ルソー『新エロイーズ』を読む(1)
皆様、こんにちは。ルソーの著作を読み解く記事がだんだん積み重なってきました。『学問芸術論』にはじまり、『人間不平等起源論』を経て、ついにルソーの主著として名高い『社会契約論』まで読解を終えたところで、少し趣向を変えて『エミール』の魅力紹介を前回まではしてきたのでした。
さて、今回からは、『新エロイーズ』を読解していきます。何ですかその本は?と感じられた方が大半かもしれません。現在の日本でこの本をご存じの方は、きっとある程度ルソーに詳しい方でしょう。というのも、『新エロイーズ』は『社会契約論』や『エミール』と比べて知名度が著しく低い上に、Amazonなどを見ても、既に絶版でなかなか手に入る代物ではなくなってしまっており、普通に(?)暮らしていたら『新エロイーズ』と出会う機会はほとんどないはずだからです。
しかし、この本を知る人といえば、ルソーに詳しいという方だけでなく、もう一つの可能性が考えられるように思えます。それは、「文学に精通された方」です。どういうことか。
ルソーの『新エロイーズ』は、ヴォルテールの『カンディード』と並んで18世紀最高峰の文学作品と称されることがあり、事実18世紀最大のベストセラーを記録するほど人気を博した作品だからなのです。それだけ文学的に輝かしい作品であるならば、文学(特に仏文)畑の方はきっとご存じだと思うのです。
にもかかわらず、専門的に勉強した人や当時(18世紀)の一般人が『新エロイーズ』を知っていることとは相反して、現在の多くの日本人はこの作品を知らない。これほど由々しいことがあるでしょうか。・・・ということで、今回からは『新エロイーズ』の読解をしてみようと思います。
凡例
と、その前に形式的なことだけ先に書いておきます。以下、『新エロイーズ』の本文を引用することが多々あるはずです。その際は基本的に、日本語の場合は白水社から刊行されている『ルソー全集 第九巻』(1988年、松本勤訳)および『ルソー全集 第十巻』(1990年、松本勤訳)を用いることとします。もしフランス語から引用する場合はRousseau, Jean-Jacques. Julie, ou La Nouvelle Héloïse, Œuvres complètes, II, Éditions Gallimard, 1964.を用います。
上記の両著作から引用する場合は頁数のみ記載します。それ以外の文献からの引用については適宜出典を明記するようにします。
「新」エロイーズとは?
聖書に新約聖書と旧約聖書があるように、ルソーが『新エロイーズ』と名付ける以上は、この地球上のどこかに「旧」エロイーズがあるはずです(厳密には「旧」エロイーズなどないのですが)。
時は12世紀。パリの地で、哲学者アベラールと才女エロイーズは恋に落ちます。二人の永遠の愛とその顛末が、現存する手紙とともに語り継がれています(興味があれば何か本を読んでみてください)。翻って、その物語の「新」しいものが『新エロイーズ』ですから、当然『新エロイーズ』は恋愛文学ということになります。
この本で登場する新たなエロイーズ、彼女の名をジュリと言います。この才女ジュリが中心となって物語が「手紙」形式で展開されていくのです。
手紙 一 ジュリへ
ジュリに宛てて送られた手紙からこの物語は始まります。いったいどんな恋物語が綴られるのでしょうか。手紙は次のように書き出されます。
出会ってはならなかった人と出会ってしまった、だからあなたの元から逃れていかなければならないのだ、と手紙が始まります。長年付き合ったけれど馬が合わなかった?仲良く付き合っていたけれど何かの理由で別離しなければならなくなった?・・・なぜこのように言われているのでしょうか。
そもそもこの手紙の書き手(私)がジュリと出会ったのは、ジュリの母から、ジュリの家庭教師をしてやってほしいと頼まれたからでした。しかし、家庭教師として家に招かれたことがすべての苦しみのはじまりだったのです。
なぜ苦しいのか。なぜ離れなければならないのか。それは、何を隠そう私がジュリに片想いしているからなのです。
ジュリと私は毎日会っている。しかし本来は生まれも財産も甚だ違う身で、出会うはずがなかった二人だった。このように片想いに希望がない場合、普通なら慎重に振る舞って、つまり礼儀正しく退くべきでしょう。しかし、私にはもう礼儀正しく退くことなどできそうにないように思われたのです。
この窮状から逃れる方法は一つしかない、と手紙は続きます。その方法とは「私を窮地におとしいれているその手によって、私をそこから引き出してくださること」(p.18)です。
では、私はジュリのどのようなところに惚れたのでしょうか。
つまり彼女の魅力は、「いきいきとした感受性と変わることのない優しさとの感動的な結びつき」であり、「他人のあらゆる不幸に向けられる情深い憐れみの心、魂が清らかであるからこそ清らかな、あの公正な精神と繊細な趣味」です。言い換えれば、私が彼女に惚れたのは、容姿の魅力からではなく、はるかに感情の魅力だったのです。
ここがとても面白いところなのではないでしょうか。ルソーによって、時代を超えて通用しうるような形で、人間の恋愛模様が的確に見抜かれています。
人は、何によって他者に恋心を抱くのでしょうか。その一端がここに垣間見えます。容姿端麗だからその人を好きになるのでしょうか。まあ小学生や中学生ならばそう明言する(ことが許される)かもしれませんね。しかし大人になって「カッコいい人じゃなきゃ論外!」とか「やっぱり付き合うなら顔がかわいい人だよね!」と表立って言う人は少ないでしょう。あるいはそのように言う人が社会で好感を持って迎えられることはまずありません。
しかし、「うんうん、だからルソーも感情の魅力って言ってますね、ルソーさすが」・・・というレベルの話でもないところが面白いのです。ルソーは、「美貌に生命を与えるもっと強力な魅力」と語っています。つまり、「顔じゃない」のではなく、容姿の魅力があった上で、感情(現代風に言えば性格)の魅力が引き立つ、と言っているのです。「顔プラス性格」といったところでしょうか。
どちらも欠けている私なんかは「そんな欲張りなことを言われたら私はどうしたらいいんだ!」と言いたくなりますが、よく考えてみたら、誰しも顔と性格両方が魅力的な人とお付き合いしたいでしょうし、そもそも性格が良くても顔が好みでない場合はその人とお付き合いしたいと望まないでしょう。単なる綺麗事ではない形で、ルソーは人間のことをありのままによく見ているように思えてなりません(余談ですがプラトンもそのようなことを語っています)。
さて、本題に戻りましょう。
私はときに「天は私たちの趣味や年齢を一致させたように、私たちの愛情もひそかに一致させてくれたのではないか」(p.19)と考えてしまうと吐露します。なぜなら、
こういった感情を持つのも、恋に特有のことではないでしょうか。もしかしたら両想いなのではないか、そうした願いはやがて、希望へと変わっていきます。
でもそれはきっと思い違いで、単なる叶わぬ片想いだと考えている私は、次のようにジュリに要請します。「私を養いかつ私を殺す毒の源泉をできますれば涸らしてください。私の望みは、癒えるかそれとも死ぬかです。恋人が好意を嘆願するように、私はあなたの厳格さを嘆願する」(p.20)ことを望むのです。
しかし、それだけにとどまりません。恋する人の一挙手一投足を知りたい、という思いで、恋は様々なことに想像を駆り立てます。実は、ジュリが私と一緒に本を読むとき、母上かいとこの君がすこし席を外すと、とたんに態度を変えることが私を困らせていたのです。
さて、このジュリの態度はいったいどんな意図によるものなのでしょうか。次の手紙を見てみましょう。
手紙 二 ジュリへ
・・・え?ジュリから私への手紙じゃないの?そうです。違うんです。またしても、私からジュリへ手紙が送られます。
前の手紙はどうやら、思い違いをしていたと私は気づいたようなのです。あの手紙を送ったことで、わが身の不幸を軽減するどころか、ジュリの不興を買ってひどくしただけだったと気づいたのです。なぜならジュリは、手紙を受けてからというもの、人まえで無邪気に親しくするのをやめてしまったからです。
この仕打ちは私にとってあまりにも残酷で、この冷たい行為を受けて、とうとう私は「あなたの怒りの重みをもうすでに感じ取り、その最後の結果を待ち受けています。」(p.22)と、フラれることを覚悟するに至ります。
そして、次のように願います。
さて、ジュリはどのように返事を差し出すのでしょうか。なぜ冷たい行為に走ったのでしょうか。次の手紙を見ます。
手紙 三 ジュリへ
うむ、残念。またしても私からジュリへの手紙です(どんだけ書くねん)。ジュリはどうやら、私の嘆きの手紙によって平穏をかき乱されているようなのです。私にはわかる、沈黙の奥に、隠れた動揺が見えるのだ、と。
なぜなら、手紙を送ってからのジュリは、眼は下を向き、暗く物思いにふけるようで、顔のみずみずしさも失せて頬が青ざめており、快活さがなくなって悲哀に打ちひしがれているからです。
私の手紙がジュリを不幸にさせてしまった。不幸なジュリを見るのは私にとって耐え難い。
と語り、それまでの間は平穏をお返ししておく必要があるだろう、と結論します。その平穏は、明日以降はもう私の姿を見ることはない、という仕方で訪れる平穏です。
でも最期に、身を焦がした純粋な愛は生涯消えないこと、私の心は卑劣になりようがないこと、今後はわが身にささげる敬意はあなたと徳にのみ向けられること、ジュリが崇拝された祭壇が別の火によって潰されることは決してない(他の人に恋愛することはない)ことを、ぜひとも信じてほしいのだと言って、私はあろうことかジュリのもとを去ろうとします。
この文章はもしかしたら、死をもってジュリのもとから去ることを示唆しているようにも読めます。そうなるとこの恋物語の行方はいったいどうなってしまうのでしょうか。次回はこの続きを読んでいこうと思います。
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