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平凡な私ができること

8月の終わりに書いた記事が、今になってじわじわとスキ!のハートマークと閲覧数を伸ばしております。不定期更新にも関わらず、いつも読んでくださる方も、偶然辿り着いて読んでくださった方も、ありがとうございます。

もともとこの記事は、今思えば、身近なある人に伝えたくて書いたような気がする。その人とは…長男の同級生。仮にPくんとしておこう。(本人のイニシャルではないです、仮名です)

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Pくんは1年生の頃から、放課後よく我が家に遊びに来るようになった。今年で同じクラスになって4年目。子供らしくのびのびとヤンチャなところがあったり、目の前のことに夢中になるあまり、大人の注意が聞けなかったりもする。

ご家庭の事情で、Pくんのお母さんはいつも忙しかった。うちの子が相手の家に遊びに行くことはほぼ無く、いつも彼が遊びに来た。子供を預かる側の立場である私。ある時期、我が家でのPくんの言動をお母さんに注意したことで、かなり険悪な雰囲気になってしまった。今振り返れば私も、どこかで親切心に見せかけたお節介、責任感に見せかけた批判だったのかもしれない。

ちょうどその頃、Pくんのお母さんから、他校の通級教室に通い始めたという話を聞く。詳しくは書かないが、彼は発達障害があった。わざわざ他校に通わなくても自校に、というか全ての公立小学校に、通級なり特別支援学級があれば良いのに…とそのとき強く思った。本人も親御さんも、心理的にも時間的にも負担が違うだろうし…と。

同時に私は、自分の身内にも発達障害を持つ人間がいる事を打ち明けた。先方の事情はあえて詳しく聞かず、ただ相手を労うつもりで、自分側の事を一言ぽつりと話した。険悪な仲だったはずのお母さんからも、「ありがとうございます」と一言だけ返事が来た。

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そんなこんなで世の中はコロナ禍、約3ヶ月の休校に突入してしまった。私は時々、彼と、彼のお母さんを思い出した。でも私も自分の子供ら3人を抱えて日々精一杯だった。結局、連絡はしなかった。

休校が開けた6月、長男づてでPくんが休みがちになったと聞いた。ある日は朝から来ることもあるし、ある日は2限あたりから、ある日は給食だけ食べて帰る、ある日は一日休んだり。授業に出ても独り言を呟き続けていたり、座っていられなくて教室の外に出てしまう、との話だった。私は何となく気になって、久しぶりに顔が見たい…気もした。長男に、「会えた日には声をかけて、放課後うちに呼んだら?」とだけ伝えておいた。

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短い夏休みを挟み、2学期のある日の放課後。Pくんが久しぶりに、我が家に来た。一見変わった様子は無い気もした。大して何も言わず、いつものようにみんなでゲームをして、オヤツを食べて、少し外で遊んでから帰って行った。

私はただ普通に接していたけど、心の中では、なんて声をかけようか、ずっとずっと考えていた。

「授業が嫌ならさ、友達に会いにとか、給食食べにくるつもりでさ。とりあえず学校おいでよ。」とか

「授業の中で勉強したくなくてもさ、お家で過ごす中で、好きな事や夢中になれる事、見つけられるといいね。」とか。

何か前向きで建設的な声がけをしなければいけないかな。とか。

でも正直、どれも押しつけがましい。

結局私は、余計なことは何も言わなかった。

「梨むいたから食べてきな~」とか、「気をつけて帰りなね~!またおいで~!」とか、そんな事しか言えなかった。

でもきっと、それで良かった。

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Pくん自身も、お母さんも、充分なほど悩んだり考えたりしているのだと思う。ありふれた正論や方法論なんて多分聞きたくないだろう。もしくはすでに、聞き飽きた話だろう。

私は彼の親でもなく、担任の先生でもなく、何の有資格者でもない。いち同級生の母であり、近所のただのオバチャンでしかない。

そんな平凡なオバチャンが出来ることは、時々あの子の気楽な居場所になってあげること、なのではないか。余計なことは口出しせず、淡々と普通に接するだけの存在でいれば良いのではないか。

私はまた来週も、彼らのオヤツを準備しておこうと思う。「ゲームやりすぎ、だめだよ!あー、オヤツちょっとだけ食べてきな!でも暗くならないうちにおうち帰るんだよ!」 とか、そういう他愛もない声がけをしようと思う。

Pくんのことでは何度も困ったけど、何度でも来てくれたらいいなと思う。

そしていつか、我が家に寄り付かなくなっても、

学校もしくは、自分にとっての学びの場へ向かってくれれば。

親御さんや先生や私、大人たちには何も話さなくても、

素直に言いづらいことは子供同士で語り合ってくれれば。

平凡な近所のオバチャンである私は、ただそっと、そんな風に願っている。



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