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【随想】芥川龍之介『開化の良人』

「何しろ三浦は何によらず、こう云う態度で押し通していましたから、結婚問題に関しても、『僕は愛のない結婚はしたくはない』と云う調子で、どんな好い縁談が湧いて来ても、惜しげもなく断ってしまうのです。しかもその又彼の愛なるものが、一通りの恋愛とは事変って、随分彼の気に入っているような令嬢が現れても、『どうもまだ僕の心もちには、不純な所があるようだから』などと云って、愈結婚と云う所までは中々話が運びません。

芥川龍之介『開化の良人』(短編集『戯作三昧・一塊の土』)新潮社,1968

三浦『じゃ、僕の妻と妻の従弟との関係は?』私『それも薄々推察していた』三浦『それじゃ僕はもう何も云う必要はない筈だ』私『しかし――しかし君は何時からそんな関係に気がついたのだ?』三浦『妻と妻の従弟とのか? それは結婚して三月程経ってから――丁度あの妻の肖像画を、五姓田芳梅画伯に依頼して描いて貰う前の事だった』この答が私にとって、更に又意外だったのは、大抵御想像がつくでしょう。私『どうして君は又、今日までそんな事を黙認していたのだ?』三浦『黙認していたのじゃない。僕は肯定してやっていたのだ』私は三度意外な答に驚かされて、暫くは唯茫然と彼の顔を見つめていると、三浦は少しも迫らない容子で、『それは勿論妻と妻の従弟との現在の関係を肯定した訳じゃない。当時の僕が想像に描いていた彼等の関係を肯定してやったのだ。君は僕が「愛のある結婚」を主張していたのを覚えているだろう。あれは僕が僕の利己心を満足させたい為の主張じゃない。僕は愛をすべての上に置いた結果だったのだ。だから僕は結婚後、僕等の間の愛情が純粋なものでない事を覚った時、一方僕の軽挙を後悔すると同時に、そう云う僕と同棲しなければならない妻も気の毒に感じたのだ。

同上

『が、僕はまだ妻の誠実を疑わなかった。だから僕の心もちが妻に通じない点で、――通じないどころか、寧憎悪を買っている点で、それだけ余計に僕は煩悶した。君を新橋に出迎えて以来、とうとう今日に至るまで、僕は始終この煩悶と闘わなければならなかったのだ。が、一週間ばかり前に、下女か何かの過失から、妻の手にはいる可き郵便が、僕の書斎へ来ているじゃないか。僕はすぐ妻の従弟の事を考えた。そうして――とうとうその手紙を開いて見た。すると、その手紙は、思いもよらない外の男から妻へ宛てた艶書だったのだ。言い換えれば、あの男に対する妻の愛情も、やはり純粋なものじゃなかったのだ。勿論この第二の打撃は、第一のそれよりも遙に恐ろしい力を以て、あらゆる僕の理想を粉砕した。が、それと同時に又、僕の責任が急に軽くなったような、悲むべき安慰の感情を味った事も亦事実だった』

同上

 罪悪感に正面向いて真っ直ぐに受け止めた上で、それを乗り越えられる人間など、まずいない。誰も誰もが、それが時間に風解して消えていくまで、悩み、苦しみ、思い煩う。そして言い訳を探す。仕方無かった、他に手段が無かった、誰かを救う為だった、誰かがやらなければいけなかった。それら後悔や反省によっても傷が癒えない時、人は思考の方向を変える。攻撃の対象を己から相手へと変えるのだ。自分があのような卑劣な振る舞いをしたのは、自分の未熟さによるものではなく、相手がそうするべく仕向けたからだ、そもそも相手が悪いのだ、原因は相手にあるのだ、と云う思考になる。相手は憎ければ憎い程良い。だから憎むべき点を探す。自分の心を守る為に人を憎む。憎む事それ自体を目的として憎む。最早真実など問題ではない。あいつは憎まれて当然であり、憎まれて当然の相手を攻撃するのは正当な行為なのだと、自分に言い聞かせる。憎しみの果てに心の安寧を得るなんて、皮肉なものである。結局、人はどこまでいっても間違いそれそのものを認めて受け容れる事はできない。間違いが間違いではないと、失敗は失敗ではないと、そう誤魔化すのが精一杯だ。斯様に人の心は脆く、卑怯で、都合良くできている。誠実を貫く事は、理想である。だがそれは、自分の心でさえ難しいのに、まして他者との関係に於いてなど、殆ど不可能である。これは、悲しい事だろうか。いや、永遠に実現しない理想がある、それこそが、人が人に飽かず、いつまでも人を求め続ける理由となるのかも知れない。

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