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息子にとって私との対話はYouTubeよりもゲームよりも上だった。

息子がクリスマス会の主役に選ばれたのを機に我が家の親子の関係性は少しずつ変化してきている。

クリスマス会の中止が決まって、ガッカリしたものの、
すぐにあきらめられたのは、この期間に得たものが明確にあったからかもしれないな。

それが
『私たち親子は圧倒的に対話の量が少なかった!』
ということだ。

ほめることはある。
怒ることもある。
注意することはある。
認めることもある。
一緒に遊ぶことはもちろんある。
ふざけ合いっこしてワチャワチャしていることもある。

が、対話はあまりない。じつは対話が少ないことに気が付かなかった。
うっかりさんにもほどがある。

いやー、驚きの事実。
私は息子とのコミュニケーションは充分すぎるくらいとれていると思っていたのに。

対話のことを考え出したきっかけは
クリスマス会のことを相談した療育の先生に、
私の気持ちと息子の気持ちをお互いに素直に話し合ってみたらどうか、
と勧められたから。

え?素直に話す?
そういわれて初めて私は、私の気持ちを素直に息子に話していないことに気が付いた。知らなかった。
うっかりさんにもほどがある。

そう言われれば私は自分自身にはうそをつかないように心掛けてはいるが、息子には、、嘘つくな。言いたいことを言わないこともある。
息子には馬鹿正直に洗いざらい全てを伝えるつもりは元々ないし、これからもしないと思うが、
『ここ大事!!』ってことまでも言わなかった気がする。


決めつけることなく、
コントロールすることなく、
息子の協力者として、
話をする。

ただそれだけのことだが、

そういう状況で話をすることって幼児期の親子だとなかなかないよね。
意識的に切り替えていかないと
そのまま続きですっといっちゃうよ。
しつけ、とか
教える、とか
コントロールする、とか
そんな背景がベースにあっての会話だけになっちゃう。
 


『よし、今日のお風呂は遊ばすに対話してみよう!』



そして息子はお風呂から出るときにいった。
「お風呂から出てもママとお話ししたい。」と。

え?え?なんで?
いつもだったらYouTube見たい、ゲームしたいというのに。
私とお話ししたいの?


こんなにすぐ結果が出ていいの?
挑戦して一回目だよ。

でも、
私も同じ気持ちだった。
息子の本当の気持ちをもっともっと聞きたかった。

息子、こんなことを感じていたのか。
こんなこと思っていたのか。
まだ自分の気持ちをそのまま伝えるだけの語彙力もないが
でも伝わってきた。


ちゃんと対話するってこういうことだったのかーー。

『息子、クリスマス会の主役に選ばれる事件』
があってよかった。
クリスマス会は中止になり主役は幻になってしまったが、

私の中で無意識でやっていたこと、やっていなかったことにたくさん気づかせてもらった。

今日はその一つの対話についてをかきました。

そしてこの対話を考え始めたときに色々私の中で変化があった。
それはまたゆっくり書いていこうと思う。


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