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取締役会の生産性を考える

 会社員を長年やっていると、様々な矛盾にぶつかる。その中でも特にやっかいな案件は、概ね取締役もしくは取締役会絡みだ。自分は複数の会社を経験する中で、取締役会が十全な機能を果たしている場面を見たことがない。また、複数の一流と言われる大企業が、素人でも首をかしげるような意思決定を行うことがある。何故、取締役会は機能しないのだろうか。

 取締役会は言わずと知れた会社の最高意思決定機関であり、最重要の会議体である。取締役会で決議された方針や戦略が会社の公式の見解となり、事業が動き出す。即ち、ここで躓けばどんなにその後に挽回しようとしても徒労に終わる事が大半だ。

■会社経営における生産性向上の圧力

 会社経営において、生産性は常に重要な指標だ。取締役会は常日頃から生産性に言及する。あらゆる組織は生産性を高めなければならないと言う。これは当然の帰結だ。会社は営利団体であるから、活動を評価する指標に生産性は欠かせない。どの事業部門、製品、サービス等が生産性を上げているのか、またはどの領域に生産性が足りないのか、は常に組織内で議題に上がるし、生産性が低いとみなされている部署や担当者は常に肩身の狭い思いをする。総務部や人事部などの間接部門であっても厳しく生産性を問われる時代だ。これが有効であるか否かは別として、生産性の向上に対し常時圧力がかかる構造が存在する。

 その圧力の甲斐あってか、20世紀に劇的に進んだ機械化、IT技術による効率化はもちろんの事、昨今のAI技術の発達、RPAなどのロボティクスオートメーション等はモノづくりの現場、ホワイトカラーの職場、サービスが提供されるフロア等、幅広い分野に劇的な効率化を生んだ。もはや生産性という意味では30年前のビジネスと天地ほどの差があると言って言い過ぎではない。

■取締役会の生産性は向上したのか?

 会社組織のあらゆる面で効率化、生産性向上が進む中、唯一全く構造上進化していない、生産性の高まっていない機関がある。それが取締役会だ。

 誤解のないよう記述すると、一人一人の取締役は総じて非常に優秀で能力の高い傾向にある。そうでなければ取締役に就任する事は基本的にないだろう。上場企業など複数の人がそのポジションを狙う組織であれば、より一層の厳しい競争を勝ち残って成果を上げた人が就任するだろう。ここでは個々の取締役の能力の如何に関わらず、常に取締役会という会議体は機能していない、という実態を取り上げたいと思う。以前から生産性が全く高まっていない、という表現がより正確だろう。

 口を開けば生産性と利益について言及をする事が宿命づけられている営利企業としての会社において、取締役会の生産性が議論されることがないのは何故だろうか。現場で小さな改善を一生懸命実行して数千円~数十万円を節約したところで、取締役会の決定がミスをすれば全部水泡と化す。どんなに戦術的な改善や改良が重ねられようとも、取締役会が戦略決定をミスしたら、取り返しはつかない。どんなに内部統制制度を構築しても、取締役会がその秩序を維持する為の統制環境を整備しなければ、全てのモニタリングは形骸化する。

 逆を返せば、取締役会さえ十全に機能していれば、その他の機関の生産性が多少悪くとも、大きな方向性としての勝利(利益の確保等)は確定される。莫大な予算と手間と工数をかけたとしても、取締役会が十全に機能するならばそれらは実施する甲斐があるというものだ。

■株主総会の徒労

 株主総会は唯一、取締役会に対してけん制機能を持っている。しかし、それらのけん制機能は真の意味では機能していない。長い間、株主総会は取締役会に効果的なけん制機能を果たそうと努力してきたが、それらは殆ど無駄に終わる事が多い。それは、取締役会ではなく、任命権を通じて個々の取締役の能力や資質に言及して個人を入れ替えようとするからだ。しかし、根本的に取締役会が機能していない状態において、一部の取締役を更迭して入れ替えても意味はない。構造が変わっていないので元の木阿弥と化す。

■会社法による拘束力すらも…

 取締役会は何故機能しないのだろうか。

 会議の目的も明確、役割も明確、権限も規定されている。会社法で定められている権限と責任もはっきりしている。取締役会議事録には会社の方針を決定する拘束力や公式の影響力が備えられている。これほどにもオフィシャルに役割などが定められているにも拘らず、機能していない。金融証券取引法や会社法が取締役会に様々な権利と義務を課しているが、取締役会は実質上機能しない、という事は明確だ。即ち、これら法律で縛る事によってでは取締役会に命を吹き込むことは出来ないという事だ。

 では、どうすれば取締役会は期待される役割を果たすに足る機能を果たすのだろうか?

■取締役会の機能性を生み出すものとは

 恐らくこの課題の解決策を見出すには、『サーバントリーダーシップ』の概念が役立つだろう。

自分達は何故ここにいるのか?

自分の使命は何か?

その為に自分が己の我を横に置いて奉仕すべきことは何か?

これらの問いから取締役一人一人が行動できるようになる事、それらを支える器としての機能が、取締役会に求められているのだ。

 つまり、現代という文脈において取締役会が要求されているの真の役割は、意思決定機関としての存在ではない。取締役一人一人が取締役会という場に参加している時、その人の中にあるリーダーシップが目覚め、勇気ある正しい行動を取ることが出来るように後押しする事だ。取締役一人一人は、本当には何が大切か、心の底ではわかっている。しかし、様々な事情やしがらみがそれをさせないでいる。取締役会は、互いがその事を知っていてなお、取締役が勇気をもって前に進むことが出来るように、自分自身の弱さを認めて、それでも正しい事を行うことが出来る「ホールドされた空間(コンテナ)」である必要がある。

 もし、取締役会が取締役一人一人のリーダーシップを目覚めさせ、真のリーダーへと進化させる場としての機能があったとしたら、会社経営はどう変わるだろうか。

 現代の経営において、調査、分析、考察、検証などは余るほど行われている。コンプライアンスの機運はかつてないほどに高まっている。そして行われていない一つの事は、真に正しい判断と実行をする、である。真に正しい判断をするには、勇気が必要だ。恐れを超えていく勇気は、一人では生み出すことが出来ない。仲間の力がどうしても必要だ。

 取締役会が求められている果たすべき機能とは、取締役一人一人に勇気を与える構造だ。理想とヴィジョンを語り合う対話の場だ。そしてそれを底支えする強い絆だ。取締役会の生産性を支える源とは、一人一人のリーダーシップを目覚めさせ、奮い立たせる場の力にこそあると言える。

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