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野菜づくりをしていたころの食事をいまとくらべてみると

(2023.11.27加筆)

お読みいただきありがとうございます

はじめに

 6年ほど兼業で農業をしていた。わかっているだけでわたしで4代目のはたけ。すくなくとも100年以上たがやしつづけてきたところ。昨今の状況下でとりやめていた。農業委員会から今後どうするのかお伺いがきていた。

街でくらしはじめたいまはその生活からこのままはなれていきそう。もしかしたらこれから移り住む場所で条件さえととのえばはたけづくりを再開するかもしれない。そんなときのためになにを作りどう食べてきたかを記録しておこう。

きょうはそんな話。

日々がやさいづくし

 これは5年ほどまえのある日の写真。

やさいづくりをしていたころのある日の昼ごはん


ごくありふれた日の昼食。販売所にやさいをならべ、知りあいにやさいを配り、フードフェスタに参加していたころ。本業の学習サポートで生徒たちと夕方から夜にかけてまなびの場を提供。のこりの時間にはたけのやさいたち(一部果実)のせわにあけくれていた。

やさいをつくっていたにもかかわらず、店でもやしを買いつかっていたなんて。わらってしまう。こうしてたまにつくらないものを買い、おなじものばかりたべていた不満のはけぐちにしていたのかもしれない。

このこんだては、おそらく

やさいいため(こまつな、パプリカ、しいたけ、もやし*)(*は購入品)
ぶりだいこん(ぶり*、だいこん、はくさい)
もやしとはくさいのスープ
ごはん

いずれも減塩の味つけで、タンパク質は1日45グラム制限。これは昼食だが朝夕で過不足を調整。それにしてもやさいがめだつなあ。ごはんの量はいまとほぼおなじ。麦をひとにぎりくわえて食物繊維をおぎなおうとしていた。

いま思いおこすとスーパーや生協では肉・魚・とうふ・牛乳・調味料などを購入していたにすぎない。このもやしのようにやさいを買う機会はほとんどなかった。

たりないものをつくる

 じゃがいもがないなあ、じゃあつくるかと悠長にかまえていたフシがある。いつのまにやらカレーや肉じゃがの材料となるやさい、つまり常備菜はいつのまにかそろっていた。カレーすら畑のハーブや香辛料でほぼ類似のものをつくれるほどになっていたのはおどろき。

当時の記録から総じて100種のやさいをつくるまでになっていたし、季節の旬のやさいなどは店にならびはじめるころにはかならず自作のものを口にできていた。

それらはまだ店では高値がつくころ。それをふんだんにひとりじめ(家族だが)できていた。ただしいつまでもできただけたべつづけねばならなかったけれど。

おとといの食事はというと

 さて、こちらの写真は街なか生活3か月目のおとといの食事。

自作はネーブルだけのおとといの食事

こんだては、

小いわしのソテー(いわし、きゅうり)
おでん(こんにゃく、ちくわ、にんじん、だいこん、こんぶ、じゃがいも、がんもどき)
ネーブル
ごはん

 かろうじてみかんばたけにのこるネーブルがそえられている。このはたけにはネーブルと甘夏みかんがぽつんとのこり、めったにたちよらないまま管理できずに草ぼうぼう。「ひっつきむし」の種をからだじゅうにつけつつ収穫。のこりはすべて購入品。やさいはあちらこちらの店でそろえる。ちかごろ八百屋さんをみつけたのはさいわい。

歩いていける業務スーパーの冷凍いわしは重宝している。カチンとこおったままでも熱いフライパンでまるごと焼ける。さかなをまるごと骨までたべられるのはありがたい。あたまからそのままいただく。酢漬けのマリネにしていい。いそがしいときにはじつにかんたん。

おわりに

 やさいづくりを中断したいまの生活。やさいのぶんだけ出費がふえた。たしかに農業も肥料や資材などそれなりに費用はかかるがおしなべて微々たるもの。

農業の確定申告(青色)では自家消費分のやさいをしっかり計上していた。原価で計算しても年間で数万円にしかならなかった。それとくらべるといまの店で買うやさいは売値。なるほど売るにはこれだけ上乗せされるのかとよくわかる。

今後再度のひっこしを予定している。いまは仮住まいといっていい。のちにやさいづくりを再開するかどうかは皆目見当がつかない。いままでの経験を活かして、学習サポートに「やさいづくり」をくわえてやりたい方むけのサポートをしようか。

空き家のもとの家とはたけはおそらく処分にむかいそう。たとえば5年後にどこにいるかどうか、どんなくらしをしているのやら。


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