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素の顔が「笑」になれるように
考えごとをしているだけなのに、「何をつまらなさそうな顔をしているの」と、指摘される。指摘してくれる人がいるのは、ありがたい。
意識的に機嫌よくありたいと思うのだが、数十年来の小難しい顔がすっかり板についてしまっているようだ。表情筋の伸び縮みには、クセというものがあるのだろう。
怒ってばかりでいるとそういう顔つきになるんだよと、子どものころ聞かされた記憶がある。確かにそうなのかもしれない。
そ
『会って、話すこと。』について ④語り合う風景
本文を大胆に引用しているため、未読の方には #ネタバレ注意 であることを、まずお伝えする。
田中泰延さんの著書、『読みたいことを、書けばいい。』(以下『読み書け』)と『会って、話すこと。』(以下『会って話す』)は、必ずあわせて読むべきである。両書を読むことで理解が深まるし、何より著者への金銭的貢献が高まる。
そして、『読み書け』と『会って話す』は、『嫌われる勇気』(以下『嫌われる』)とその続編
『会って、話すこと。』と『だんまり、つぶやき、語らい』
田中泰延さんの『会って、話すこと。』は、誠実な言葉への回帰をやさしく促すと同時に、変わってしまった人間関係の再生に向けた祈りに満ちた本である。
出発点が同じところにあると感じた本がある。いま世に出さなければという出版者側の使命感が、伝わってくる本が。
『だんまり、つぶやき、語らい』。哲学者の鷲田清一先生による、高校生に向けた講演の記録である。目次を除けば実質80ページほどしかなく、字は大きめで
孤独と向き合った先の
無邪気だった幼少期を過ぎ、中学そして高校を卒業する頃、このままずっと家族や友人と一緒にいられるわけではないことを悟った。成長とともに、だんだん独りになっていくものなのだと。
誰かが近くにいればいいというものでもない。他者と一緒にいることで余計に感じる孤独もあった。
なぜ私はあの人ではないのだろう。私という人格は世界に私しかない。私の気持ちは誰にもわからない。そう気づいたとき、とんでもない所にぽ
『会って、話すこと。』について ③バナナ問題
田中泰延著『会って、話すこと。』は、心地よく生きるための素晴らしい手引きである。しかし、最初に読んだときからずっと引っかかっていることがある。
なぜ、バナナなのか。
前作『読みたいことを、書けばいい。』では、冒頭の「あなたはゴリラか?」で多くの読者に人間の自覚を呼び起こさせた。二作目の冒頭に「バナナ」を置くことで、前作との関連性を強く示した、というのが大方の見方であろう。しかし、本当にそうなの
『会って、話すこと。』について ②気になる文字のこと
田中泰延さんの著書『読みたいことを、書けばいい。』(以下『読み書け』)と『会って、話すこと。』(以下『会って話す』)は、2冊あわせて読むべきだ。両書の繋がりを示す仕掛けが随所にある。それを見つけるのが楽しい。
似たところを探すのも楽しいが、違いを確認することも大事だ。もしかしたら、表紙が違うだけで中身は同じ本かもしれない。
前回とは違う角度で、2冊の本を比較してみる。
言霊。
用いられて
『会って、話すこと。』について ①だいじなことはちゃんと書いてある
ここのところ、田中泰延さんの著書『読みたいことを、書けばいい。』(以下『読み書け』)と『会って、話すこと。』(以下『会って話す』)をループ再読していた。
『会って話す』を読んだら『読み書け』の記載が気になり、『読み書け』の言葉から『会って話す』を再び辿ってしまい、容易に抜け出せなくなったのだ。幸いなことに、4回目くらいでいったん飽きた。飽きるというのは、人間に備わった危機回避能力のひとつだ。知ら