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読書記録|山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』

読了日:2024年2月11日

 日本という稀有な国の本質を突いた『「空気」の研究』の著者、山本七平氏が、ルソン島で日本陸軍の砲兵隊本部の少尉として体験したことを、どんな戦史よりも生々しく語る。
 いったい「帝国陸軍」とは何だったのか、何がゆえに敗戦に至ったのか、戦場を目の当たりにした山本七平氏が徹底的に分析する。

 本書の中で一番印象に残ったのは、日本的組織の在り方の根本にある員数主義事大主義である。
 「数さえ合えばそれで良い」といった、実数よりも員数優先の空洞状態。何かやってる風を装ってるだけの形だけ整える癖。項目だけを整えて実践にとは乖離した戦闘演習。物品が紛失してもそれを探したり犯人を見つけたりするでもなく「員数をつけてこい!」と言われ、言われた者は他の場所から盗んだり、どこかから代用しようとも数さえあっていればそれでいい、といった外面的な辻褄合わせの員数主義
 ある役付きの位置に置かれると、一瞬にして態度が変わる”大に事(つか)える”日本人的現象。ある組織では下っぱで気弱な素振りを見せていた者が、肩書きがついた途端、いとも簡単に今までの態度をガラリと変え威張り散らす事大主義
 この2つは日本に蔓延る病理と言ってもいいぐらいのものだ。現代の組織でもよく目にすることである。形だけ取り繕った上司への報告書(員数報告)、言葉の辻褄だけを合わせた国会答弁(員数答弁)、数字だけを並べ立てて国民を煽るマスコミ(員数報道)。組織における長い者に巻かれる態度、自分の信念や意見を持たず上の者に身を委ねる保身的態度、服従型思考などの事大主義。周囲を見渡せば日常的に目に映る光景だ。
 こういった特徴の組織に起こるのが、本書で言われるような立場が上の者による命令の私物化、”私物命令”である。上司から具体性のない数箇条の命令が降る。部下はその項目から空気を読み取り、オリジナルの解釈をする。様々な部署で同じようなことが行われるため、それぞれの部署がそれぞれにバラバラなことをし、組織全体としてのまとまりもなくなる。そうなった時の責任は一体どこにあるのだろう?上司の命令は、上司の意思のもとに発令されたものなのか、それとも実態不明な”実力者”によるものなのか?抽象的な命令の仔細は参謀長に委ねられ、更に参謀各人にわたり、参謀部員へ拡散される間に伝言ゲームさながらに内容が変化する。それが各部署で行われる。日本帝国陸軍で起こっていた”組織の自転”(と山本氏は名付ける)は、至る所で起こっていた。

 戦後、東京裁判(極東国際軍事裁判)で、他国に侵攻し、捕虜を非人道的に扱う指示を出したなどの罪で戦争犯罪人とされた人たちについて、私個人はその人たちを戦犯などと呼ぶのなら、戦争に参加した他国の兵士たちの中にもいただろうし、日本だけが裁かれるのはどう考えてもおかしい、という立場だ。しかし、日本帝国軍という組織の中で、指揮系統を無視し非人道的残虐行為独善的指導部下への責任の押し付け将校への自決の強要挙句に戦犯追及からの逃亡をした辻政信のように、大佐としてはそぐわないであろう人物が大佐となり、終戦から2年後には政治家として復帰するなど、狂ってるとしか思えないことが平然と行われていたりする日本の軍や政治組織に違和感を抱かざるを得ない。辻政信こそ、日本の組織が生んだ、員数主義事大主義の象徴的人物ではないだろうか。

 戦争当時、山本七平氏がハタチそこそこでこの帝国陸軍の実態に違和感を抱いていたのも目を見張ることだが、約20年後の昭和51年(1976)に本書を執筆した時にも日本のこの癖は変わっていなかったようだ。では現代はどうか?……
 今と当時で、日本はいったい何が変わって、何が変わらなかったのだろうか?そんな問いを今、山本七平氏が投げかけてくるように感じた。

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