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【随想】芥川龍之介『舞踏会』

 しかし明子はその間にも、相手の仏蘭西の海軍将校の眼が、彼女の一挙一動に注意しているのを知っていた。それは全くこの日本に慣れない外国人が、如何に彼女の快活な舞踏ぶりに、興味があったかを語るものであった。こんな美しい令嬢も、やはり紙と竹との家の中に、人形の如く住んでいるのであろうか。そうして細い金属の箸で、青い花の描いてある手のひら程の茶碗から、米粒を挟んで食べているのであろうか。――彼の眼の中にはこう云う疑問が、何度も人懐しい微笑と共に往来するようであった。明子にはそれが可笑しくもあれば、同時に又誇らしくもあった。だから彼女の華奢な薔薇色の踊り靴は、物珍しそうな相手の視線が折々足もとへ落ちる度に、一層身軽く滑な床の上を辷って行くのであった。

芥川龍之介『舞踏会』(短編集『戯作三昧・一塊の土』)新潮社,1968

 この星に現在何十億という人間がいて、過去には千億を超える人間がいて、また未来には恐らくそれ以上の人間がいる。そして夫々が夫々の意識を持ち、即ち世界があり、数秒数分から数年百年の間、生命活動を行い、この宇宙の一部を成していた。少なくとも、地球に生まれた人間でさえ、これ程壮大な規模の世界観を持つ事が出来る。他人を他人と認識し、他人と自分を意識の上で分かつ為には、同じ世界に住みつつも、異なる認識を持っている事を認めなければならない。認識も世界も共有してしまえば、それは同じ人間になってしまうからだ。だから一人の人間にとって、他人は常に不可解であり驚異であり、且つ僅か以上に相似を見出だせる程には近しくなければならない。誰かを好きになる時はきっと、僅かな相似が興味を招き、大きな差違が畏れと興奮を生んでいる。好意と恐怖は殆ど同じ成分で出来ているが、恰もダイヤと黒鉛の様に、結晶の仕方が違う為に全く異なるものに見えるのだ。

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