パーちゃん

波瀾万丈、疾風怒濤、七転八倒、栄枯盛衰、悲喜交々、有為転変、紆余曲折、奇妙奇天烈、摩訶…

パーちゃん

波瀾万丈、疾風怒濤、七転八倒、栄枯盛衰、悲喜交々、有為転変、紆余曲折、奇妙奇天烈、摩訶不思議、出前迅速、四捨五入な日常や思いついたことをつれづれに書きつづっていきたいと思います

最近の記事

立候補・・・

「支持政党なし」というまぎらわしい名の団体が立候補して、「政策もいっさい無し」だそうで・・・あまり政治的なことではなく、個人的な過去の出来事を書いていきます。 中学二年の時・・・今なら厨房、厨二房とか言われる頃。小学生の頃からの親友の思いを寄せていた女の子が、生徒会の副会長に立候補しました。当時はまだまだジェンダー・フリーという言葉すら無く、会長は男子生徒で副会長が女子生徒ということが決まっていました。もし生徒会長になれば毎日のようにその女の子と一緒にいることができるという

    • 初恋

      今でもその情景が目に浮かびます。 保育園で下駄箱の前にある女の子と、優しく暖かい日差しを浴びながら仲良く並んで座っていました。 ボクと同じでくせ毛の強いショートカットに、ミルキーのぺこちゃんみたいなほっぺた。目がクリクリしていて、ちょっとおませな子。 「大きくなったら結婚しようね~」 と、約束したことまで覚えているのに、肝心の名前が思い出せない。 卒園アルバムからも見つからないので、途中で引っ越ししてしまったのかも? 本当に淡く思い出の中にだけある、純粋な初恋でした♪

      • 扇風機

        自分にはまったく記憶がないのですが、数年前に母親から聞かされたこと。 ある日、実家裏のアパートに住む若い男性に幼い頃の自分が尋ねたそうで、 「おじちゃんはどうして小指が無いの?」 「坊主、これはな、扇風機に指を突っ込んだら切れちまったんだ!  坊主も扇風機に指入れると、こうなっちまうぞ!」 と母親が笑いながら他の人に話していましたが・・・ 高校時代にスタジオを借りることができなくて自分の部屋にドラムセットとアンプを持ち込み、クーラーが無いから窓全開でバンドの練習して

        • ミニカ?ミニカー?

          前回「ミニカー」ではなく「ミニカ」と書いたのは意図的なことで、画像がすべてを物語っているかと思います。 実際に自分もずっとミニカー+トミカ=ミニカだとばかり思っていて、「子ども言葉」の類とばかり思っていました。そして数年前、何となく検索したら・・・見事にヒットして目が点になりました! 1976~79年頃に國際貿易が輸入総代理店で國際マテルが販売元となり、赤い日本語パッケージで「ミニカ」という商品名で販売された・・・そうです<Wikipedia「ホットウィール」より クル

        立候補・・・

          おねだり・・・

          デパートへ行くたびにオモチャ売り場で買ってもらったのがミニカ。 まだ怪獣が世間に受け入れられていなくて、欲しかったウルトラマンに出てくる怪獣のソフビ人形はキラキラしたデパートの店頭には無かったような気がします。その代わりミニカーや積み木、ブリキのオモチャといった昔ながらのオモチャがショーケースの中で誇らしげに並んでいました。もちろん毎回大きなものは買ってもらえないので、手の中に収まるミニカを一台ずつ祖母におねだりして買ってもらい喜んでいた記憶があります。そのうち自分の宝物を入

          おねだり・・・

          お子さまランチ

          当時はファーストフード店も無ければファミリーレストランも無く、デパート屋上レストランでのお子さまランチが子どもの頃の一番贅沢な外食でした。 真っ白なテーブルクロスと普段見たことのない大きなガラス製の水差し、クリスタルガラス製のコップにピッカピカに光っているステンレス製の紙ナプキン差し。子どもですから天井がすごく高く感じて、否が応でも緊張し大人しく座っているしか仕方ありません。もちろん今のファミレスのように走り回ったり騒いでいる子どもも皆無で、大人の世界に連れてこられた子ども

          お子さまランチ

          待ち合わせ

          母親に手を繋がれて路面電車で栄町に行き、オリエンタル中村(現:名古屋三越本店)の正面玄関に向かいます。現在は三越の象徴になっているライオン像がありますが、当時は黄金のカンガルーが立っていて待ち合わせをしている人でごった返していました。 まだ子どもで背の低かった自分にとって、同じ目線にある子どもカンガルーは待っている間の話し相手だったかもしれません。だからライオン像より、よっぽど愛着があります。そうこうしていると祖母がやってきて、襟を正し緊張した面もちで百貨店に入っていくので

          待ち合わせ

          薦められて食べてみました♪

          セブンイレブンの焼き菓子「フロランタン」が、ことのほか美味しい!ということで買ってきました♪ チロルチョコぐらいの正方形が8個入っていて300円とは、ちと高いかなと思いつつ一口食べると・・・シロップでコーティングされたスライスナッツの甘く香ばしい風味に、ミルフィーユのように何層も重ねられたパイ生地のサクッとした食感がとても調和していて一口で食べるのがもったいないくらい。見た目は小さくても、食べ終われば十分満足できる一品でした♪ これだけでコーヒー4杯はいけるなと<それは飲み過

          薦められて食べてみました♪

          百貨店

          今は高校生が学校帰り気軽に立ち寄るデパートですが子どもの頃、「百貨店に行く」というのは一大イベントでした。母親は訪問着の和服で自分は七五三に行くようなブレザーにシャツ、よそ行きの革靴を履いて出かけたものでした。 当時は名古屋にも路面電車が走っていて、父親に仕事に行くついでに駅まで乗せていってもらい母親と路面電車で、名古屋の中心地で繁華街になる栄へ出かけたものでした。現在は名古屋三越になってしまいましたが、昔はオリエンタル中村という名古屋だけの百貨店です。他にも松坂屋とか丸栄

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          母と出かけた思い出・・・

          地元、名古屋駅の地下街で着物を着た母に手を引かれて、アニメ映画「空飛ぶ幽霊船」を観に行ったのが一番古い記憶。後でTVで何度も再放送されたので映画の内容は今でも分かっていますが、当時の記憶は斜め上に母親の顔があり手を引かれて人混みの中でもみくちゃにされた感触だけが残っています。 この映画、4歳の頃に公開された「東映マンガ祭り」の一本。原作は石森章太郎で、作画スタッフにはまだ若かりし頃の宮崎駿夫が参加していました。主人公の声はドラゴンボールの方の悟空役でおなじみの野沢雅子・・・

          母と出かけた思い出・・・

          一番古い記憶・・・

          白一色の病室。 ベッドの上にはブリキのレースカー。 白くガサガサする布団の感触。 傍らで座ったまま眠っている祖母の姿。 レースカーには手塚治虫のTVアニメ「悟空の大冒険」が書かれていました。1967年の作品だから、2歳の頃のようです・・・

          一番古い記憶・・・

          全然、使い方が分からない・・・orz

          全然、使い方が分からない・・・orz

          P-ZONE

          ようこそパーちゃんの世界へ♪ バイク、映画、アニメ、オモチャ、プラモ、グルメなどありとあらゆる趣味が混沌とした空間です。では、お楽しみください・・・ http://homepage2.nifty.com/P-ZONE/