急いで指示をがなりたてた。それを受けて、熱気を帯びたスピードで甲板は片付けられ、これから行われる戦闘によって打ち落とされるかもしれないスパー(円材)を受け止める為のネットが船首から船尾へと広げられた。イースタリングの副長であり、船を操縦する事とカットラス(舶刀)を振り回す事以外に能のないチャードという短躯で屈強な男が舵輪を取った。各々の持ち場でガンナー(砲手)達はタッチホール(点火口)から鉛のエプロン(火蓋)を取り除き、戦闘開始の合図に備えてマッチを擦った。イースタリングの乗組員達が通常時にあって如何に無法な手に負えぬ連中であったとしても、いざ戦いとなれば、彼等は自制の必要性を理解していた。

 船尾楼上で用心深くスペイン船を観察していたバッカニア・キャプテン(海賊船長)は素早く視線を下方に向けると、甲板上で攻撃態勢を整える為に小走りに急ぐ敵兵達の様を小馬鹿にしたような目で確認した。彼の経験を積んだ両目は一瞬にしてその船の直近の航海歴を読み取り、眼下のホイップスタッフ(舵棒)脇で待機しているチャードに向かって耳障りなしわがれ声で自分が見たものを告げた。

「ハリケーンに捕まった時、あの船はスペインに帰る途中だったらしい。メインマストが裂けて、他にもあちこち損害が出たんだろうな、修理の為にサント・ドミンゴに引き返してた訳よ」イースタリングは含み笑いをすると、濃く黒い顎鬚を撫でた。彼の大きな赤ら顔で不敵な目が邪悪にきらめいた。「帰投中のスペイン船だぞ、チャード。あの図体の中にはお宝が詰め込まれてるはずだ。神様、俺達にも、ようやく運がめぐってきやがったぜ」

 彼の読みは当たっていた。イースタリングのスループ帆船ボナベンチャ号はカリブ海における真の獲物に挑むに適さなかった。これは彼の長年の不満であり、彼がシンコ・ラガス号を手に入れようとやっきになる本当の理由だった。あの船が損傷しており、ボナベンチャ号の横腹に砲を向ける位置に操船不能な状態でなければ、彼は決して重武装のガレオン船を攻撃する事はなかっただろう。

 スペイン船は右舷船尾部からボナベンチャ号に向かって砲撃したが、それが自らの破滅を決定付けた。正面から接近するボナベンチャ号に対してはほとんど狙いを付ける事ができず、フォアキャッスル(船首楼)に命中したラウンドショット(鉄塊弾)一発を除けば全く損傷を与える事はできなかった。イースタリングは報復として、高く狙いを定めた船首砲からの攻撃でスペイン船の甲板を掃討した。次に体勢を変えようとするスペイン船の不器用な試みを機敏に避けると、ボナベンチャ号は敵船の射程距離外に移動した。もつれた索具がガラガラと鳴ってきしみながら落ちる音、木材の裂ける音、折れたスパー(円材)の立てる騒音、そしてスペイン船を固定する為に投げ込まれたグラプネル(四爪錨)が船材を噛む重い衝撃音の中を、固く結び付けられた二隻の船は風下へと流れて行き、その間、巨漢のイースタリングに率いられたバッカニア(海賊)達はマスケット銃を一斉射撃してからスペイン船のブルワーク(舷檣)に蟻のように群がった。緩い革のブリーチズ(膝下丈ズボン)を身につけた二百人の暴漢達の内、何人かはシャツを着ていたが大半の者は上半身が裸のままであり、その日焼けしたむき出しの筋肉が彼等を一層恐ろしく見せていた。

 それを迎え撃つコルスレ(胴鎧)とモリオン(軍用兜)で身を固めた五十名のスペイン兵は、彼等を指揮する羽飾り付の帽子をかぶった精悍な士官と共に、冷静にマスケット銃を構えてガレオン船の中部甲板上にパレードよろしく並んでいた。

 士官が命令を下し、一斉に発射されたマスケット銃が襲撃を一時的に食い止めた。それから巻き込む波のように海賊の集団がスペイン兵に襲い掛かり、この船、サンタ・バルバラ号は奪取されたのであった。

 恐らくはこの時代この海上において、イースタリング本人と彼がキャプテンたる己の残忍性を基準に選んだ乗組員達程、残酷で無情な男達はいなかっただろう。彼等は獣のようにスペイン兵を虐殺して死体を船外に放り捨てた。そして下の主甲板にある大砲の要員にも、この不幸な者達が命だけは助かるのではという虚しい希望から易々と降伏したにもかかわらず、全く同じように残酷な対処をした。

 サンタ・バルバラ号に侵入が開始されて10分も経たぬ間に、本来の乗組員達のうち命ある者は、イースタリングのピストルの台尻で気絶させられていたキャプテンのドン・イルデフォンソ・デ・パイバ、航海士、そして搭乗された時には檣頭に上がっていた四人の甲板員だけになっていた。これらの六名を生かしておく理由について、イースタリングは彼等が役に立つであろうからと説明した。

 手下達がシュラウド(横静索)を解き必要な修繕をする作業に追われている間に、バッカニア・キャプテン(海賊船長)はドン・イルデフォンソに対面して自分の捕虜について調査する仕事にとりかかった。

 弱々しく、蒼ざめて、額にピストルの台尻で殴られた際の瘤をこしらえたスペイン人は、広々とした瀟洒なキャビンで手首を縛られたまま荷箱の上に座らされていたが、しかし厚かましい海賊の面前でカスティリャ紳士にふさわしい傲慢な態度を保とうと努力していた。とはいえ、それも彼を見下ろしたイースタリングが拷問で口を開かせるぞと恫喝するまでだった。かくして、抵抗の空しさを理解しているドン・イルデフォンソはそっけなく海賊の質問に答えた。その答えから、そして続いて行われた取り調べから、イースタリングは自分の捕虜には期待以上の値打ちがある事に気付いた。

 彼の手の中に――この処は幸運とはすっかりご無沙汰であった手の中に――落ちてきたのは、フランシス・ドレイクの時代から全ての海のならず者達が夢見た獲物の一つであった。サンタ・バルバラ号はポルト・ベリョから出港した宝物船であり、パナマ地峡の向こう側で積み込んだ金と銀を満載していた。この船はスペインに向かう前に、食料を補充する為にサント・ドミンゴに立ち寄ろうと三隻の強力な戦艦に護衛されて航行していた。しかしカリブ海に押し寄せた先日の嵐で友軍の船から引き離され、メインマストを損傷したこの船は強風によってモナ水路まで流されてきたのであった。サンタ・バルバラ号はそこで護衛船団と再び合流するかスペインに向かう別の艦隊を待つ為に、どうにかしてサント・ドミンゴに引き返そうとしていた処だった。

 イースタリングが抜け目なくインゴットを検分してみた結果、この船に積み込まれた宝物は8レアル銀貨に換算して二十万から三十万の間という処であった。これ程の戦利品は彼の海賊人生で二度とは巡ってこないだろう、これは彼自身と彼と船旅を共にした者達にとって大出世を意味していた。

 巨額の宝を得た事によって、今や必然的に不安がついて回る事となった。そしてイースタリングにつきまとう不安が、この戦利品を可能な限りの全速力で安全なトルトゥーガ島に運ばせようと急かしていた。

 スペイン船の宝を護らせる為に自分のスループ帆船から二十名程の手下をプライズクルー(捕獲船回航員)に回したイースタリングは、自分自身もその船に乗り込んだ。宝の傍を離れるのは耐えられなかったのだ。それから大急ぎで被害箇所を修繕すると、二隻の船は連れ立って航海を始めた。良好とは言えぬ風向きの中を扱い難いサンタ・バルバラ号はゆっくりと進み、彼等が再度ラファエル岬を真横に見たのは正午を過ぎた頃だった。イースタリングはイスパニョーラ島が近い事に不安を感じ、それゆえに広範囲を見渡して確認する事にした。彼等の視線は外洋に向けられ、そしてサンタ・バルバラ号のクローネスト(檣頭見張台)から大声が上がると、一瞬の後には見張りが発見した物体を全員が目にする事となった。

 そこに見たものは、2マイルと離れぬ先のラファエル岬を回ってきた、そして彼等に向かってほとんど一直線の進路をとっている、全ての帆に風をはらませた巨大な真紅の船体だった。肉眼だけでは信用できず、イースタリングはすぐさま望遠鏡で確認した。あの船はシンコ・ラガス号だ。俺が焦って船を出したのも、元はといえばあいつを追いかける為だった。

 事実としては、丁度サマナ付近を航行していた時に嵐に襲われたシンコ・ラガス号が航海長であるジェレミー・ピットの判断によって避難所を求めてサマナ湾に進路を向け、岬の陰に隠れて強風をやりすごしていたのであった。

 イースタリングにとってはそれが如何なる経緯で起こったのかはどうでもよく、シンコ・ラガス号の突然の、そして予想外の出現を、これまではあまりにも彼につれなかった幸運の女神が遅ればせながらの大盤振る舞いで埋め合わせをする気になった印であると解釈した。あの頑丈な赤い船に彼自身とサンタ・バルバラ号の宝物を乗せて速やかに母港に帰れ、というのが幸運の女神の思し召しに違いない。

 あれ程の重装備の艦船でありながら極めて人員が乏しいシンコ・ラガス号に対しては搭乗戦術を仕掛けるのが常道であり、制圧に手間取るとはキャプテン・イースタリングには到底考えられなかった。まして操船術を心得た男に指揮されたボナベンチャ号に対して、相手は医者崩れに従うにわか船員どもなのだ、赤子の手をひねるようなものである。

 そこでイースタリングはボナベンチャ号のチャードにこの楽勝な作戦についてシグナルを送り、これまでも夥しい戦闘を経験してきた男であるチャードはいそいそと指示に従い、舵輪をとると手下達に持ち場につくように命じた。

 ピットによってキャビンから呼び出されたキャプテン・ブラッドは、船尾楼に登ると望遠鏡を手にして最早お馴染みとなったボナベンチャ号の動きを一通り観察した。ブラッドはその意味を完全に理解していた。彼は確かに外科医ではあるが、しかしチャードが拙速な判断をしたような素人船員などではなかった。医学を放棄して波乱の日々を過ごしていた頃、彼はデ・ロイテル提督の下でイースタリングの考えも及ばぬような戦術について学んでいたのである。彼はまごつく事はなかった。かの偉大なる海軍提督の下で彼が如何に有益な事を学んだかを、あの海賊達にこれから見せ付けてやるのだ。

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