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自分の正しさを確認する以上のものが、そこには

僕にとって、「ふるさと」と呼ぶことのできる場所は沢山ある。生まれた関東地方はもちろんそうだし、たった1年間住んでいただけのロンドンも、僕にとっては大切なふるさとの一つだ。

釧路は、そんな幾つものふるさとの中でも、どこか特別な意味を持っていた。中学校を卒業してから10年間、帰ろうと思えば可能だったのに、そして帰りたいという気持ちは十二分にあったのに、どこか避けつづけてきた場所でもあったからだ。

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当時、家から歩いて15分ほどのところにあったこの海岸に来ては、一人で何をするのでもなく海を眺めるのが好きだった。小学校のときに友人に連れて行ってもらってこの場所を知ったのがきっかけだったように思う。

中学校を卒業し、本州へと引っ越すことになったとき、僕はこの場所に来て、「自分が何かを成し遂げたときにここに戻ってこよう」と心に決めた。中学校3年生にしてはいかにも老成していたのだろうが、妙に頑固だった僕は、その決意を守りつづけてきた。自分でも驚くくらい、時々、おかしなことにこだわるのが僕という人間なのだった。

けれども今回、(特に何かを成し遂げたわけでもないのに)帰ろうと決めたのは、僕の人生におけるとある大きな決断に、十分に自信を持つことができなかったからだ。

あまりそういうことはこれまで多くなかったこともあり、帰ってみても良い時期なのかもしれないと思ったことが、10年ぶりの帰省の理由だった。

帰省にあたり、あの海岸に行くだけでなく、自分の抱えている気持ちを誰かに相談したいと考えた。当時の恩師たちが幸いにもまだ管内(北海道は広大なため、より小さな単位として存在している)におり、急遽電話でアポをとった。

小学校6年生の時の恩師と中学校3年間の部活の顧問は、偶然にも同じ学校にいて、2人とも管理職に就いていた。この2人はそもそもタイプが真逆といってもよく、小学校の恩師は大きく構えた温かな人柄であり、中学校の恩師は厳しく、そして尖っていた。

中学校に進学したのち、生徒会の役員をしていた僕はその顧問から「両立するならば、他の選手のように練習に充てることができる時間が減るのだから、レギュラーにはなれないと思え」と通告を受け、とても悩んだ時期があった。

困り果てた僕は小学校の恩師に手紙を書いたところ、なんと突然、その恩師が自宅まで訪ねてきてくれ、相談に乗ってくれたのだった。

そういった意味でも、この恩師2人が同じ学校にいるということは不思議な感覚になるのである。

10年ぶりにあった恩師(たち)は、それぞれが歳を重ね、より落ち着いた雰囲気を僕に感じさせたけれど、根本的には何も変わっていないように見えた。

当時のことを懐かしく語りながら、僕は自分がいつも以上に感傷的になっていること、そして自分の決断をより落ち着いて見つめることができることを感じていた。それは、思春期の多感すぎたであろう僕を受け止め、支えてくれた恩師の存在が自分にとっていかに大きな存在であったのかを、今になって僕に実感させる感情でもあったのだった。

小学校の恩師は、僕に「(教師として)自分の子どものように子どもを大切にすることができなくなったら、終わりだと思っている」と語ってくれた。その言葉は、単に言葉としてそう語られたという以上のものを僕に感じさせたし、小学校を卒業して10年以上経っても、この先生は僕を自分の子どものように愛し、支えてくれているのだということを気づかせてくれた。

印象的だったのは、この先生が突然僕に、「色々と手紙をもらっていたのに返さなくてごめんな」と謝ってくれたときのことだ。僕は確かに毎年年賀状を出していたが、あまりにも返信がなかったため、引っ越すなどしたのかもしれないという気持ちと残念に思う気持ちが合わさった感情の中で、ある時から出すことをやめてしまったのだった。

先生は僕に、「手紙にみんながいろいろなことを書いてくる。けれども、それがなくなったときに、きっと君たちはいろいろな悩み事を1人で受け止められるようになったんだろうなって。そうなってほしかったから、返事は出さなかったんだ。だけどみんなからもらった手紙は今でもすぐ手に届くところに置いてある」と語ってくれた。直接話したからこそわかることだろうし、当時返信がないことを残念に思って出すことを止めた僕の気持ちを、そんな風にポジティブな願いとともに説明してくれることが、嬉しかったのだった。

中学校の恩師は当時の自分が生徒に対して厳しかったことを認め、また、その時と比べてだいぶ丸くなったことを振り返りながら、「社会に出たときに、簡単には折れてほしくない。良い意味で『こんなもんなんだなぁ』という納得のようなものを持つことは強さなんじゃないか」と語ってくれた。当時の僕は恩師のことを半ば恨めしく思ってもいたが、特に大人になってからは、当時の厳しさがなければもっと傲慢な人間になっていたのではないだろうかとも思うようになった。当時、僕の心は確かに折られたけれど、そのおかげで少なからず恩師のいう強さのようなものを身に付けることができているのではないか、そう振り返っている。

僕は俗に言う優等生タイプで、できるだけリスクはとらない、無難に勉強をして、テストでは学年でも5番以内には入る。そんな中学生だった。当然怒られることもほとんどなかったし、先生に頼りにされることの方が多かったと思う。けれどもこの先生だけは、僕に対して厳しく、力強かった。理不尽だと思うことも多かったけれど、その力強さは浮き足立ちそうな僕を落ち着かせてくれていたと思っている。

そんな、当時は語られなかった裏話(?!)を聞きながら、僕は「なぜ急に帰ってきたのか」という問いに対して自分の感じている迷いをシンプルにぶつけてみることにした。けれども、言葉にして語ってみると、そこには実は迷いなどなかったのではないか、そんな風に思えたのだった。

自分の中での決断はすでにあって、その正しさを確かめたかっただけなのではないか、と。

けれども同時に、その決断を揺さぶるくらいに、「その決断で良いの?」と言ってくれることを待っていたのではないか、と今日になって考えた。

それは、帰京する直前に、思い立ったように中学校3年間の担任に会いに行ったときの感情だった。大学院の修士課程まで出ている中学校の担任は、僕が自分の決めた内容を話すと、「8割はもったいないと思っている」と伝えてくれた。そのときに感じた気持ちはうまく言語化することが難しい複雑なものだったが、どこかでそういった言葉を待っていた自分がいたのだろう、ということを自覚させてくれたセリフでもあった。

僕にとって中学校3年間の担任は、3年間お世話になったけれど、今回登場する3人の恩師たちの中では一番印象が薄かった。もちろん印象に残るエピソードはたくさんあるが、特にこれ、といって語ることができるものがないな、そんな風に思う先生だった。

けれど、25歳になった今再会してみると、僕の気持ちを揺さぶる感情をたくさんくれる先生だということに気づかされた。この先生だけが、僕が釧路に「帰ってくる」という言葉を使っていたことに気づき、興味を示してくれた。この先生だけが別れ際に、「死ぬなよ」と言ってくれた。当時、長期休みの前にこの先生は必ず呪文のようにこの言葉を繰り返していて、僕は「死ぬわけないじゃん」くらいに思っていたけれど、その言葉の裏にきっといろいろな経験があるのだろうな、と感じる今では、その言葉を発する先生の気持ちが少しだけわかる気がするのである。

そうやって3人の恩師に会いながら、僕は10年前の海岸に帰ってきた。津波や地震があり、きっと細かいところで変わってしまったところはあるのだろうけれど、僕にとっては10年前と変わらない、太平洋を一望できる海岸だった。

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水平線の向こうに沈もうとする夕陽を見ながら、先生との話を振り返り、僕の心の中にはなんとも形容し難い満足感が溢れていた。先生にとってはもちろん長い教職人生の中で数年をともにしただけの子どもなのだけれど、それ以上の愛をもらっていたことを確かに感じたからなのだと思う。そしてどんな時でも、どんなに急でも、あたたかく迎え入れてくれ、僕の成長を喜んでくれることに、他では感じることがない安心感を覚えるのだった

その安心感は、あの海岸にいるときにも同じだった。もしかすると、釧路という街が僕にそんな安心感を与えてくれているのかもしれない。10年留守にしていても、そんな風に安心させてくれる、あたたかく迎え入れてくれる。そんな場所があることに、感謝せずにはいられない。

小学校の先生が食事に連れて行ってくれた。先生の車の後ろについて運転しながら、そんな歳になったのだなぁと不思議な気持ちになった。

誰しも歳を重ね、当時は気づくことができなかった、気づこうとしなかった想いや愛に気づくことができるようになるのだと思う。

誰しも歳を重ね、当時は分からなかった言葉の意味、重み、その裏側にあるその人の想いに少しだけであっても寄り添うことができるようになるのだと思う。

「お互いに歳をとったね」という事実を確認するだけの言葉の裏側を説明するときには、そんな風に語れるんじゃないだろうか。

釧路へは、僕の決断を確かめるために行った。

けれども、10年前には気づくことができなかったこと、知り得なかったこと、たくさんの愛を、人や場所から感じることができた。それは僕がそこに暮らし、その人や場所と時間を紡いできた確かな証でもあるように思っている。

次は10年経たずとも、帰ることができそうだ。今度はそんなに肩肘を張らずに、僕にとっての大切な人と。きっと、同じように愛情を与えてくれる人や場所が待っている。

そのとき、僕はあの海岸でどんなことを思って、同じ夕日を眺めるのだろうか。




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