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【随想】芥川龍之介『糸女覚え書』

 十八、やがて御前へ参り候へば、秀林院様御意なされ候は、愈「はらいそ」と申す極楽へ参り候はん時節も近づき、一段悦ばしく候と仰せられ候。なれどもおん顔の色は青ざめお声もやや震へ居られ候間、もとよりこれはおん偽と存じ上げ候。秀林院様又御意なされ候は、唯黄泉路の障りとなるはその方どもの未来なり、その方どもは心得悪しく、切支丹の御宗門にも帰依し奉らず候まま、未来は「いんへるの」と申す地獄に堕ち、悪魔の餌食とも成り果て候べし。就いては今日より心を改め、天主のおん教へを守らせ候へ。もし又さもなく候はば、みなみな生害の伴を仕り、われらと共に穢土を去り候へ。その節はわれらより「あるかんじよ」(大天使)へ頼み、「あるかんじよ」より又おん主「えす・きりすと」へ頼み奉り、一同に「はらいそ」の荘厳を拝し候べしと仰せられ候。然ればわたくしどもは感涙に咽び、みなみな即座に切支丹の御宗門に帰依し奉る旨、同音に申し上げ候間、秀林院様にも御機嫌よろしく、これにて黄泉路の障りも無之、安堵いたし候まま、伴は無用と御意なされ候。

芥川龍之介『糸女覚え書』(短編集『奉教人の死』)新潮社,1968

これも序ゆゑ申し上げ候へども、このお書置きを「ぐれごり屋」へ渡し候節、日本人の「いるまん」(役僧)一人、厳かに申し候は、総じて自害は切支丹宗門の禁ずるところに御座候間、秀林院様も「はらいそ」へはお昇り遊ばさるることかなふまじく候、但し「みさ」と申す祈禱を奉られ候はば、その功徳広大にして、悪趣を免れさせ候べし。もし「みさ」を修せられ候はんには、銀一枚賜り候へとのことに御座候。

同上

 何でもいい。仏だろうと神だろうと、生まれた罪を許す理由を与えてくれるなら、誰にだって帰依してやる。我々の思想に道筋を示し、迷いを断ち切り、首輪を付けて引張っていってくれ。不味い餌にも、狭い小屋にも、理不尽な叱責にも、黙って耐えてやるから、この魂の従属先をくれ。気を抜くと何処かに飛んでいく世界、足下が不安で不安で仕方ないんだ。ナイフリッジを爪先立ちで歩く恐怖、あまりにか細く頼りない自我、生きることは、なぜこんなにも苦しいのか。こんなにも苦しいのに、なぜ生まれてくるのか。皮肉な口を叩くのは、せめてもの抵抗だ。この苦しみを楽しんでやるという、やけくその悲しみだ。

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