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練習ノート#004 ヨガのために練習をするということ。それは愛だということ。

Peter はよく、ヨガのためにプラクティスをするのだと言います。(自分のため、ヨガの効果のためではなく。)

最初は、どういうことかな?と思っていたけど、少しずつ、わかってきたような気がします。

Intelligence 知性・聡明さ = Feeling 感覚

だから、練習において何が感覚を増大させるか、というのが一つの指針になり、私たちの練習というのは知性や聡明さといったクオリティを取り戻す行為なのだと。

そして、その練習から構築される理解・知性や知識の体系というのは個人的なものを超えた、トランスパーソナルなものであるということ。

あなたのでもなく、私のでもなく、ヨガのものであるということ。

この教えがようやく理解できて、あぁ、だから私はヨガが好きで、ヨガを信じているし、ヨガを教える立場にいるんだな、と思いました。

それはふた夏前にPuneに行った時にPrashantが言っていた、マンゴーの木の話とも通ずることのような気がします。

マンゴーは美味しくて、みんなマンゴーが大好きで、二酸化炭素も吸収してくれるし、木陰も作ってくれる。だからマンゴーの木を植えるよね、と。でも、マンゴーの木の立場になって考えたことはある?と。

ヨガの練習という行為 = 愛そのもの

私たちはもちろん、ヨガの練習から色々なレベルで、本当に色々な恩恵を受けていると思います。

でも、本当はヨガという伝統に対して私に何が出来るのか?というところがとても重要で、だからとても個人的とも思われる練習も、孤独に導くものではなく、愛そのものなんだな、ということを教わりました。

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