2014年1月23日の雑文

 

 何もする気が起きない。どこに行きたくもない、何もしたくない。完全に僕は疲れ果てている。呼吸や鼓動をする気力さえない。僕の頭は長い間地の底で眠っていたゾンビよりもおびただしく腐れ果てている。

 僕は何一つとして知らない。いや、正確に言うと必要なことしか知らない。美のこと、真実のこと。それからちょっとの光り輝く何かのこと。それぐらいしか僕は知らない。「それを知らないと生きてはいけないということ」しか僕は知らないのだ。それを知らなくても生きていける人間がいることは知っているが、それらの人間は僕ではないので関係ない。


 僕は大海原に浮かべられたイカダで大陸を目指す哀れな漂流者のようなものだ。しかし偉大なホメロスの荘厳なオデュッセウスという叙事詩の主人公も漂流者である。ろくでもない神様どもが人々を駒として行ったチェスとしてのトロイア戦争…。並みの詩人であればその戦争を描き終えた時点で筆をおくに違いない。筆をおいて、原稿を出版社に渡して、それからエーゲ海に浮かぶ無数の島の内のひとつでバカンスとしけこむに違いない。しかしホメロスは違う。我々美を愛するものの祖先であるところのこの偉大なるホメロスはその「後」を描いたのだ。戦争から帰ってくる男のことを。思えば偉大な小説家はみんな何がしかの戦争から帰ってきている。ポエニ戦争、レパノンの会戦、WW1、ww2… 誰も戦争から帰ってくるものに目をむけることはなかった。華々しく戦功をあげた指揮官か、仲間のために尊い命を落とした特攻隊長、そんなもの以外には人々は目もくれないのだ。僕もささやかながら何かに立ち向かっていった軍人と言える。何と戦ったのかということは秘密主義者だから言わない。気になるなら便宜的にドラゴンとでも戦って思ってくれてかまわない…。誰にも省みられなかったものの戦いは終わり、僕は故郷へと帰ろうとしている途中なのだ。命からがら戦場から逃げ帰り、港町で梅毒に怯えながら日銭を稼いでなんとか船に乗り込み、しかしそれが難破して猿と山羊とやしの木が我が物顔をふるう無人島にながれつき、うじしらみと格闘しながらなんとかこしらえあげたいかだで僕は漂流しているのだ。どこを?もちろん海を。見渡す限りエメラルドの大海原を。かもめは風に乗って西北へと飛んでいき、太陽は惜しげもなく光を海に注いでいる。水平線の巨大な雲は亀のようにゆっくりゆっくり移動して、足跡としての千切れ雲を残していく。あるいはそれは雲の糞なのかもしれない。

 こんな陰鬱な文章はヘンリー・ミラーの影響である。また僕は性懲りもなく奴の文章を読んでいるのだ。以前にヘンリー・ミラーを読んでいたのは夏のことであった。ぎらぎらと照りつける夏の太陽。僕は陽の光をさえぎることができるようなものを探して街を探し回り、そして最終的に広範囲に枝葉をしげらせている大木を公園で見つけることができた。地面にはたっぷりと影がなげかけられ、そしておあつらえむきにそこにベンチがすえられていた。ベンチは3つあって、1つにはおばさんが2人座ってお菓子を食べていた。僕はおばさんたちのベンチの隣に座った…彼女たちは見事に真ん中のベンチにどっしりと5・6個ほどは胎児をくぐりぬけさせたと思われるヒップを根付かせていたからだ。…僕はそこで休憩し、マルーシの巨像を読んだのだ。シャツは汗でびしょびしょになっていて、ひどく不快であった…

…ちなみにこの文章は真実よりも美を優先したいい例である。…細部は全然違う。大きな木なんてなかったし、新宿中央公園にいきついた時にはもう陽は大分落ちて涼しくなっていたから陽をさえぎるために歩き回っていたわけではない…。おばさんはいたと思うが、ほとんど印象には残っていない。僕は要するに文章のリズムのために事実をねじまげたのだ。…しかしそれは悪いことだろうか?言い忘れていたが僕はヘンリー・ミラーとは違って美を非常に大切にするのだ…。だって僕の人生経験なんてものは鼻くそみたいなもので、彼には全くかなわないのだから…

 これは回復のための文章だ。実際、文章を書くことによって僕の金玉から十二指腸までを厚く厚く覆っていたメランコリーの雲を大分晴らすことに成功した。こと憂鬱に関しては剣よりもペンが強いと僕は思う。どうしもない神経症に悩んでいる場合、いくらいけすかない税理士をバケツ一杯分ほど日本刀で八つ裂きにしても、一時的に気分はすっきりするにせよ、総じて憂鬱は深まるばかりだからだ…


 しかし文章はまだ何とか書けるにしてもそれを筋書きに乗せることができない。やはり面白い小説を書くためには筋書きは必要となってくる。ミラーではなくドストエフスキーを目指すのなら特に…。ああ、僕はドストエフスキーのような小説が書きたい。あの癲癇症に苦しんだモスクワの男よりもさらに美的で、面白く、そして現代的な…。ああ!なんて俗悪なんだ!

 僕は何も知らない。一人では肛門にこびりついたコーンのかすをぬぐいさることすら出来ない。金を借りることはできるにしても返すとなったら全く駄目になる。僕の信用はレバノンの森のごとく焼き払われた。フンババは泣き崩れ、エンキドゥは勝どきをあげる。しかし結局は全て無に帰るのだ…

 あまりに無軌道に文章を書きすぎた。一旦区切りをつけよう…


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