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【随想】芥川龍之介『るしへる』

悪魔呵々大笑していはく、「愚なり。巴毗弇。汝がわれを唾罵する心は、これ即驕慢にして、七つの罪の第一よ。悪魔と人間と異らぬは、汝の実証を見て知るべし。若し悪魔にして、汝ら沙門の思ふが如く、極悪兇猛の鬼物ならんか、われら天が下を二つに分つて、汝が DS と共に治めんのみ。それ光あれば、必暗あり。DS の昼と悪魔の夜と交々この世を統べん事、あるべからずとは云ひ難し。されどわれら悪魔の族はその性悪なれど、善を忘れず。右の眼は『いんへるの』の無間の暗を見るとも云へど、左の眼は今も猶、『はらいそ』の光を麗しと、常に天上を眺むるなり。

芥川龍之介『るしへる』(短編集『奉教人の死』)新潮社,1968

 光があれば影がある。影もまた、光の存在をしめす。悪魔は人の影なれば、人ある所に悪魔もある。人と悪魔は一体である。否、人と悪魔の別そのものが、初めから存在しない。表と裏、模様が違えど同じコインであるように。自己同一性を求め悩める人の子よ、コインの裏を見よ。全てコインが表を向いているからとて、裏の模様のコインを持っていないと悩むだろうか、裏の模様のコインが欲しいと思うだろうか。見えていないだけで、汝が求めるものを、汝は既に手にしているのだ。それはつまり、人は悪魔でもあり、悪魔との戦いとは、己との戦いに他ならないという事だ。望んだものだけが手に入ると思ってはならない。望まぬものも、いつの間にやら手にしているものなのだ。完璧な清純を求めるな。完璧とは何か、誰も知らないし、誰一人完璧を成した者もいない。完璧に清純な自己を求める心は、人の悪魔的側面である。もし汝の裏面を悪魔と思うなら、汝は悪魔と戦わねばならぬ。しかし悪魔もまた汝自身と思うなら、汝は永遠の戦いを終え、永遠の安らぎを得るであろう。

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