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ちからをぬいていいんだよ


「先輩はいつも考えすぎなんですよ…。もっと力を抜いて気楽に生きたらいいのに」

看護師4年目(25歳)のときに、2つ下の後輩から言われた。

その通りだ…

わたしも、そんな自分のことを「めんどくさいなぁ」って思っていたから、言われても仕方がないと納得した。


今ふりかえると、
20代、30代のころがいちばん無気力だったし、こころの余裕もなかったと思う。
子育てと仕事以外のことに対して全くやる気が起きなかったから、
洗濯物もおもちゃも絵本も…散らかっていてもそのまんま。

仕方ないよね…
目の前の現状を『諦め』と言っていいのかよくわからないけど、
そのときはこの解釈しかできなかった。


40代になってからも
自分を大切にする』ってどうしたらいいのかわからなかったし、
自分を好きになる』って感覚もピンとこない。
そして、行動できなかった自分を責める。


そんな自分を周りには見せたくなくて、誰にも言えず
変われない自分にいつもひとり悶々として
家に閉じこもってはゆっくりとこころのコップが満たされるまで
じっと耐えていた。


本当のわたしは、

人前で話すのが苦手で
とくに初対面は緊張するし
心配性だし
優柔不断だし
失敗を引きずりやすい…

繊細で自己肯定感がめちゃくちゃ低い。

そんなわたしをすべて隠したかった。
特に職場では、その思いが強くて
いい人を演じていたのかもしれない。


常に気を張って過ごす毎日を過ごしていた。

だから家に帰ると、強烈な疲労感が襲ってくる。
帰宅してから休息を1時間程とらないと、夕飯の準備に取り掛かれない。こころも体も疲れ果て、冷たいキッチンの床で眠ってしまうことも多かった。



わたしは、そんな生き方を捨てた。

4月から、わたしは真っ白になった。


44年間生きてきて、今までにいろんな選択を行ってきたけど
結局、人に流される人生を歩んできたんだと思う。

小さいころから
何か課題を与えられて、それと淡々と、完璧にこなすことは得意だった。
けれど、
自分に自信がなかったから
自力で切り開いていくことができなかった。

今は、一番大切な『わたし』に寄り添うことができている。
だから、自分自身に優しい言葉もかけるようになった。

ちょっと待って、
休むことも忘れないで。
ゆっくり付き合っていこう。
休んだっていいじゃない。
焦らずに自分のできる範囲でやっていこう。

好きなこと、夢中になれることがなかったわたしにとって、
『自由』が怖くて、逆に動けなかった。


今もまだ、ぎこちないわたしだけど
うまくやろうと思わずに肩の力を抜いたら、
「気持ちいいな」「こうしたいな」って
やりたいことが見えてきた。

不完全な自分を認めることで、自分にも周りにも優しくなれた。

真っ白なキャンパスに自由に色を塗るとしたら、
淡い優しい色から塗っていく。

こころを落ち着かせながら
今日もじぶんの感覚を大切に過ごしていく。


わたしも少しずつ変わっていける。


きっと大丈夫。
力をぬいて、休み休みいこう。

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