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「今日、大切な人に”大好き”を伝えよう」明日では遅いかもしれない

イスラエルのガザ侵攻に、胸が潰れるような思いで毎日ニュースを見ています。

間も無くパレスチナ人側の被害は1万人にも到達するというのに、国際社会は何ら手立てを講じることもできず、多くの民間人、特に子どもが犠牲になっている現状。


母親を失い、自身も大怪我を負った小さな男の子が
「僕、悪いことしていないのにどうして?」
と泣き叫んでいるのを見て、胸が張り裂けそうでした。

先週お話しを伺ったパレスチナのNGOの方の話では、
ガザ地区に住む人々はすでに、
「どこに逃げれば死なずにすむか」
ではなく、
「どこで、誰と、最期の日を迎えたいか」
でその日1日を過ごしている
のだそうです。

ガザという天井のない狭い監獄で、域外へ逃げることもできず、空から昼夜関係なく雨あられのように浴びせられる砲撃。国連の施設も、学校も、病院も、安全なところなど一つもない。

さして外交力も持ち得ない日本の外相が、アメリカのご機嫌取りでイスラエルを訪問し、イスラエル人とハグなどしている場合ではありません。


あれほどの惨劇にも関わらず、自分ひとりでは何もできないことに、無力さを感じずにはいられません。


「民間人の…特に子どもの犠牲が無くなり、早く戦争が終わりますように…」
こう心から願うとともに、私の心の中からじわりじわりと血管を通して身体中を駆け巡った思いは、
「今日も愛する人に、”大好き”を伝えよう」
ということでした。


昔から雑念だらけだった私ですが、
実はある時から、誰かを嫌ったり、悪口を言ったりしてネガティブな気持ちでいることに人生の大切な時間を使うことをやめました。

私の大親友でもあった母が病気であっという間に天国へ行った時、
母は身をもって「人生はいつ終わりが来るかわからないよ」ことを教えてくれました。

そして今、こうして私がnoteを書いているこの瞬間も、ガザでは200万人もの人々が、「数分後には自分の人生は終わるかもしれない」と、死を覚悟し、愛する家族とともに一瞬一瞬を大事に過ごしています。



私たちのように幸運にも平和な国に住んでいても最期の瞬間を迎えるのはいつか、など誰にもわかりません。

50年、60年後かもしれない、だけど3年後かもしれないし、3分後かもしれない。病気だって事故だって、何が起こるかなんて誰にもわからないけれど、ついつい、”永遠に生きるかのように”生きてしまいがちです。

だけど、どんな大富豪にも、独裁者にも、「死は必ずやってくる」という厳然たる事実。


ふいに、ネガティブな感情に支配されそうになる瞬間、私は
「でも、このあと突然日本が戦争に突入したりしたら、
こんなこと超どうでも良くなるんだろうな」
と考えたりします。
そうすると、思い悩んでいたことがバカらしくなってしまいます。

感情そのもの、それ自体には良いも悪いもないですが、私はやはりネガティブな感情でいる自分よりも、「人を大切にしたい」「大好きな人に愛を今すぐ伝えたい」こんな気持ちで生きている時間をたくさん持ちたいなとおもうのです。


今日いち日、1回でも大切な人に愛を伝えましたか?
家族でも、友人でも、仕事の同僚でもいい。
言葉じゃなくて、態度でも、眼差しだけだっていい。


今日生きて朝起きられたことは、当たり前のことではなく、「有難いこと」
今日、私が何気なく過ごした1日も、世界の誰かが胸をかきむしるほどに「生きたい」と願った1日。


大切に、今日を過ごそうと思います。


最後までお読みいただきありがとうございました。


1日も早くこの悲惨な戦争が終わり、子どもたちの笑顔がひとつでも多く生まれますように。



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