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『千夜千字物語』その29~記憶障害

ガラリアグループの会長が亡くなった。
尊敬する最愛の父を失った哀しさに、
息子のトムは酒浸りになっていった。

ある日トムは、ソファから飛び起きて
辺りを見回していた。
その様子を見て妻のアンは、
最近覚えてないことが多くなったから
病院で検査を受けてきて、
疲れたのかそのままソファで横になってたと告げた。
そして診断の結果は記憶障害で、
おそらく父親の死がストレスとなっているから
しばらくは家で療養をしたほうがいいと医師に言われたと。
初めは信じられなかったが、
医者がそう言うのならと受け入れた。
仕事から離れ、
人と関わるのもストレスになるだろうからと
電話や訪問はすべてアンと家政婦で対応し、
トムの療養を万全のものにした。

トムは一日のうち3度ほど覚えてない時間があった。
「先ほどケーキを買ってきたら
 すごくおいしそうに食べてらしたわ。
 それも2つも」
テーブルのお皿を見ながら
アンはトムにそう言った。
「そうだったんだ。
 そう言われれば口の中に
 ほのかに生クリームの味が残ってる」
トムはそう言って笑った。
こんな風にアンはトムの抜けた記憶を
こまめに埋めていき、
そんなアンにトムはいたく感謝していた。

ある日アンが出掛けた先で
交通事故に巻き込まれたと連絡があった。
それを聞いたトムは病院に行くと言ったが、
「幸いにも命に別状はないとのことなので、
 私が代わりに行ってまいります」
と言って、家政婦が病院に向かった。

トムは心配で居ても立っても居られなくなり
家を飛び出した。
教えられた病院に着くと受付でアンの病室を尋ね、
病室へと向かった。病室のドアを開けようとすると、
「ダメよ!」
アンの大きな声が聞こえた。
何を話しているのかトムは耳を澄ませた。
「それでも奥様…」
「時間がないの。
 もう睡眠薬も少しずつ聞かなくなっている。
 今日やるしかないの」
「でも私に人殺しなんて…」
「一生遊んで暮らしても
 使い切れないくらいのお金が手に入るのよ」
家政婦はしばらく考えて
「なんとかやってみます」
二人の会話を聞いたトムは耳を疑ったが、
どうであれ命を狙われている事実を受け止め、
急いでタクシーで家へと向かった。
「きっと薬を飲ませ寝ているうちに殺して、
 自殺にみたてようとするのだろう。
 薬は飲むふりをして、
 隠しカメラで証拠を撮ろう」
そうこう考えているうちに家に着いた。
トムは車を降りると辺りを見回して、
「早く病院へいかないと」
そう言ってタクシーに乗り込んだ。

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