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【歴史シリーズ】楠木正成に思ふこと【其の一】

「歴史」に刻まれた「暗号」を読み解く


さて、始まりました!!(勝手に始めました!笑)


今回から「歴史」に関するシリーズをお届けいたします。m(_ _)m


突然ですが「歴史」といえば、

『ONE PIECE』作中の「ポーネグリフ」を思い浮かべませんか?


麦わらの一味の考古学者ニコ・ロビンが、

隠された世界の歴史である「空白の100年」を暴くため、

主人公ルフィとともに世界を旅しながら探し求めているもので、


それら全てを”ひとつなぎ”にすることで浮かび上がるのが、

「リオ・ポーネグリフ」(真の歴史の本文)

だと言われています。


日本は世界で一番長い歴史を誇りますが、

日本中に存在する歴史にまつわる史跡や神社は、

自ずとその土地と国全体の歴史を物語るものですよね。


そもそも歴史は英語で”History=His Story”。

ということで、「物語」そのものと言えますね。


今回は、僕が「歴史」を語る際にまず始めに取り上げざるを得ない、

忘れられているからこそ思い出さなければならないと心底感じている、

「日本精神」の象徴的な「歴史上の偉人」について書かせていただきます。


「日本の中心」の最も近くに立つ銅像とは?


先ほど、「日本は世界で一番長い歴史を誇る」とサラリと書きましたが、

それは「日本の中心」が揺るがない存在として続いているからです。


何を隠そう、それは「天皇」という存在です。

(「天皇」については以下の記事でも取り上げました。m(_ _)m)


現在、東京駅のすぐ近く、

首都のど真ん中に「皇居」という「日本の中心」がありますが、


その最も近くで、銅像として勇姿を表し続けている存在があります。


皇居外苑にある「楠木正成像」

銅像ですから、余程のことがない限りは形として残されますよね。

その意味では、ポーネグリフに近い性質があるのではないでしょうか?


ですが今のこの時代に、

楠木正成(くすのきまさしげ)について知っている日本人は、

果たしてどれくらいいるのでしょうか?

(もちろん、僕もかつては何も知らない一人でした。m(_ _)m)


皇居の一番近くにいるのはもちろん「守り神」としての意味があります。


日本を守る上で、この「よき国」を後世まで受け継ぐためにも、

楠木正成について学ぶ必要がありそうだと感じませんか?


「歴史上の偉人ランキング」があったなら…


自分一人だけの思いに尽きないことを物語るような、

形ある証拠としての「楠木正成銅像」の存在ですが、


一個人としても相当に入れ込んだ時期がありまして(学生時代ですが)、

所縁ある土地をあちこち巡ってもいました。


如意輪寺にて

(わ、若い。。。笑)


あと偶然にも、勤めていた予備校のすぐ近くに「湊川神社」があったり。


神戸市にある湊川神社

ですから出勤時にもしょっちゅう参拝をしていたわけです。


さて、

銅像の存在からも公共的に認められていた存在であることは確かですが、

世間的な評価はどのようなものだったのでしょうか?


聞いたところによると、

歴史上の偉人ランキング」というようなものが、かつてはあったらしく?

(正確な統計データとしてはわかりかねます。m(_ _)m)


その順位は「戦前/戦後」でかなりの変動があったとのこと。


わかりやすく例えると、

「戦後」は「1位:坂本龍馬」「2位:徳川家康」…といった具合。



それに対して「戦前」はというと、

「西郷隆盛」「吉田松陰」

といった明治維新の立役者たちが並んでいたそうですが、


その中にあってもぶっち切りの「1位」こそが「楠木正成」だったとのこと!

なにせ、上記の幕末の志士たちが挙って最も崇敬したのが、

「楠公」こと楠木正成公だったのです!!

そしてなにも「戦前」とは言わず江戸時代から、

日本人は皆が口を揃えて「楠木正成」を讃えてやまなかったとのことです。


詳しくは、湊川神社ホームページよりご覧いただければと思います!


第一編は、この辺で修めさせていただきます。m(_ _)m

まだまだ入り口といった感じですので、気長にお付き合いくださいませ!^ ^

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