回り道は合理的かどうか
たまたま会社で合理性に関して、尊敬する上司と話していて、思い出したことがあったので書いておこうと思います。
磯田道史という歴史家がいるじゃないですか。
僕は大好きなんです。
すごい余談ですが、僕は声が似てる人を提示して、あー言われてみれば!ってなるのが得意だったりします。
たとえばマツコデラックスと伊集院光、目を閉じて声だけを想像してみてください。
ほら、一緒。
磯田道史は、私が尊敬するサックス仙人川嶋哲郎と、声や喋り方が一緒です。庵野秀明もちょっと近い気がします。
どうでもいい話でした。
僕は幕末オタクなので、磯田道史が司馬遼太郎に関して書いた本を読みました。随分前の話ですが。
磯田道史が司馬遼太郎の崇高な考えを僕みたいな頭の悪い者でもわかるように優しく書いてくれている本です。
その中で、日本人はもともと非常に合理的な民族であって先の大戦でその合理性を失った、みたいなことを司馬遼太郎は考えていた、みたいに書いてあったんですね。
あれ、なんか意外な気がしませんか?
日本人ってなんだか昔からどんなに不条理、非合理でも随分耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ人種なのかと思ってましたけど、本来違うんだと。
なんかこの話読んで生来単純な人間なので嬉しくなってしまいました。
日本人てのは、どんなにガラケーの説明書が分厚くなって複雑になってもそれをよしとする非常に面倒な人種だと思ってたんです。
そうではなかったと。
合理性の話で思い出すのは、やっぱりO師匠の話です。
前に頭が良いとはどういうことかという記事でも書きましたが、O師匠こそ、徹底して合理的な人だなと思うんです。
無駄なものはいらない、難しく考えないで簡単に考える、っていうね。
ただそのO師匠にもう一つ言われたことがあるんです。
大島さぁ、みんなジャズ上手くなりたい、出来るようになりたいって、一直線の最短距離でいきたがるんだよな。
だけどさ、それじゃダメなわけ。
一直線で行きたいけど、回り道もあるだろ。無駄なこともいっぱいある。
図で書くとこうだよな。
この回り道ってのがオイシイんだよ。無駄なことなんてないんだから。いっぱい回り道したらいいよ。
とおっゃったんですね。
あの合理的なO師匠が無駄なこと、回り道を肯定するなんて、とおもったんですが、これは僕の考えが違うんですよね。
回り道自体が実は合理的であるということなんです。
これは矛盾も孕んでますし、非常に難しいお話です。
ただ、あんまり小難しく考えないで、今、この瞬間から未来を自分がどう生きるか、で過去というのは塗り替えることが可能なんだと思います。
実は、非合理なことに合理性を持たせるのは今この瞬間以降、僕らがどう生きるか、じゃないですか。
個人で黒歴史みたいなものはいくらでもありますし、人類には負の遺産なんてのもたくさんあります。
でもそれがあったからこそ今自分はこう生きている、そう思えることが徹底的な、本当の、究極の合理性だと思うんです。
僕は結論、24歳の時にジャズギターを挫折し、遊びでサックスを始めたんですが、なぜかCDもバンドで出せましたし、大きなフェスでも演奏できました。ラジオでも演奏しましたし、たまにテレビ見てると自分の音楽が使われてたりします。バックバンドや、ライブゲストや、トラとしてお金を貰えたのも、サックスでだけです。仲間も友達も増えました。
自分でジャズのバンドを組んで、ジャズフェスにも出られましたし、セッションにもたくさん行けました。
ただ、ただ、
僕はジャズはできるようにはならなかった。
それも人生から考えたら些細な話です。
しかし、その色んな回り道があったから、今の自分がいて、それは大変気に入っていて、とても良い人生だと思ってます。
あの時諦めてよかったし、たくさん回り道してよかった。
なかなかジャズに辿り着かず聴いたダサいフュージョン、マイクスターンだって、美的感覚を養うのに少しは役立った。
そんなふうに考えると、人生に無駄なんて1ミリもないですよね。
これって非常に合理的な考え方だと思うんです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?