『花』
「隅田川」と『花』をめぐるドラマ
私は田舎育ちなので、東京はとにかく都会のイメージとして映じてしまい、
静かさを好む性格からは「決して住めたものじゃない」と思っていました。
ですが、この隅田川を中心に描かれた歌詞のイメージは、
春爛漫の美しい情景として目に浮かびます。
『花』という唱歌にまつわるエピソードを書籍より引用します。m(__)m
「唱歌」の持つ力、「詩歌」の表現が与える影響の大きさを思わされます。
(「ミスター◯◯」と呼ばれるのは何でも気分が良さそうですね!^ ^)
しかし、実際に見た隅田川はイメージとは異なるものだったといいます。
中学で必ず習って歌う「唱歌」なのに加えて、
隅田川が有名だからこそ、こうして立ち上がった人がいたわけですが、
このような事情は何も東京や隅田川に限ったことではないでしょう。
「土地を愛する」という心を喪失して久しい、
現代の日本人の悲しい現実があります。。。(>_<)
「やむにやまれぬ大和魂」という、吉田松陰先生の句がございます。
「至誠にして動かざるものは未だ之れあらざるなり」とは、
松陰先生が特に好んだ『孟子』の中にある言葉です。
「やむにやまれぬ思い」がここまで人を突き動かすのかと、
石井さんの行動からは隅田川への大きな愛を感じるばかりです。m(_ _)m
「国土」と「日本語」が「日本人」をつくる
隅田川をめぐるエピソードからつくづく思い知らされるのは、
「愛国心」や「郷土愛」と言われるものの大切さです。
とりわけ「国土」に対しては、
自然環境と切り離された都会生活を営む今は、感謝の念を忘れがちです。
先日はご縁あって、ある農地で農作業を体験させていただきました。(^人^)
「大地の恵み」によって「生かされて」ある我々。
と同時に、「大地を生かす」存在でもある我々。
それを忘れて怠ると、
大地は容易に痩せ細ったり汚れたりしてしまいますよね。
古来「八百万の神」として天地万物を尊んできた日本人。
さらには、イザナギとイザナミによる「国生み」の神話からも、
神はまず国土をつくり、そこから人民を生んだという伝承が伺えます。
(「身土不二」という言葉もございます。m(_ _)m)
それぞれの都道府県(旧国名)も、
いわば「神」としての「名」が付いていますよね。
それぞれが生まれ落ちた故郷を大切にすることで、
この国の安全と平和が保たれて、永遠に栄えゆくのだと考えます。
作詞・武島羽衣と作曲・滝廉太郎のエピソード
続けて、作詞者と作曲者にまつわるエピソードをご紹介します。
滝廉太郎といえば、学校の教科書で習って知らない人はいないほどの人物。
唱歌の制作に対する並々ならぬ自信と使命感を持っていたことが窺えます。
作品にまつわる経緯や関わる人の思いは、人それぞれなのだなぁと。^^;
ですが、話にはまだ続きがございます。m(_ _)m
どれも心温まる話ばかりなので、
省略せずに最後まで引用させてください。m(_ _)m
「歌碑」といえば、
万葉集に関するものから、全国のあちこちにございます。
歴史とポーネグリフのお話もつい最近させていただいたところですが、
「石」として残すことに「意志」が宿るということは言えそうです。
日本語は、縄文から殆ど変わらない言語であるとも言われます。
今話題の大河ドラマの舞台である平安時代も、
その当時の言葉を今も殆どそのまま読んで分かるのは、
世界の歴史に比べてもほとんど奇跡的だと言えそうです。
いろいろな形で残されている歴史と国語とを後世に繋いで参ります。
春は物事の始まりの季節。
勇猛果敢に何事にもチャレンジして参ります!!^o^