おとんへの手紙

 何でもいいから一番になれ、子どもの頃、健太にそう言い聞かせていたら、本当に一番になりよった。
 中学三年の最後の通知簿を持って、息せき切って帰って来た健太は、「おとん、一番や!」と言って、俺に通知簿を見せてくれた。どれだけいい成績を取ったんや? そう思って喜んで広げると、何ときれいに1が並んでいるではないか。
 「おとん、俺、小学校一年から中学まで九年間、全部オール1やで。どんなもんじゃ!」
 と胸を張る健太に、俺は何も言えなかった。おだてにのりやすく、単純な性格だからすぐに人に騙される。何度、学校に呼ばれたか――、警察に呼ばれたことも一度や二度ではなかった。喧嘩もよくしたし、いじめられることもあった。一度などいじめにあっていると聞いて、心配して、健太に聞いたことがある。すると、健太は、
 「おとん、あいつの親父、やばいねん。あいつに逆らったら親父にやられてまう」
 と言う。
 「何がやばいねん。おとんが強いの知ってるやろ。向こうの親父が子どもの喧嘩に口出してくるんやったら。おとんが相手したる。それにやなあ、おまえ、子どもの頃からおとんにボコボコに殴られてるやろ。この世におとんのパンチより痛いパンチなんかないぞ」
 健太にそう言うと、
 「それもそうやなあ」
 と納得しよった。俺は少林寺拳法四段、幼い頃から、あいつが問題を起こしたり、悪いことをしたり、逆らったりしたら、口より先に手が出た。殴る時は一切手加減しなかった。健太は俺に殴られながら声を出して泣いて、「おとん、おとん……」そう言ってしがみついて来た。俺は馬鹿で純粋な健太が大好きだった。だから殴った後はいつも思い切り抱きしめてやった。
 中学校時代、ひどいいじめにあっていた健太は、俺の言いつけを守って、いじめていた奴と喧嘩をしたことがある。すると拍子抜けするほど相手は弱かった。二、三発殴ると謝って泣いたという。それからは、攻守逆転であいつがいじめる側に回ったと聞いた。
 中学を出た健太は、職人になるんやといって働きはじめた。その後、しばらくして、俺は妻と離婚をし、健太とは疎遠になってしまった。
 祖父の代から俺の一族は信仰心が強く、特に俺の親父は狂のつく信仰心の強い人間だった。親父は俺の嫁にも信仰を強要した。新興宗教だったからどうしても好き嫌いがある。元々信仰心の薄かった嫁は、俺たち一族の信仰になじまなかった。それでよく喧嘩をした。俺の親父は嫁を説得しろと俺に命令した。俺はことあるごとに嫁を説得し続けた。だが、そのことが嫁には耐えきれなかったようだ。健太が中学校を卒業したのを機に離婚を切り出した。嫁はずいぶん前から準備をしていたようで、離婚証明書を俺の前に突き出すと、娘二人を連れてそのまま家を出て行った。
 近くの町に移り住み、酒場で働きながら娘二人を養っていると、しばらく経って嫁の噂を耳にしたが、俺にはもうどうしようもなかった。言い出したら利かない女だ。俺のことなどすぐに忘れてしまうだろう。そう思ってあきらめた。
 気になったのは健太のことだった。
 あいつは馬鹿な奴だから――、そう思うと余計に健太が気になった。どうしているだろうかと、いつも気にかけていた。だが、噂を耳にするだけで、俺は一度も健太に会っていない。体を壊して仕事を失い、放蕩していた俺は、健太に会う勇気がなかった。
 そんな健太から、突然、手紙が届いた。誤字、脱字、脈絡のない文章――、笑えるほど下手な字、だが、一所懸命書いたことがよくわかる、そんな手紙をもらった。
 ――こんなふうに手紙を書くのは初めてやな、おとん。
 おとんは元気にしてるか?
 体のほうはどないなん。今日、おとんからじいちゃんのこと聞いて、ほんま、じいちゃんに悪いことしたと思った。ほんまにおれって信心しないバカ息子やな。
 ばあちゃんはどない。元気してる? 一番気になるねん、心配やねん。
 おとん、本当にごめんやで。おれ、信心もせんと、自分のことばっかりで。
 おとんとおかんが別れてから、おれ、なんか楽しくないねん。
 子どもみたいなこと言うけど、おれ、ほんまにおとんが好きやねん。
 おれが信心しないから、きっとおとんは怒ってるやろ?
 先祖代々続けさせてもらった信心、おとん、ごめんな。
 おとんに聞いてほしいことがあるねん。
 二三歳の時におれ、会社してたんやで。三年目で廃業したけどな。職人十人の社長やってたんやで。
 それになあ、びっくりせんといてや。おとんに孫が出来たんや。妹の子どもや、男の子やで。妹、今は姓が変わってるけどな。
 今は一歳や。今年の十二月一日で二歳になるねん。
 下の妹のちひろも今年、子どもが生まれた。男の子らしいねんけどな。
 おれ、おとんに会いたいねん。
 会いに行ってもいいかな?
 おれ、おとんがめっちゃ好きや。おとんみたいになるのが夢やった。
 おれも来年、まだ産んでくれるかどうか、わからんけど、来年の八月に、今の女とおれとの子どもが産まれる予定や。
 生まれたら一番先におとんに抱いてほしいねん。
 おとん、会いに行ってもいいかな?
 でもおれ、今、女と喧嘩していて、別れるかもしれんのやけどな。生まれたらすぐに連絡するわな。
 何年も話してないと、いろいろとおとんに聞いてもらいたいことばっかりや。
 妹も、おとんに会いたい言うてたしな。子どももみてほしいみたいやで。あいつも大人になってようやってるよ。
 おかんは相変わらずやな。
 おれ、おかんの彼氏の松ちゃんと仲悪いから会ってないけど――。
 おれ、いつも一人ぼっちやねん。
 おとんに会いたい。信心しないバカ息子は家に入れるかな。
 おとんに電話をしたいねんけど、なかなか勇気がでえへんねん。
 何を話したらいいかとか、いろいろと考えてしまうねん。
 近いうちにほんま、会ってほしい。
 何回、おとんの家の下まで行ったことがあるか……。
 三十前の大人が言うことやないけど、おとんに抱きしめてもらいたいねん。おとんにしか素直に甘えられへんからな。
 おかんは女になってもうたし、おれの親はおとんしかいないねん。
 おれは元気してるし安心してや。来年の正月、おとんの家に行きたいねんけど、行ってもいいやろか?

  手紙はそこで終わっていた。返事を書こうにも健太の住所を俺は知らない。何度も読み返し、繰り返し眺めて、俺は手紙に向かって言った。
 「ええぞ、健太。いつでも来い。俺がお前を抱きしめたる」

  ――訃報を聞いたのは、手紙をもらって一週間後のことだ。最初、聞いた時は耳を疑った。
 「息子が自殺?」
 そんな阿保な、と警察に食ってかかって叱られた。
 「浪速区の商業ビルの屋上から飛び降りて、ほぼ即死でした。お母さんの方にはお伝えしていますが、お父さんにも伝えてくれと言われましたので」 
 「遺書は? 遺書はなかったんですか」
 「遺書はありませんでしたが、覚悟の自殺のようでした。屋上にきれいに靴を揃えて、その上に帽子を置いていました」
 「帽子?」
 「息子さんはタイガースファンのようでしたね。タイガースの野球帽を靴の上に置いていました」
 そうだった。息子は私と同じタイガースファンだった。子どもの頃、何度か甲子園球場に連れて行ったことがある。
 「おまわりさん、息子は何で死んだんでしょう? つい一週間前、俺に会いたいと手紙をもらったばっかしなんですよ。子どもが生まれるから見せたい、そう言っていたんですよ」
 警察官は、小さく首を振って俺に答えた。
 「理由はわかりませんが、つい最近、一緒に暮らしていた女性と別れて、一人暮らしを始めたばかりのようです。寂しかったのかも知れませんね
 ――おとんに抱きしめてほしいねん。
 健太の言葉が突然、よみがえり、俺はその場に突っ伏して大泣きに泣いた。
 健太の葬儀は、身柄を引き取って俺が行うことにした。棺桶で眠る健太の顔は、まるで子どもの頃のように幼く見えた。

<了>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?