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地方の「発展途上国」扱い

日本の都市、東京。
この東京では、かなり発展がなされ、ファッションでの独自の文化やビジネスの中心地、IT企業の集合体などの中心とも言えるだろう。

それに比べて、地方はどうだろう?これについては、地方をさらに区別をしなければならない。地方が国から思ってもないことで「発展途上国」と同等の扱いを受けているのはみなさん、お気づきだろうか??特に、過疎地域や最低賃金が、900円にも満たしていないところは、そのような形になっているかもしれない。

本論に入る前に言っておきたい。僕は地方活性化については全くの素人である。そして興味も特にない。現在は石川県の田舎に住んでいるわけだが、活性化に興味もなければ、参加しようとすら思えていない志のものである。
しかし、それを逆手にとって、客観的視点で都市と地方都市と過疎地域、いわゆる田舎を見て比べたい。

なるべくこの記事を長くならないようにするのが目標だ。

目次

僕が考えるきっかけになった本を先に書いておく(おすすめ順)

『田舎はいやらしいー地域活性化は本当に必要か?』

『22世紀の民主主義ー選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる』

『これが「日本の民主主義」!』

ここから自論………………


田舎はいやらしい

片田舎は果たして活性化すべきなのか?

過疎地域や片田舎と呼ばれるような地方は「活性化」や「創生」という言葉がついてさまざまな議論や政策などが行われている。しかしながら、その地域に住む人たちはそれを望んでいるのだろうか?そうではないのが事実なのである。必死こいて、地方創生を考える者が行動に移して、壁にぶつかる。それが「住民の保守性」だ。馴れ合いとも呼ぶべきだろうか?リーガルハイの9話での名言にもあるだろう。

黛君よく覚えておきたまえ、これがこの国の馴れ合いという文化の根深さだ。人間は長い年月飼い馴らされるとかくもダニのような生き物になるのだよ。

リーガルハイの9話 / 古美門研介のセリフ

住民の保守性は、過疎地域になればなるほど強固になる傾向がある。住民全員が高齢者で、20人といない過疎地域の老害とも言える人たちほど、意志がかなり固い。住民の保守性は、すなわち変わることを拒む傾向にある。かなりの過疎地域でなくともある程度の田舎になってしまうと田舎では、少子高齢化の影響からくる年功序列の伝統意識が強く、そこから逸れる若者は排除される。そして、外界からの異物を拒むのだ。そうすると目に見える形で地域内の絆は無駄に強固になり、ある意味で鎖国状態に等しいだろう。

鎖国による現状維持という名の衰退

「現状維持」は衰退である。地域でも日本でも世界でも情勢というのは「成長」か「衰退」かである。そこで、現状維持は衰退に分類される。あくまでも「成長」ではないのは明確だろう。しかし田舎をはじめとした地域では、この言葉が好まれる。

現状維持は、鎖国の状態に近いだろう。鎖国はいい面もある。例えば文化の熟成や独自の教育による識字率の向上、長期的な平和などだ。しかし、日本という国自体、江戸時代に鎖国状態であったことから、日本全体としてのメリットはやり尽くしたに近い。もっと言えば、文化の熟成など過疎地域の老害たちに何ができるのだろうか?若者や馬鹿者を含めずして、熟成を望むのなら、それは熟成ではなく腐敗の1歩だ。

鎖国を解いた国は、世界に追いつくために「発展」を求める。いわゆる「発展途上国」になるのだ。1853年にマシュー・ペリーが率いる黒船が来航し、開国したきっかけとなったように、過疎地域や田舎も同様の状況だ。拒んでいる地方(鎖国の日本)が、中央政権という外界(アメリカ)の圧力により、開国をせざるを得ないという狭間に立っている。だから、現状の地方は「発展途上国」とも言えるのだ。

『田舎はいやらしいー地域活性化は本当に必要か?』

田舎を痛烈に批判した書籍が存在する。

著者は、田舎出身で田舎の企業などに勤めた経験もあることから、本質的な地域の現状・問題について、深く考察しているものがある。そして、文化人類学の知見を含めて書いているので、研究者らしいとも言える。放送大学大学院で研究しているだけある。

著者情報:1970年生まれ。SHOSAKU事務所代表。1級ファイナンシャルプランニング技能士、CFP、宅地建物取引士、管理業務主任者、マンション管理士。演出家として戯曲やシナリオを執筆し、東京都新宿区にて舞台公演を行う。また、米国(ボストン)に二年間在住し、海外四十カ国(百八十都市)を周遊。現在は放送大学大学院にて文化人類学を研究中。さらに外資系損害保険会社やハウスメーカーでの業務経験を活かし、FP相談も行っている

『田舎はいやらしい 地域活性化は本当に必要か? 光文社新書』より

日本は「発展途上国」である

日本の発展途上国化が促進されている国民性

ヒトラーの悲劇から救ったウィンストンチャーチルが残した言葉がある。

Many forms of Government have been tried, and will be tried in this world of sin and woe. No one pretends that democracy is perfect or all-wise. Indeed it has been said that democracy is the worst form of Government except for all those other forms that have been tried from time to time.
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多くの政府形態が試されてきた。そして、今後もも罪や災いがあるこの世界で試されていくだろう。誰も、民主主義が完璧だ、万能だ、とか思っていない。事実、民主主義は時折、試みられてきた他のすべての形態を除けば、最悪の政府形態であると言われている。

https://winstonchurchill.org/resources/quotes/the-worst-form-of-government/ 

民主主義国家にいる日本でもアメリカでも問題になっている地域格差や賃金の格差などは民主主義の欠点とも言える内容の1つだ。だがしかし、ここで言いたいことは別で、発展途上国になりつつある日本が存在するということだ。東京や大阪などを抜いたら日本の産業はどうなるのだろうか?もし、ここの答えでなんとなく「やばいだろうな」という感想を持ったのなら、それは正しい。すなわち、あの小さな東京や大阪という土地が発展したところで、日本全体としての向上は難しい。90%が田舎で、それがどれもこれもクソみたいな保守性を持っているおかげで、リスクを負わず、平和を求める。平和主義者ないかにも日本の国民性だが、「発展」という側面では1番の弊害かもしれない。これは民主主義からも言えるかもしれない。

先進国として土下座をしている日本は世界で老害化している

日本人も世界の中でも、日本はまだ先進国とされている。それはバブルがあって、経済成長し、GDP(国内総生産)が世界の3位となる。これは素晴らしいことだ。しかし、日本は電子・技術工作特化で、量より質で勝負してきた島国なのだ。

国単位での借金が最近、問題として取り上げられることが多い。中央政権が握る負債は信頼や返金額にしてはそれほど大きなものではない。世界の中でもトップを張るが、そこは意外となんとかなるというのが経済学者の見方でもある。(メディアが誇張しすぎている側面もある、これに何のデメリットがあるのかはわからない。)

しかし、最も価値がなく、返済できていないのが地方自治体の借金・負債だ。文化として熟成するもの、勘違いで腐敗の一歩に踏み込んでいたり、補助金で満足している田舎が多いだろう。そして、そういうところに限って、公務員の年収が他の住民より高い。それをぶっ壊しかけた鹿児島県での事件もあるくらいだ。(失敗に終わったが。)
補助金、助成金などで、成り立っている日本の田舎が一定数ある以上、日本は産業的に発展途上国と同じような扱いにならざるを得ない。田舎は、第1次産業の割合が都市と比べて、多く、その次に2次、3次となる。そして、その分、企業と地方のつながりは大きくなる。だから、選挙の時には政治家が勝つためだけに思ってもない「第1次産業に力を入れる」というような文言が増える。そしてそれが安定と思い込んでる哀れな老害や洗脳された若者がそこに投票してしまうのだ。

そのような地方都市が増え、観光業にもついても全く価値が判っていない日本が、中国に土地を買われ、追い出され、産業の開拓の道を見失っている負のロジックが露呈している。日本は、バカの集まりなことをまずは自覚すべきなのだ。

その老害が多い国は、確率論的にも統計的にも老害と化している。だから第3次産業(IT産業含む)は世界に遅れ、発展しないのだ。

ITが日本で進まないのは至極真っ当

これまで2つくらいnoteで記事を書いてきたが、その総論をここに記す。

これまでの記事

日本では、無能が無能としての自覚がない。僕もその1人だろう。ITの分野においてもまだまだ日本では偏見やクソみたいな考えが多い。

別に、ITだけが命ではない。しかし、ITを基盤として構築しなければ何もかわらない。変わろうとしなければ、田舎のままで、世界では発展途上国になり、老害として扱われるだろう。

単純な考えのやつが多い。例えば、"プログラミングを義務教育に入れるかどうか?"である。簡単に考えれば、プログラミングというものを小さい頃に大衆的に広げれば、使える人口や活用をする人口も増えるだろう、という論調だろう。しかし、果たしてそれは現実的なのだろうか?

エンジニアとしての就活や個人開発をしている身からすると、全くもって現実的ではない。なぜか?プログラミングを使う仕事に憧れが生まれないからだ。映画でのプログラマが出てきて、高速でプログラムを書いて世界を救う、なんてことはよくある。あれは本当のトッププログラマではあるかもしれないが、現実、日本でそんなことができる人はいるのだろうか?

おそらく、いないだろう。そして、そんな人は日本では、「変人」で「バカ」で「オタク」になってしまうのだ。協調性を大事にする日本人は、そんな人を拒む傾向にある。多様性のようないかにもらしい言葉が無駄に流行してしまっているのも、考えてみれば、至極真っ当である。そんなI型とも言えるスペシャリストを削ってまで、産業は大きくならないだろう。別にそれが全部の会社、全部の団体がそうなっているわけではない。だが、日本全体として、その傾向にあるのではないだろうか。

日本は魅力の自覚なしに人を殺している

日本の魅力はなんだろうか?Youtubeを見てみればさまざまな外国人が日本についての魅力について語っている。アニメ、日本の古風な文化や自然豊かな観光地、電車の正確性、原宿の最先端独自ファッションなどなど。

しかしながら、その環境で生まれた日本人は何もそれが特別だとは思わない。これでは、グローバルにも何にもならない。英語ができないとか以前の話だろう。

アニメや漫画に関して、日本では作者に対して基準が高い上に、苦しむのが当たり前だと思っている。これだけ日本の文化としての代表を担っているのにも関わらず、優遇されるところが一切ないのが現状だ。それは観光業やファッションなどについても同様だ。そして、それが苦しい道だと親から教育され、拒まれ、創造性が失われ、オタクだと村八分にされ、日本の文化は衰退していく。

クリエイターの人がどのような扱いを受けているのか、僕にはわからない世界だが、苦しいということはわかる。それは洗脳とかではなく、オーディションのような現状やクリエイターが住んでいるところなどである。もっとプロモーションが上手い人がつけば売れそうなのに…なんて人もいる。

これは、田舎でも同じだ。地域を活性化しようと出発したところで、最初に述べた保守性が多いのであれば、バカにされ、他人事にされ、活性化には程遠いことになる。そして拒まれ、うちではないところでやってくれないか?平和に過ごしたいんだ、という風になる。それがきっかけで行動に移す人はいなくなる。そして、その人を殺す。これが無意識で行われているのに恐怖を感じるのは僕だけなのだろうか。

さいごに

長くなっちゃった。どうでもいいことをつらつらと述べてみたわけですが、僕は別に地域活性化しようとは思わない。なぜか。どうでもいいからだ。だから日本を変えたいなら、成田さんのような天才が考えていることも至極真っ当で真面目に解決策となる。

考えるきっかけになる書籍(おすすめ順)


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