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【随想】太宰治『東京八景』

死ぬるばかりの猛省と自嘲と恐怖の中で、死にもせず私は、身勝手な、遺書と称する一聯の作品に凝っていた。これが出来たならば。そいつは所詮、青くさい気取った感傷に過ぎなかったのかも知れない。けれども私は、その感傷に、命を懸けていた。

太宰治『東京八景』(短編集『走れメロス』)新潮社,1967

毎日、武蔵野の夕陽は、大きい。ぶるぶる煮えたぎって落ちている。私は、夕陽の見える三畳間にあぐらをかいて、侘しい食事をしながら妻に言った。「僕は、こんな男だから出世も出来ないし、お金持にもならない。けれども、この家一つは何とかして守って行くつもりだ」その時に、ふと東京八景を思いついたのである。過去が、走馬燈のように胸の中で廻った。

同上

「安心して行って来給え」私は大きい声で言った。T君の厳父は、ふと振り返って私の顔を見た。ばかに出しゃばる、こいつは何者という不機嫌の色が、その厳父の眼つきに、ちらと見えた。けれども私は、その時は、たじろがなかった。人間のプライドの窮極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事があります、と言い切れる自覚ではないか。

同上

 人生を振り返って見ると、いつも心に飾ってある何枚かの風景がある。
 幼稚園の友達とお気に入りの遊具を取り合ったこと、小学校初登校日に校門をくぐった時のざわめきと緊張感、中学一年の時に初対面の不良少年にいきなり殴られたこと、近所の公園、夜気に溶ける桜の香り、好意を示してくれた子を無視してしまった後悔、校庭の隅に作った秘密基地の狭さ、秘密を共有する興奮、幻覚かも知れない心霊現象らしき体験、他にも色々。
 全部ずっと忘れずにいる。時々何かの拍子で思い出す、そしてすぐに鮮やかに蘇る。
見たもの、聞いたもの、感じたもの、経験が積み重なって今の自分がいる。今の自分が思うことや感じることは、これまでの経験から大なり小なり何らかの作用を受けている筈だ。決して真っ新な白紙に描かれていく訳ではない。生きている限り重なっていく。たとえ見えなくなったとしてもそれは確かに在る。

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