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HATER

今日は災害とは少し違う、でも全く関係のない話ではない事を書いていこうと思います。
タイトルを見て、何のことだろう?と思った人もいると思います。
読み方はヘイター。ヘイト(嫌う、憎む)にerの接尾辞がついた「~する人」、つまり批判する人、妬んだり憎んでばかりいる人のことです。
私の過去、そして災害と絡めながら書いていきたいと思います。

性格は変えられるのか

この問いに対して私は変えられると思っています。
いきなり別人のようになることは出来ないけれど、「こうありたい、こうなりたい」と思って心掛けていけば変わっていけると思っています。
しかし今回のように災害や事故、事件に巻き込まれてまさに「人が変わったように」なってしまう人もいると思います。一般的には悪い意味で使われると思います。社交的だった人が誰にも心を開かなくなった…というのはドラマなんかでもよくある話です。
でもその一方で良い方に向かう人もいると思います。
もちろんそれぞれで状況が違うでしょう。家族を失って、周囲に心配させまいとして無理に明るく振る舞おうとする人もいると思います。
被災して起きた変化を書いていこうと思います。

過去の自分

少し遡って結婚、子どもが産まれる前の性格を書いて行こうと思います。
集団よりも孤独を好むタイプです。そしてタイトルの通りヘイターでした。類は友を呼ぶ、の通りプライベートで付き合いのある人間は同様の考えを持った人が多かったです。
自分がこんな性格で幸せじゃないのは周りのせいだ、世の中のせいだ。そんな事を常に思っていました。そしてそんな自分が嫌いでした。
心のなかで「このままじゃいけない、変わりたい」と思っていてもなかなか変えられなかったです。
そんな私も結婚をしました。今思い返せばよく結婚してくれたな。と思います。
妻と付き合い始めて、上記の人達とは距離ができ始めました。「俺たちどうせずーっと独身だから」と他の人達が言っていたので抜け駆けしたと思われたのかも知れませんが、結果的には「変わりたい」という気持ちにかかっていたストッパーが外れた形になって良かったです。
でもまだ、どう変わりたいのかよくわからないままでした。

子どもが産まれて

子どもが産まれたことによって大きく変化しました。
子どもには私のように人や世の中に批判的な生き方をしてほしくない。その為には私自身がその思考を変えていかなければならないと思ったし、そんな考え方は子どもに対して恥ずかしい、自分が子どもなら尊敬できない。
そう思ったことがきっかけで、徐々に変わっていきました。
性格、と言うよりは思考ですね。
でもそのおかげで性格もヘイターからは抜け出せたと思っています。
しかし社交性の面ではまだまだで、人と関わろうとは思っていませんでした。

災害後の変化

被災者への説明会(第一回)に書いたように市への批判を目の当たりにして、かなりのダメージを受けました。
あとから思えば、結婚前であれば一緒になって批判をしていたんだろうと思いますし、10年かそこらで随分性格が変わったな。とも思います。

人との関わりという点でもやはり災害と言うのは大きく影響しました。
それまでは近所付き合いや会社の人との接触はあったにしても、あまり関わらずに生活が出来ていました。
しかし被災後は違います。多くの人達と関わり、助けてもらいながら生活を再建していかなければならない。
また別の角度から話をすれば、歩いていればマスコミから声をかけられる。中には子どもにまで話を聞こうとするマスコミがいたらしいので、子どもへの注意をそらすために登校時間に敢えて囲み取材を受けたこともあります。
良くも悪くも人との関わりを持つことになりました。
でもまだまだ、この時は事務的な関わりが多かったと思います。

被災から数カ月後、私は災害と職場の変革によるストレスで休職することになります。
孤独を好む。と書きましたが、この時の私は社会からも家庭からも孤立した存在になっていました。
(家庭から孤立、と言うのは家族から無視されるという事ではなくて家族が起きる前に家を出て、家族が寝る頃に家に帰ってくる。ということです)
独りになるのとされるのは違う。それを痛感しました。
また会社の変革が私達部署を蔑ろにしていると感じ、職場でヘイト発言ばかりだったことも心を蝕んでいました。
自ら変わろう。と思ってヘイターじゃなくなったのに、またヘイターに戻っている。でも分かっているのに止められない。辛かったです。

休職してまず向かったのはささえ逢いセンターでした。助けを求め、いろいろな人に話を聞いてもらい、また紹介もしてもらいました。
それからは色々な人と出会い、助けられ、自ら会いにも行きました。
SNSで知り合った方に「会って食事でもしませんか」と自ら送ったこともありました。昔の私ならなかったことです。

起こった事は最悪だけど、出会った事は最高。

NPO法人 BOND&JUSTICE代表理事 大土雅宏

まさにこのとおりだと思います。
災害が起きたことは本当に最悪です。「俺の人生ついてない」「生きているだけマシだけど、生き残ったことも辛い」わかります。私も職場のことが分かっていたから「なんでこのタイミングで」と思ったり「災害がなかったら…」と思ったことは何度もあります。
でもそのおかげで多くの人と知り合えた。前述のSNSでメッセージを送った方とは趣味も似ていて、これからも仲良くさせてもらいたいと思っています。
悪いことだけに目を向けると災害なんて本当に起きないほうがいいし、良い事なんて一つもないように感じるけれど、でも悪いことが続くわけではないと感じています。
そこから生まれた人とのつながりは本当に感謝していますし、私のこれからの人生できっと大切なものになると思っています。
まさか私がこんなに人と関わるとは思っていませんでした。
人見知りで人と関わることを避けて独りでいた私が、被災したことによって人と関わるようになったなんて、昔の私が知ったらどう思うでしょうか。
でも、悪い方に向いていないことは確かです。


誹謗中傷する人へ

このことについて少し触れたいと思います。
被災後、ほとんどの方が心配や励ましの言葉をかけてくれた一方でひどい言葉を投げかけてくる人もいました。
「義援金いっぱいもらえていいね」とか、不足している物資の話をしたら「物乞い」と言われたりもしました。
あなた方が何を思おうが他の人には止められませんし、法律で取り締まることも出来ません。
でも言ってしまったら、SNSやヤフコメで書き込んでしまったらそれを見た、聞いた本人はどう思うでしょうか?
逆の立場で言われる側だったらどうですか?
災害で苦しい中、更に批判的な言葉を投げかけられたとしたらどんな気持ちだと思いますか?
以前東池袋暴走事故の被害者遺族である松永さんに対して誹謗中傷したとして起訴された時に誹謗中傷する半数の人はおもしろ半分でやっているのではなく、自身の正義感でやっているという記事を見かけました。
その正義感で人を傷つけるのはやめませんか?
そしてもしご自身の正義や意見で他人を責めるなら、捨て垢や匿名なんかでやらずに名前も顔も出してやりませんか?
正義と思うなら出来るはずです。安全な場所から他人を責めるのは正義ではなく卑怯だと思います。

最後に

あまり人と関わらない私がSNSをやっていると言うのに違和感があるかも知れませんが(笑)本当に多くの人に助けられました。
本当に感謝してもしきれません。twitterでは名前(本名)も顔もわからない、会ったことのない方々ですが、アドバイスを頂いたり励ましてもらったりして何度お礼を伝えても伝えきれない程です。
今回の記事は色々と話しが飛びましたが、まとめると被災したからと言ってネガティブな思考になるのではなく、被災したからこそ良い方に思考を変えていきたい。そういった想いが私の中にはあります。
『運転者』という本を読んで、より一層そう思いました。
ターニングポイントはあとから「ああ、あの時から変わったな」と振り返る。と言うような一文がありました。私にとって振り返らずとも災害がターニングポイントなのは明らかです。
それが分かっているなら、プラスに持っていくしかないと思って今日の記事を書きました。

※起こったことは最悪だけど、出会ったことは最高、運転者どちらもアフィリエイトではありません。

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