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週末の祖母は偉大だった

 noteの投稿企画、「家事分担の気づき」への投稿記事になります。この企画をみて、自分が社会人になるまでお世話になった「週末の祖母の家事」を思い出しました。今回は、家事の内容を振り返りつつ、週末の祖母は偉大だったことについてnoteを書きました。


私の両親に週1日時間をくれた

 私が幼いころから、我が家は父方の祖父母の家が近かったこともあり、毎週土曜日は1日祖父母の家に行っていました。祖父の方は自由奔放な性格で、土曜日は一人で遊びに行っており、もっぱら祖母が相手をしてくれていました。だいたい行きは一人で歩いて向かい、午前10時くらいから午後5時まで祖父母の家で過ごし、帰りは父親が迎えに来ていましたが、中学生になって以降は一人で帰るようになりました。私自身は、祖母の家で楽しく過ごしていたので何の不満もありませんでしたが、これは同時に私の両親にとってもありがたいことだったと思います。
 今、自分が子どもを授かり育てている中で、「1日、夫婦だけの時間が取れる」ことがどれだけ難しく、ありがたいものなのかを実感しています。祖母は、私の両親に毎週1日夫婦だけの時間をくれていたのだと思うと、とてもありがたい存在だったと思います。

夕飯のお弁当を作ってくれた

 毎週1日、子どもの私を預かってくれただけでなく、私が来た日は必ず家族の夕飯になるお弁当を作ってくれていました。毎回自宅から持っていっていた、大きなリュックにお弁当を入れてもらい、自宅まで帰っていたのですが、これがなかなか大変でした。おでんの時は鍋ごとリュックに入れていたので、背負うと鍋の縁が背中に当たって痛かったですし、唐揚げの時は出来立てを入れてくれたので、背中が火傷しそうなくらい熱々で、カチカチ山のタヌキになったようでした。
 とはいえ、祖母の作ってくれる夕飯お弁当は絶品で、いつも家族で美味しく食べていました。料理という「メニューを考えて、買い物をして、調理する」複数工程の家事を祖母がやってくれたので、両親はとても助かっていました。

一番偉大だったのは、いつも上機嫌だったこと

 毎週末、子どもの私を1日預かってくれて、かつ夕飯のお弁当を用意してくれた祖母は間違いなく偉大でした。その上で、私が一番偉大だと思ったのは、「いつも上機嫌だったこと」だと思います。
 私が祖父母の家にやって来ると、いつもニコニコして「いらっしゃい」と言ってくれましたし、お弁当を作っている時は機嫌良く歌を口ずさんでいました。不機嫌であったことは一度も無いと自信をもって言えます。子どもなりに普段の生活で疲れを感じていた私にとって、いつも上機嫌で迎えてくれる祖母のいる家は、家でも学校でもない、とてもありがたい癒しの場所でした。
 今の自分は、仕事と育児を両方やっている中で、いつも上機嫌とはいきません。子どものお世話も夕飯づくりも、とても大変で時には不機嫌になることもあります。だからこそ、自分が子どもの頃にいつも上機嫌で迎えてくれて、預かって夕飯づくりもしてくれた祖母は、本当に偉大だったと思います。

#家事分担の気づき

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