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#名前の由来

小学生のとき、自分の名前の由来について、親に聞いてくるように宿題が出た。そんな小さい頃なら、同級生たちは「え~何だろう~」などと口々に言い、親の回答を楽しみにしただろう。私はすでに母から散々に聞かされていたため、そのくだらない宿題には、心底うんざりした記憶がある。

仕事柄、母の交友関係は広い。自然と私も小さい頃から色んな知り合いに可愛がられた。大人になって地元に帰っても、気が付けば母はいつも誰かと電話をして、大きな声で笑っている。母は9人兄弟で、あたりまえに家族も仲が良く、何度も家族のことや思い出を説明してくれるのだが、私はとんと忘れてしまったりする。母は家族を誇りに思っていたし、いつも自慢するように話す。


祖父(母の父親)についてもだ。祖父は、おそらく母の家族の中で最初に亡くなった。母の兄弟とは、ほぼ全員会ったことがあるのだが、祖父は私が生まれるよりも前に亡くなっていたので、何度も見せられた写真でしか、祖父を知らない。強面で、厳しかったそうだ。もっとも、私の周りの家族に厳しくなかった人は居ないのだが。

いや怖いわ。カッコいい強面だけれども。

この、俳優、石原裕次郎さんのような、こんな人に成ってもらえればいいと。写真を見せながら、母に何度聞かされたのか分からない。確かに、私の名前には彼にあやかった「裕」の字が入っている。彼に近づいたと思ったことは一度もないし、愛着も無かった。

声を大にして言うほどではないが、変に傷付いたこともある。「衣偏ころもへん」などと言っても伝わらないので、「"ネ"にちょんちょん」に「谷」と伝えるような説明の二段階右折・・・・・・・・はしょっちゅうだし、「祐」「佑」など、親戚かのように似た漢字が多く、公的書類を間違えられたこともしばしば。


ただ、自分の漢字をかっこいいと思ったことがある。もう一人の祖父(私の父の父親)が書いてくれた書を見たときだ。私にとってじいちゃんと呼称とするのはこちらの祖父だったのだが、まあその、じいちゃんの字で、赤富士が描かれた凧に、大きく私の名前が書いてある。おそらくは、私と同じくらい生きて、存在する凧だったはず。祖父の雄大なその字が、名前の由来動向よりも、こんなかっこいい名前なのかと、漠然と感じさせ、自分の存在を自覚させたのだと思う。

名前の由来など十人十色で、いいも悪いも無いのだが、今持っている名前以外にしっくりくるものなど、絶対に、無い。きっとどこかでそれに感謝する瞬間があるのだ。


あの凧、どこかにあるような気がする。母に聞いてみよう。

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