見出し画像

たけしと生活研究会



浜松市ある認定NPO法人クリエイティブサポートレッツさんの2020年度報告書を読んで印象に残ったことを記録しています。

”たけしと生活研究会は、重度の知的障害がある青年・久保田壮(たけし)さんが、親元を離れて自立生活を試みることから始まりました。p5”

重度の知的障害者は親元から自立生活するという選択肢はなぜ難しい状況になっているのか?そもそも自立とは何か?が、レッツやそれ以外の様々な取り組みで知的障害者に関わっている方々の視点(シェアハウスの同居人、有識者のヒアリング、ヘルパーへのリポートなど)で語られています。言葉は違えど、同じテーマが違う角度・視点から繰り返し語られており、最前線で関わっている方々は大きな課題感を共有しながら、その場その場での個別性の高い課題に向き合ってきているのだなと解釈しました。(自立について、目の前の不条理や課題に対する捉え方など)

これを読んだから重度知的障害者の方々や周辺の状況のことがわかった、などというつもりは毛頭ないですが、知る機会をいただけたなと思います。同じくレッツの報告書である”ただ、そこにいる人たち 小松理虔さん 表現未満、の旅”と併せて読めてよかった。

”障害者の割合は昔は人口5%と言われていましたが、今は7.6%です。2.6%も増えているんですよね。身体障害者が436万人、知的障害者が108万人、精神障害者に至っては419万人という数の伸びがすごいのです。高齢化もすごく進んでいます。p130”

生活している中で、仕事をしている中で、どれくらい障害者の方と出会う機会があるか、考えてみる。仕事柄、もちろん接点はあるけれど、今の地域でどんな課題があるのか?まだまだ知らないことがたくさんあります。

今回は、「痛みを持つ当事者と持たざる他者は同じ地平を歩むことができるのかp106」という痛烈なという問いかけがありつつ、持たざる他者でありながら重度知的障害者の方達の課題に向き合ってきた播磨靖夫さんのコミュニティに対する考え方、不条理に対する怒りが活動の推進力になっていたという話が非常に印象に残りました。おそらく、また数年後に読み返すと印象に残る箇所が違ってくるのだろうなと思います。

以下は書籍内から部分的に印象に残ったことを抜粋させていただいております。

・自立とは?そもそも「私たち」は自立できているのか?

”日本では「一人暮らし=自立」。今の時代、それだけではない。関係性の中で、自分の自由度を高めていくことも追求したい。p102”

”基本的に社会保障というのは、現金の給付かサービスの給付なんですよね。そして何でも自分で生活できるような「自立」を目指すというものです。しかし、本当にそれだけで自立できるのか、幸せなのかということが問われています。p139”

”私は壮の親であることはもう一生変わらない。でも、ゆくゆくは支援者の一人でありたいと思っています。そのためには、いろんな人が関われるといい。誰か一人だと親に代わる人を探すのと同じになってしまうから、怖いなと思います。p163”

障害のある方の課題として取り沙汰される「地域移行」だが、いっぽうで、障害がないとされる私たちは「地域移行」している状態なのだろうか〜〜たしかに地域で暮らしてはいるが、地元のひとと必ずしも顔見知りというわけではない。むしろ子育てや介護で孤立してしまって八方ふさがりになることもある。p132”

・播磨靖夫さんの語りより

社会福祉法人って本来は「社会」が付く「福祉」なんだけれども、みんな「福祉法人」になっている。〜〜でもやっぱり「社会」が必要なんですよ。p103

障害者だけをみていればわかるというのは違う。多様な世界の変化や行政の動向を見ながら、ポジションをとっていく〜〜加藤周一が言っていることだけど、直感に基づく感情と不条理に対する怒り、これがあると知的活動が前進するp105

・課題や不条理に対する活動の原点は「怒り」?

”いびつなものを丸くし小さくするのが大人というならば、僕はいつまでもガキでいたいなと思っています。維持や保全を始めようとすると、最初に社会に感じたいびつな形の刺々しい意欲がなくなってしまって、「日常」に入っていってしまうんですよ。p147”

”ことの最初は怒りかなと思うんですよね。社会やその人が置かれた状況に対する怒りから、0から1が生まれると思うんです。でも、1から100にするときには、いろんな人に関わってもらわないといけないので、怒りだけでは持続しない。こちらは、他の人とも怒りを共有したいと思うんですが、その場にいない人や、いろんな背景があって怒りまでは共有できない人も、一緒に継続してやっていこと思ったら、楽しいとかおもしろいという要素も入れないと続かないと、「ミーツ・ザ・福祉」をやって思いました。p199”

・場の多様性。ただ「いる」場。複雑系を作る難しさ。

”孤立と疎外だけは公的な福祉サービスには手が届かない。p140”

”愛媛県の精神病院の話。ヒエラルキーを壊さなきゃ患者は市民に戻れない。「敷居をまたいだらみんな親戚」p143”

”障害福祉サービスは専門性や資格が優先されがちです。でもそれとは真逆の方向で、もっといろんな人たちがただいる。それはお年寄りでもよくて、そういう人が存在している場だということに意味があると思うんです。p172”

”居場所や障害のない人たちも入り込んだ場を作ることに対する制度化や支援についての話は、途端に聞いてもらえなくなるのです。それは障害福祉の制度ではないという話になってしまいます。「それは産業振興課かな」とか「まちづくり課かな」というように投げられてしまうことが常にありました。p173”

場作りの難しさはあれど、本の中で描かれていた”癌になって引きこもりになったおじいさんと、発達障害はあるけど天才的な中学生の囲碁対戦の話”・・・対戦しておじいさんが勝って、中学生が弟子になったというエピソードは、漫画やドラマのよう。こういうことは多様な人たちがいる・いられる場があることで生まれるのではないかと思いました。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?