見出し画像

人と会いすぎ?【インドア目線】

とある日の夜。

ほんとつい最近の夜。

テレビで、縄文時代にスポットを当てた番組と

今の若者の「つながり孤独」について切り込んだ番組が

たまたま連続で、番組表に並んでいたのが面白くて、

つい、ぶっ通しで見てしまいました。

縄文時代の人は、

海の向こうの世界の人なんて気にしなくても

目の前のこと、自分を取り巻く人たちの関係を大事にして

生きていた。

対して今は、

いろんな人と繋がりやすくなっているのに、

なっているからこそ

目の前の人と

「会話が通じない」ことで悩んでいるのは、なぜ…?

そんな時ふと、

よく配信を見ているメンタリストさんの言葉が、

フラッシュバックしてきました。

「そもそもいまの人は、人と会いすぎなんですよ!」

ちょっと衝撃的な言葉だったのですが、

裏づけとしてその方が紹介していた説を見て、

僕もなるほどな、と思いました。

人間が安定して関係を構築できる人数は、

脳のキャパシティ上、平均150人が限界」

これはイギリスの人類学者、

ロビン・ダンバー(Robin Ian MacDonald Dunbar 1947-)

さんが提案した、

ダンバー数(Dunbar's number)という数字です。

久々に会ったひとが、
こちらのことをあまり覚えていなかったのは

相手にとって、

その「150ゾーン」(仮)に入っていなかった。

数回もその人と会ったことないのに、

刺激的な人との出会いが、いつまでも僕の記憶の底で生きているのは

「150ゾーン」に入っているから。

ポケモンで、
主人公が住む地方で捕まえられる種類が

約150に設定されているのも(こじつけ)、

この、ダンバー数が

関係あるのかもしれません。

そう考えてみると、

縄文時代なら、

海の向こうまで、当時の人々は眼中にはなかったから

目の前のコミュニティを維持するために、

毎日を過ごせばよかったわけで。
(ざっくり言いましたゴメンナサイ)

しかし、文明が発達して

いろんな考え方に出会いやすくなっても、

人間の脳が、急激にデカくなったわけではなく、

ただ

「人に会いすぎる」

「いろんな考えに触れやすくなる」

ことにより

大したことを話さない人よりも

何かの分野で日本や世界のトップのを走るえ方に

触れたい・ついていきたいと思うのも、

同じ地域に住んではいるけど考え方が合わない人よりは

コメントを読んで返してくれる、ネットの世界の配信者の方が

「濃い存在」になってしまうのも、

僕らの中の

150ゾーンに入っている/いない」が、

関係しているのかも知れません。

こんなことを言っている僕は、

そもそも自分から人とは関わらないタイプでしたから、

この「150ゾーン」を、

鳥取に来てから、急激に

他の人よりも作るのが遅れているから、早く作らなければ!

という日々でした。

時には、

「行動力あるね!」と声をかけていただきましたが、

その行動のガソリンとなっていたのは

積極性というより、

「マイナスなものをゼロに戻したい」という劣等感や焦り

です。

僕がどういうふうに、「150ゾーン」を作っていったかですが

Ⅰ.ゾーンが150人以下の時

一人暮らしして間もないとき、

毎日が「はじめまして」のとき

まだ「ゾーンが150人以下」のとき

特に、世間知らずな僕ですから、

キャンパスライフでは胃もたれするくらい、

「いろんな人がいるんだなぁ」という情報が

無差別に流れ込んできます。

いいものがいっぱい詰め込まれた風船を

毎週、毎月、

ちょっとずつ膨らませていくような感覚。

次第に、キャンパスの外で

ギャラリーやイベント(という名の大人と話す機会)

に行くようになると、

親世代でもいろんな考え方を持つ方と出逢え

アーティスト、商売をしている人、教育関係の人

子育てに奮闘中の人

さらには積極的に地域で活動する他の学生などとも

僕の目の前に現れます。

自分はマイノリティだという自己暗示も拍車をかけ、

目の前で出逢う全てが、

ゾーン内、「正解」に見えました。

Ⅱ.150人以上の時

出会う人のタイプが増え、

美術部での制作のネタになるような出逢いもあり

そんなこんなで

着実に風船を膨らましているつもりでも、

どこかに穴が開いてしまい、

空気が抜けていったような時期がありました。

具体的に言うと

日本中が、安保理法案の成立を巡って動いていた時。

僕が目の前で出逢った、話した人たちが

真っ二つの意見で闘っている光景を、

マンガとかの世界ではない、この目で見てしまいました。

自分が正解だと信じていたもの・人たちが

わかりやすく対立しあっている構図を目の当たりにして

僕は倒れました。

この頃から、

自分は何を信じるか、何が好きなのか、どんな人から学びたいか…

ちょっと怖い言い方かもしれませんが、

自分の「150ゾーン」の

入れ替え作業が起こり始めていたのかもしれません。

パレットの上に乗せられる絵具の量には

限界があるように、

何を描くために、何の色を、

どれくらいの量や割合で乗せたいか、

ここからは、考えていかないといけません。

自分の守備範囲を飛び越えて

いろんなタイプの人と繋がるのを狙いにするのもよし

(鳥取は、それがやりやすいように思います)

自分の好きなことで、より深い世界を見せてくれる人と繋がるもよし

やっぱり、趣味や気のあう人との付き合いが濃くなった…という場合も

あると思います。

個人的には今年の夏は、

ギャラリー巡りでお会いしてきた人の中でも、

特にインパクトの強かった方々の「濃い」展示が次々と見られるので、

楽しみです。

ところで、

知り合った当初は、気の合う仲だと思っていた人なのに、

最近、その人と

話があかみ合わない…

考えが合わない…というとき。

もしかしたら、

時を経るうちに

自分の中の「150ゾーン」と、

その相手の中の「150ゾーン」の顔ぶれに

違いが出てきて

考えがますます変わってきたり

(考え方って個々で違うものなんですけど)、

進む速度が個々で違ってきたりして、

「そもそも同じ世界は見えてない」状態に

なったからかもしれません。

こういう時は、

「会いすぎた」僕の経験上では、

決め事の白黒を急ぐより、

「最近、何かあった?」とか

「ちょっとその話、聞きたいな」

程度の、一歩引いた話や、

互いの確認作業をした方が、

結果的に、お互いを知ったあとだからこそ

「話ができる」ようになります。

(…いや、それができない、怖いんだよ!という声が聞こえてきそうですが。)

こう書いていくと、

「私は、誰かにとって大切な存在、
150ゾーンに入れるようになりたい!!」

と、

考える方もいるかもしれません。

僕だって、「井澤さんのおかげで、今の自分があります!!」

とか言われたら、

人の欲求が満たされた井澤は、

人目をはばからず飛び上がりたくなるほど、
嬉しくなります。

(しかも褒められ慣れていないのですぐに泣いてしまうんです、僕。笑)

でも、その為に、

承認されるために

生きているわけではないから。

たとえ僕が、
誰かにとっての「150ゾーン」から外れてしまっても、

それはその人の

考えの変化や成長なんだと、

こう考えたほうが、

僕も気持ちが楽になるので、

今は、割り切るようにしています。

https://twitter.com/PtrBsfa/status/1022329427672227841?s=19

読んでいただきありがとうございます。いただいたサポートは、鳥取のアートシーンで活動されている方々を応援する際に使わせていただきます。