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嵯峨野の月#127 心の中の明王

第6章 嵯峨野11

心の中の明王

弘仁六年(815年)夏、陸奥国。

晴れた青空のもと身の丈五尺越えの少年がもろ肌脱いで四股を踏み、

「さあさあ八卦よい!我との素舞すまいに勝ったら豊作だぞ!」

と田植えの手伝いを終えたばかりの子供たちに向かってがばっ、と両腕を広げて見せた。

古来より相撲は素舞と呼ばれ神に礼し、邪を祓い、鬼を追う舞踏であり四股とは足で大地を踏みつけて地下の邪気を祓う呪術である。

少年は蝦夷の民が田植え作業を終えて水で体を洗って休んでいる前で見えない神と押し合う奇妙な振り付けの舞を披露して見せてこの年の豊作を祈願しているのだ。

その様子を見ていた子供たちが面白がって五人いっぺんにわっ!と少年の胸に飛び込み、「よーし、絶対倒してみせるぞ!」と力任せに押すが相手は全然びくともしない。

「ほらどうしたどうした!?お前たちはたった千五百の精鋭で一万の朝廷軍を追い払った戦士たちの子孫なのだろう?」

そう挑発されて子供らは腹の底から瞬発的に湧いた悔しさで俄然本気を出し、地に足をめり込ませて少年を押しまくった末、相手は仰向けに倒れた。

「勝負あり、今年は豊作だあー!」

素舞にわざと負けて蝦夷の俘囚の子らを両腕に抱え、地面に仰向けのままわははははは!と高笑いするのはこの年十三才の小野篁。

彼は父岑守の赴任先である陸奥に来て早々貴族男子の嗜みである文物を素読する暮らしに倦んで隙を見ては官舎を抜け出し、地元の蝦夷の子供たちと共に山野を駆け巡るほぼ野生児の日々を満喫していた。

木漏れ日がぎらぎらと渓流を照らす盛夏のある日、篁は山の小川に釣り糸を垂らしているが、うおが釣れず「暇だな、もう帰ろうか…」と連れの蝦夷の少年でことし十二才の吉美候部刈麻呂きみこべのかりまろにこぼした。

刈麻呂の祖父はかつてアテルイの配下で巣伏の戦いで朝廷軍を追い払った一人でもある老練の戦士だった。

今は里長である彼が篁を一目見るなり
「あなたはどこかアテルイ様に似ている」
と大層気に入り騎馬術と射的の師匠を買って出、篁の体格に合う巨馬(後の愛馬、青葉)まで探してくれたり、と何かと世話を焼いてくれる。

「春夏の山は採集が主で獲物は少のうございますからね」

と言ったすぐ後で刈麻呂は「そういえば二つ先の山はなぜかここ数年立ち入り禁止となって誰も入りません。獲物がうようよいると思われますが…行ってみます?」と急な思い付きで篁を誘った。

「面白そうだな」
国司の息子と里長の孫はにいっと悪童の笑みを浮かべた。

刈麻呂の案内で入った山の中腹で泉を見つけた篁は帽子を取って頭をざんぶ!と水面に突っ込んで予想以上に魚が泳いでいるのを確認すると顔を上げて犬のように頭をぶんぶん振って水滴を弾き、

「これなら魚籃びく一杯の魚が釣れる!」
と喜色満面に叫んだ。

二人が泉に釣り糸を垂らして互いに三匹ずつ釣り上げて笑い合ってる時、

「おまえら、ここが殺生禁止の聖地と知ってのことか?」

と頭上から怒気を孕んだ低い声がした。人の気配なんて無かったのに!

驚いて篁が振り向いた瞬間、何かに足元が引っ掛かり地面に突っ伏すその視界で確かに、一人の僧の姿を認めた…


それから十ニ年後の天長四年(827年)。


はははははは…!
と淳和帝は御椅子の上でさも愉快そうにお笑いになられた。

それは徳一和尚東国からの一時帰京の挨拶に参内謁見の場にちょうど護衛役の弾正少忠として控えていたのが小野篁だったので、

「そういえば篁、お前の東国時代の恩人は徳一和尚だと以前申していたが二人はどのように知り合ったのだ?」

とお尋ねになったところ、

「拙僧の庵の結界に子供を連れ込み、密猟をしている悪い大人がいると思って振り返りざま足を掛けて転ばせて懲らしめました。

まさかこのように図体の大きな子供がいて、しかも密猟をした悪我鬼が国司どののご子息とは思いもよりませなんだ」

と徳一が包み隠さず答えたのでその場で聞いていた官吏や宮女たちが皆口元を押さえてふふ、くく…と笑い声を漏らす中、篁は表情一つ変えなかった。

「なんか、御前で恥をかかせてしまったようで済まぬな」

帝の御前を辞し、目的地まで行く牛車の中で徳一が謝ると篁はだって本当のことですから、と気にもしていない様子。

「あの時和尚が

『お母上を心配させず毎晩宿舎に帰れ。暇を持て余したらいつでも庵に来て手伝いをするがよい』

と叱りながらも居場所を与えて下さったから父多忙で構ってもらえず、寂しかった私は行いを改めることが出来ました。感謝しかありません。

それに…恒世親王さま身罷られて以来帝が初めてお笑いになられた。帝が笑って下さるならこの篁、何度でも恥をかきます」

どの氏族の家に生まれたかで将来の出世がだいたい決まってしまい、

能力のある官吏たちが足を引っ張り合う表面は華やかだが実は陰湿で剣呑な貴族社会に揉まれても

変わらぬ篁の真っ直ぐさを徳一は嬉しく思い、「そうか…」と深く頷いた。

篁が御車を急がせて着いた先は西寺の北院。そこには徳一が無理に一時帰京してまで会いたかった人物が床に伏していた。

「よぉー、随分元気そうやないかい」
顔だけこちらに向けで徳一を見た勤操は筺枕の上で旧知の友に笑みを浮かべた。

血色が薄くなって随分痩せてはいるがその笑顔を見た徳一は彼のもとに駆け寄り「勤操はん…」と涙声で大僧都勤操の手を握った。

よせよせ、湿っぽいのは!と勤操はわざと顔をしかめてみせる。

「大僧都権限でこの空海に文を送らせお前を呼び出してしもた。どや?しばらく側にいてくれるか?」

「帝より滞在の許可を得ましたゆえ心置きなく」

徳一が答えるとさよか、と軽く目を閉じ勤操は眠りに落ちた。

昨年大僧都に任ぜられた勤操は川原寺別当に加え西寺別当を兼任し、まだ建築途中の西寺の完成に向けて張り切っていたが七十越えた体が現界を迎えたのかひと月前から床について起き上がれなくなった。


「勤操どのの具合はどうなんや?空海」

実は空海、東寺五重塔建設のために都に帰京し、木材を調達するための費用が足りないので親王家や貴族家に勧進(寺社建築のための募金活動)して回る忙しい日々の中、勤操の看病を買って出たのだ。

「もうご寿命で今年の秋を迎えるのも難しいかと思われます…」

彼にしては珍しく俯いて首を振る空海に徳一は、

「我は出来る限り傍に居て最期まで大僧都どのにお仕えしたい。交替しよう、お前は休め。国家鎮護の僧にいま倒れられては困る」

と言って空海を東寺に帰した。

そして、

芽吹いた木々の芽が固くなる春の終わりから、庭の草木を存分に湿らせる梅雨にかけて徳一と空海は交替で勤操の看病に当たり、時折目を覚ましては饒舌に昔語りをする勤操の話し相手をしながらゆっくりと確実に日々は過ぎていった。

ある時

「身の回りの世話なら西寺の僧がいるっちゅうんに二人とも、そないにわしの事が好きか?」

と勤操が冗談めかして聞くと徳一と空海は真面目ぶった顔で、

「はい、あの日高雄山寺で頭突き食らわされた鼻の痛みが疼くほど」
と徳一が鼻をつまみ、

「わしも山岳修行の初めに滝壺に蹴落とされたせなが痛うて痛うて」と空海がわざとらしく背中をさすってみせた。

「…三十年も昔の事を。その言い草、まるでわしが乱暴者の破戒坊主みたいやないかい」

と勤操がぼやくと声を揃えた二人に

「それ以外に勤操さまの正体をどう言うたらええんです?」

と言われてぐうの音も出なかった。

眠るときいつも残念そうに目を瞑る勤操に徳一は、このお方は世を去る前にひと目会いたい「誰か」を待っていらっしゃる。
と気づいた。

代理で文を送った筈の空海に聞いても彼のことだ、決して口を割らぬであろう。

意中のその方が来ずともせめて我らで勤操さまを送って差し上げよう。と徳一は心に決めていた。

濃い青色に染まった紫陽花にさあさあと雨が降るお昼前、一人の比丘尼が西寺の北書院を訪れた。

「せっかくお文を頂いたのに用事に取り紛れて遅れてしまいました」

と年の頃は六十過ぎのその比丘尼の顔に徳一は見覚えがあった。

「あなた様は…」

「その節はお世話になりました、徳一和尚」

清蓮尼せいれんには徳一に深く目礼してからお待ちしておりましたぞ、ささ、と空海に促されて病人の枕辺に座り、彼女の顔を確認した勤操ははっきりと目を見開いた。

「庵のほうは大丈夫でっか?」
「はい、大僧都どのの支援のおかげで女子どもたち健やかに過ごしております」

さよか、とそこで会話を終わらせようとした勤操だが空海の強い目つきに促され、

「…あの事をまだ恨んでおりますか?」
と清蓮に聞いた。

あの事とは二十年以上前、貴族家の妻だった彼女が公衆の面前で義理の甥の藤原仲成に辱められた事件である。
それが原因で彼女は帰る場所を無くし勤操の元に身を寄せ尼となった。

「最初の頃は我が身に起こった不幸を嘆き恨んでおりました。けれど、尼になって庵での務めにいそしんでいる内に、もう…」

彼女を襲い、人生を壊した仲成も報いを受けて処刑された。

勤操の庵に助けをもとめに来た望まず子を身籠った女人と赤子の世話を任され、苦しむ女人たちを救うという役目を与えられた。

人の世のなまの有り様と本当に救うべき人たちの存在は貴族のままでは一生知ることが無かったであろう。

「大僧都どのには新しい人生を与えられて感謝しております」

清蓮尼こと多治比志岐子は感謝の涙を浮かべて横たわる勤操に向けて深く、深く、合掌した。

元々美しい彼女の合掌姿をを前にあの、その…と口ごもった勤操はええい!と意を決し、

「志岐子はん」

と彼女を本名で呼んだ。驚いて目をぱちぱちさせる彼女を真摯な顔つきで見上げ、

「この老僧、いつしか貴女のことを好いてしまっていた。出家の身にあるまじき懸想であるが…」

と生きている内にこれだけは伝えたかった告白をした。言ってしまってから慌てて目を背ける勤操の様子は七十老というよりまるで童のようだった。

志岐子はしばらく黙ってうつむいていたが意を決して顔を上げて勤操の手を取り、

「実はわたくしもあなた様をお慕い申し上げておりました」

と勤操の手を自分の両手で包み込んだ。ゆっくり顔を戻した勤操と志岐子は視線が交差した。

庭の紫陽花から雨の雫がこぼれ、葉の上に蝸牛が這うそのときが永遠に止まったかのように思われた。

やがて勤操は「ありがとさん」と看病してくれた徳一と空海に礼を述べ、

「これでもう残りは無うなった。今が一番倖せや…」

とこれ以上ないといった笑顔で志岐子の手を握ったまま深く目を瞑った。

きっと疲れて眠ってしまったのだろう。周りはそう思い、勤操を休ませようと握った手を志岐子が下ろそうとした時、彼が息をしていない事に気付いた。

「阿闍梨、あの…」「え、勤操はん?」空海が頸と手首に触れて脈が触れない事を確かめようやく師僧の肉体の停止を確認した。

天長四年五月八日(827年6月25日)、大僧都勤操遷化。享年七十三。

南都六宗の一つ、三論宗を代表する講師であり舌鉾鋭い論客でありながらも新しい宗派を立ち上げた最澄と空海と親しく交流を持ち、

両者から灌頂を受けた教義の壁など気にしない驕らない人柄であった。

今際の際で大僧都どのが尼僧に恋の告白をしたことはお互い黙っていような。

と徳一と空海は約束し、葬儀の帰りに小野篁に呼び止められ、彼の舅藤原三守の九条の別邸で故人の昔語りを始めた。


「勤操和尚とは議論が過ぎると拳で語り合うこともあったが、それ以外は本当に優しいお方だった。幼い頃寺に入れられ、悪夢で目覚めた我をなだめて寝かしつけてくれた…」

「わしを私度僧にして山岳修行の厳しさをこの身に叩き込んでくれたのが勤操はんでした。

戒明和尚の庵であの方に出会っていなかったらわしは人生の道を間違えていたかもしれません」

邸の改装が進んで学舎づくりになっていく邸内で車座になって在りし日の勤操の思い出を語る老僧二人に篁は、

「お二人の話を聞いてますと勤操和尚はまるで明王みたいなお方ですね」

明王、それは密教の教えで現世と仏界の狭間に居て現世で悪事をしないようわざと恐ろしい形相で戒め衆生を導く存在。

「明王、かぁ…言い得て妙だが勤操はんは我々にとってまさにそうだったな」

「私にとって明王は徳一和尚ですけどね。出会い頭に和尚に転ばされた私は怖くて怖くて泣き出してしまったんですから!」

そうだったな!と老僧と若い官吏が笑い合った時には雨は止み、曇り空の間からちらちらと日の光が覗いて見えた。

絵師に作らせた御影の中の勤操を確認した空海は「うん、そっくりや」と言ってから壁に掛け、眺めているうちに、

喧嘩好きの子供みたいに荒っぽくて、口が悪くて強引で、その癖めちゃめちゃ優しくて、最期に好きなおなごはんに想いを打ち明けて手を握り合って死ぬなんて…

「勤操はん、あんた最高やないかい」

と眼からぼろぼろ涙が流れるに任せてひとしきり空海は泣き、落ち着いてか気を取り直して画賛の漢詩を書き始めた。

「…かじとる師無きときは深きに越すことあたわず…」


人生の中で苦しくて苦しくて過ちを犯しそうな時、思い止まることが出来た者は過去に自分をいち人間として認め、真剣に叱ってくれた尊敬できる大人の記憶がそうさせたのかもしれない。

誰か一人でもいい。心の中に人の姿をした明王がいればどんな苦境にあっても、

人は人として生きていける。

後記
さらば勤操。さよならだけが人生や。






























































































































































































































































































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