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あまりにも芸術的な修道院宿

Convento Inn& Artist Residency 修道院宿と芸術家邸

─ ポルトガル・トマール ─

4年に一度のポルトガルの「トマール(Tomar)」の祭事に行った折、何処で宿泊しようか逡巡しているうちに祭事の運営委員会が提供してくれたホテルも満室となってしまった。処々探してみたが、4万人の町に公式発表では約50万人(?)の訪問者ということで、簡単には宿泊施設が見つからず難儀した。処々探していたら、民宿のような「修道院宿と芸術家邸(Convento Inn & Artist Residency)」を見つけた。情報が少なく当初躊躇したが、他に目ぼしいホテルもなく、名前に魅かれてここに決めた。

コンヴェント(Convento)」とはポルトガル語で「修道院」、 「アーティスト・レジデンシー(Artist Residency)」とは、「芸術家の住居」。何やら興味が急に膨らんできた。
出発前に地図で住所を頼りに場所を確認したが、明確に何処か? 分からない。
レンタカーのナビに情報を入れたところ、どうも事前に地図で確認していたのと場所が違う。近隣と思われる場所まで行き、何度かレストランや石油スタンドで尋ねたところ、近くにあることだけは確認できた。ただ言われた道には道路標示もなく、それらしき施設の看板もない。宿泊施設の近くと思われる農家の人に訊くと、「あの長く続く土壁の端の鉄の扉が入り口だ」と教えてくれた。

やっと入り口に辿りついたものの、ブザーもない。持っていた電話番号に電話しても応答がない。よく見ると、鐘に通じるとおぼしき縄紐が垂れていた。何度か引っ張り、鳴らすと鉄壁の向こうから番犬のケタタマシイ吠え声が聞こえてきた。そうこうするうちに、携帯電話に連絡があり「今、鉄の扉を開けるから待っていて欲しい」との連絡が。
やっと、その日の宿に辿り着き、安堵した。

この「修道院宿」は、18世紀半ばまでフランシスコ会の修道院であった。しかし、1755年にポルトガルを大地震が襲い、多くの建築物が崩壊し、放置されていたらしい。この修道院も廃院となり、廃墟同然となっていた。
1974年、ポルトガルの大富豪ラケレ女史が修道院を購入し、1980年頃からラケレ女史の趣味に合わせて大改造が行われ、邸宅として使用されていた。数年前、息子で芸術家のミゲル氏が相続し、あまりにも芸術的! にリノベした。
芸術家ミゲル氏はギリシアに住んでいて、月に数日、作品制作と管理の打ち合わせに修道院宿に来るらしい。彼がいない時に部屋を民宿のように貸している。その話を聞いて、最初に携帯電話に連絡を取った際に直ぐに応答がなかったのも合点がいった。電話連絡はギリシアのミゲル氏に通信され、そのためにフィード・バックが遅れたのだった。
鉄の扉が開き、修道院の敷地に入ると、坂の上の修道院の建物が目に入る。白壁に土色の修道院の側壁に窓辺を石で飾っている。雰囲気があり宿泊施設も期待できそうだ。建物の入り口ともなっている旧修道院教会に入ると、まるでアート・ギャラリー。教会の壁から祭壇、至るところに現代アートの作品が並ぶ。旧教会の上階の貴賓席は芸術家ミゲル氏のアトリエになっている。

旧教会から修道院の回廊へ。現代美術に呆気にとられてしまったが、回廊に入り、修道院であったことを再認識。回廊に面して、レセプション室、談話室あり、サロンあり、そしてミゲル氏の画廊も。

回廊に面したレセプション。
宿泊客が少ないのに、何と広く贅沢なことか! この日は私だけのようで逆に心配になってきた。
臆病者の私は教会内の墓石や修道院付属の墓地などに寒気を覚えることが多い。
アズレージョの青いタイルが何ともポルトガルらしく、不安を和らげてくれた。

客室への廊下。ここにもミゲル氏の絵画が。中には、どう考えても修道院には相応しくないような作品も。

客室は、スタンダード・ルーム5室とスイート・ルーム1室のみ。スタンダード・ダブルの部屋も25平方メートルと大きい。
浴室は小さ目だが清潔でお湯もフンダンに出るので申し分なかった。

スイート・ルーム。家族用で4人でも泊まれる。浴室・トイレが6畳近くあった。ここにも芸術家の美的センスが満載。
小さなサロン風になっていて、何故か本棚もある。

回廊に続くサロン。サロンの中央にはラケレ女史の肖像画が掛けられていた。

レストランはないが、朝食は用意してくれる。
台所は、レストランもできるのでは? と思うほど大きく、充実していた。新鮮な各種の果物が美味しかった。

修道院時代からの食堂、今はオーナーのミゲル氏が戻ってきた時のみ使用とか? 昔の読経席が壁に造られていた。
修道院時代には、食事中に修道士の一人が読経席で聖書を呼んで聞かせていたらしい。ラケル女史の時代からは、ここでバイオリン、弦楽器などを弾いてもらい、食事中のバック・グランド・ミュージックにしていたとか。金持ちの発想は常人には考えられないことが多い。

施設の至る所に、聖像、聖画がある。ふと、建物が修道院であった時代を思い出し、敬虔に手を合わせ、身も心も引き締まる瞬間だった。

広大な庭にはプールもある。無論、近年築かれた。
ここからの夕日、そして平原の中央をリスボンを河口とする「テージョ川(o Tejo)」が流れる。建築技師エッフェルの弟子たちが設計した美しい鉄製の橋が遠くに見える。春から秋にかけて広大な庭に様々な花々が咲き乱れる。

主人の不在が多いので管理人「ジュアン・ペデラス(Juan Pederas)」氏が一人で掃除、洗濯、予約管理、朝食準備など「修道院宿」全般の切り盛りをする。ジュアンさんは、英語、フランス語、ドイツ語を話す「ポリグロット(Polyglot=多言語)」なので心強かった。

Convento Inn& Artist Residency
住所 Conventinho de Santo Antonio,s/n Ponte da Chamusca 2140-309 Pinheiro Grande
Chanusca 郊外 ポルトガル
+351 9637 12211 
http://convento.pt/

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