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読書記録|『韓非子 全現代語訳』本田済 訳

読了日:2024年1月27日

 古典的な中国の書物は、経(中国の国教、儒教の経典)史(歴史書)子(諸子百家の書)集(文集・詩集)の4つに分類される。「子」とは男子の美称で、孫武を「孫子」と呼び、孔丘を「孫子」と呼ぶ其れである。韓非も元は「韓子」と呼ばれていたが、唐の時代の詩人、韓愈を韓子と呼ぶようになったこともあり、韓非を「韓非子」と呼ぶことが一般化した。
 韓の公子であった韓非子の生まれは紀元前280年頃。紀元前233年、使者として隣国の秦に赴いた際に、性悪説を唱えた儒家、荀子(じゅんし)の弟子であった時代に同門にいた李斯(りし)に殺害される。秦王が韓非を気に入ったことに、秦の宰相であった李斯が嫉妬し、自分の地位が韓非に脅かされることを恐れてのことだった。

 『韓非子』は、孫子孔子の書物ほどメジャーではないが、日本の戦国武将も愛読していた言われている。一冊を通して国や組織づくり有能とそうでない者の見極め人をどう動かすか、などといったことが春秋時代、戦国時代の史実を例に挙げながら繰り返し繰り返し語られていく。中でも、『韓非子』で一貫して強調されているのが、賞と罰という意味の「二柄」である。”柄”とはハンドルのことで、君主たるものはこの2つのハンドルを正確に操り、臣下にこれを握らせてはいけない、という。臣下に二柄を握らせてしまった君主は、尽く国を削られ奪われ、民は臣下を恐れ敬うようになり、君主は威を失い、国は滅びる、と韓非子は述べている。重賞重罰こそが国を治め民を愛することだというのだ。
 人は利のために動くゆえに褒美は厚い方が民は懸命に働き、罰は重いからこそ悪事を働きにくくなる。そうなれば悪事は減り、民は安心して暮らせるようになる。性悪説を支持する韓非子によると、何も与えず何も罰せずでは民が怠け、悪事を働き、国が荒れ果て滅びるのを待つだけだという理屈がある。
 孔子などは仁愛を掲げる性善説論者で、韓非子にとっては相対する存在。そのため、『韓非子』では多くの章で孔子の言説に対する批評が挿入されているのがおもしろい。(よっぽど嫌いだったんだろう笑)

 上記は『韓非子』の一部にのみフォーカスしたが、現代語訳にして厚さ3cmの文庫本になった『韓非子』は、現代の組織作りにも使えそうなヒントがあり読み応えがある。当時もそうだったのかもしれないが、なかなかエッジの効いた古典であることは間違いない。
 訳をした太田氏は、原文の雰囲気を消さないために、わざと古めかしい文体で『韓非子』を表現してくれた。そのため、読む側としても日本の戦国時代にタイムスリップしたような気持ちで読み耽ることができるのもまた一興かもしれない。
 韓非子に初めて触れる方への読み方のアドバイスとしては、先に巻末にある解説を読むことをお勧めする。韓非子の経歴や背景、思想などの説明が書かれているので、どのような人物なのかを予め軽く把握できていると、内容が更に飲み込みやすくなると思う。

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