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推理小説で読む日本史1 内田康夫『須磨明石殺人事件』

 まずは旧石器時代をテーマにした推理小説を探してみたのですが、なかなか見つかりません。『岩宿遺跡殺人事件』みたいな本が存在することを期待していたのですが。
 かろうじて見つけられたのが、明石原人をテーマにした内田康夫の『須磨明石殺人事件』。明石原人といえば、かなりの確度で原人ではなかったことが確定していますが、日本で初めて旧石器時代の存在が議論されるきっかけになった重要な人骨ですから、旧石器時代がテーマであると言って差し支えないでしょう。

 物語は、明石原人について取材していた女性記者・前田淳子が行方不明となるところから始まります。その女性記者が所属していた新聞社から依頼を受けて、捜査に当たるのがフリーのルポライターにして名探偵の浅見光彦です。

 浅見光彦シリーズといえば、魅力的なヒロインの存在も欠かせません。淳子の大学の後輩に当たる女子大生・由香里が浅見とともに淳子の行方を追います。
 浅見光彦の捜査はあまりに手際がよく、淳子の失踪直前の行動が次々と明らかになるのですが、そこで浮かび上がってくるのが「明石原人研究会」の存在です。淳子がこの研究会を取材していたことを知った浅見は、研究会メンバーを訪ねて聞き込みをします。

「八木というと、明石原人の発掘場所の近くですね」
 由香里が目敏く気づいて、言った。
「そうや、そんな関係で、松木君も少年のころから直良先生に憧れて、わしらの仲間に入ったいうわけやな」
「直良先生というのは、どなたですか?」
 浅見が訊くと、巖根はジロリと軽蔑した目をこっちに向けた。
「なんや、あんたルポライターのくせして、直良先生も知らんのかね」

 明石人骨の発見者である直良信夫(なおらのぶお:1902~1985)の名が登場し、考古学ファンとしてはニヤッとしてしまう場面です。一般には知られていない名ですから、浅見も知らなかったという設定になっていますね。
 直良信夫は昭和6(1931)年に明石人骨を発見し、これが原人のものではないかと話題になったものの、晩年に新人のものと断定され失意のうちに世を去った薄幸の考古学者です。
 しかし、直良の発見が
「1万年以上前に日本列島に人類が住んでいたのでは」
つまり
「日本にも旧石器時代があったのでは」
との議論を巻き起こし、その後の相澤忠洋による岩宿遺跡発見につながっていくわけですから、考古学史を揺るがす重要な発見だったといってよいでしょう。

 ここからは、この「明石原人研究会」を中心に事件が展開していきます。浅見は由香里とともに西八木海岸を歩きながら捜査します。

 なんだか、殺人事件を調べていることを忘れてしまいそうな、のどかな会話を交わしながら、「明石原人発見地」の標識のある角を曲がってから、かなり歩いた。
(中略)
「直良博士が明石原人の骨を発見した当時は、この辺の海岸はどんどん浸食されて、崖がつぎつぎ崩れていっていたのです。それで、直良博士は雨が降った翌日なんか、朝早くから海岸を歩いて、崖の断層の中から、何か出ていないかを調べて歩いたそうです」
 砂浜の幅はせいぜい二、三十メートルぐらいしかない。たしかに護岸堤がなければ、陸地は際限なく、波に浸食されつくしてしまいそうだ。

 著者はしっかりと西八木海岸を歩いて取材したのでしょうね。嵐の後などにいかにも遺物が出土しそうな地形です。しかし、直良が人骨を発見した西八木海岸では追加の調査が何度も行われたにもかかわらず、結局人骨は出土しなかったようですね。

 小説の中には、しっかり観光を楽しむ場面もあります。浅見と由香里が捜査の合間にお好み焼きを楽しむ場面です。

 離宮庵はその名の由来どおり、離宮公園の正門の真正面、離宮道の丁字路の角にある、日本料理屋風の小粋な店で、こんなお好み焼き屋は、東京辺りでは絶対にお目にかかれない。造りもシックだが、中に入ると調度品類が明治大正時代を思わせる、ロマンチックなものばかりでしゃれている。
(中略)
 ジュージューと派手な音をたてて、たっぷりソースを塗りたくり、かつおぶしや青海苔を振りかける。香ばしく焼けたやつを、平たいヘラみたいなので切って、口に運び、「あつつ、あつつ」と食べる。

 調べてみると、この離宮庵は今も営業しているようです。地元で有名なお店なんでしょうね。行ってみたいです。

 さて事件の方は、内田作品としては非常によくあるストーリー展開でした。「ああ、例のパターンだな」といった具合です笑。
 内田作品の熱心な読者ならば、さりげなく一行だけ触れられている出来事が、
「ああ、これが伏線で、動機につながるんだろうな」
と読めてしまうところでしょう。「犯人当て」だけでなく、そうした「伏線当て」も含めて楽しめると思います。

 こんな具合で旅情ミステリーを時代順に紹介していきたいと思います。
 次回は縄文時代です。

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