生きる事は辛く、苦しい。そして罰とは、苦しみを与えられる事である。生きる事は、罰なのか。生命は、罰を受ける為に生まれてくるのか。何故? 何故罰を受けねばならない? その答えが、原罪、なのだろう。生まれながらに背負っている罪、より厳密に言えば、生まれる前から、生まれる事が予定されたその時から、背負っている罪。生命は、生という罰を受ける為に生まれてくる。生命は、それ自身が罪である。この世界に存在し、世界を認識し、世界を構成する事は、それでもう罪なのである。ならば生まれたくなどなかった。生まれてくる事が罪ならば、生命とは、罰の存在意義そのものであり、生命の為に罰があるのではなく、罰の為に生命があるのではないか。そうであるならば、生命とは、なんと哀れだろう。生命を創った神は、なんと残酷だろう。許しは、いつ得られるのか。この罰は、いつ終わるのか。最後の審判は、救済か、それとも新たな罰の始まりか。人は、神に生という罰を与えられ、その贖罪を神に捧げる。しかし、罪も罰も神が定めたのなら、こんな馬鹿げた話はないではないか。我々は、生命は、一体何なのか、何の為に存在するのか。人は、この永遠の問いの中を、彷徨い続けている。