死を呼ぶ呪いのメール

高瀬 甚太

 早朝のことだ。携帯のメール音に驚いて目を覚ました。午前4時5分、夏場の時期とはいえ、空はまだ明けきっていなかった。
 メールを確認すると、
 『あなたを呪います』
 と一文だけが記されていた。イタメールだとわかっていても気持ちのいいものではない。差出人を見ると、「ユリ」となっていた。早々にメールを削除して再び眠りに就いた。すると30分後、再びメール音がした。イタメールが来ないようにアドレスを複雑にしているのに、どうして何度もかかってくるのだろうか、そう思いながらも携帯を手に取るのが面倒でそのままにして放っておいた。
 午前8時に起床するまで、30分に一度、都合九回のメール音がした。メールの差出人はどれも「ユリ」で、内容は、微妙に変わっており、九回目のメールが、
 『編集長、お忘れですか? メールを返信してください。最後通告です。あなたを呪います』
 となっていた。気になったのは、『編集長』と記されていることだ。それを見た時、私は、単なるイタメールとは思えなくなり、返信をしようかどうしようか思案した。
 十回目のメールが届いたのはその30分後のことだ。急いでメールを確認すると、やはり「ユリ」からのもので、内容は、
 『これが本当の最後通告です。なぜ、メールを返信していただけないのですか? 井森編集長、あなたを呪います』
 その文面を読んで、一瞬、ドキリとした。編集長だけならまだしも、井森編集長となっている。間違いなく、これはイタメールではなく、私に宛てたメールだ。
 しかし、まだ疑問が残った。「ユリ」という差出人の名前に心当たりがない。多分、女性だろう。どんなふうに考えても、「ユリ」に相当する人物が存在しない。また、女性に呪われるようなひどいことをした覚えもなかった。こう見えても私は真面目一筋の人間なのだ。
 あれこれと迷った末に、メールを返信することにした。
 『メールをありがとうございます。まことに申し訳ありませんが、私、ユリという名前に心当たりがございません。何かのお間違いではないでしょうか』
 送信してわずかな間に返信が届いた。
 『あなたにとって些細なことでしょうが、私には深い傷となって残っています。メールをいただいて、あなたの存在をようやく確認することができました。楽しみにしておいてください。これからあなたに対する私の呪いの劇場の第一幕が幕を開けます』
 呪いの劇場の第一幕? 私にとって些細なことが――。
 わからないだらけのまま、とりあえずメールは止んだ。
 
 私の仕事は出版・編集で、時には自分で記事を書き、原稿を書くこともあるが、基本は編集である。代表兼編集長の立場で、一般書籍の発売を基本にしている。以前は三、四名の編集員や事務担当がいたが、本の売れ行き不振が続いて給料を払うことができなくなり、仕方なく、今は一人ですべてを行っている。社員を切る時も給料の不払いなどはなく、理解してもらったうえでの辞職勧告だった。特に問題はなかったように思う。また、そうした社員の中にも、「ユリ」という名前のものはなかった。
 原稿の持ち込みや売り込みもたまにはあるが、相手を傷つけるような断り方や批評をした覚えはない。また、過去の女性関係にしても、相手を裏切ったり、相手を傷つけて別れたりした記憶はない――、と私は思っている。でも、それらは皆、私が思っているだけのことだ。相手の立場に立てばどうだろうか。そこまでは私もわからなかった。
 二日、三日とメールが途絶え、日常の忙しさに追いまくられる中、いつしか私はメールのことなどすっかり忘れていた。
 一週間目のことだ。深夜遅くまで仕事をしていた私は、一通のメールを受け取った。時計を見ると午前1時30分だった。
 メールを開くと、差出人の名前が「ひろこ」となっていた。イタメールだろうと思いながらメールを開くと、
 『あなたを呪います』
 と書いてあった。一週間前にあった「ユリ」のメールを思い出してドキリとした。だが、今回はそれで終わった。以後、メールは届かなかった。アドレスを変更した方がいいのではと思ったが、もう少し様子をみようと思い、そのままにしておいた。変更すると各方面への連絡が大変だ。
 それでも私は、『呪い』というキーワードが気になって仕方がなかった。なぜ、私を呪うのか、呪ってどんなメリットがあるというのか、理解できなかった。
 友人の田宮昭三が訪ねて来たのはそんな時のことだ。ずいぶん長い間、連絡を取り合っていなかった田宮の突然の来訪に驚き、思わず何かあったのか、と聞いたほど久しぶりの出会いだった。
 「十年ぶりかなあ。長い間、ご無沙汰してすまん」
 白髪交じりの口髭を生やし、顎にも同様の髭を生やした田宮は、頭髪もほとんど白髪で、とても私と同年代とは思えない老けようだった。
 「今、どうしているんだ? 全然、消息を知らして来ないから心配してたんだぞ」
 「ああ、申し訳ない。今も昔と変わらず、売れない詩を書いているよ」
 田宮は学生時代から詩人になることを志望していた。詩に対する論調は高尚なものがあったが、作品となるとほとんど目にしたことがなかった。だから、田宮が本気で詩人を目指しているとは思えなかっただけに、いまだに詩を作り続けていると聞いて驚きが先に立った。
 「じゃあ、作品を書いているのか?」
 興味を持って尋ねると、田宮は首を横に振った。
 「書くだけが詩人ではないよ。生き方を体現することも詩人の特性だと思っている」
 相変わらず、口だけは達者な男だと思い、苦笑した。それにしてもどうやって生活をしているのか、そのことの方が気になった。
 「何にしても久しだ。ご馳走は出来そうもないが、酒でも飲みに行こう」
 椅子から腰を上げ、田宮を誘うと、田宮も「すまんな」と言って同調した。学生時代から田宮は壮絶な酒の呑み方をしてきた男だ。武勇伝は数々残っている。しかし、その彼も年齢的に無茶をしにくい時期に達している。多分、大丈夫だろう。そう思って誘った。
 近くにある商店街の一角に、よく立ち寄る居酒屋があった。酒屋が経営していることもあって酒の値段が他の店よりも圧倒的に安く、酒の肴も同様に一品当たりの値段が安い。私が重宝している店の一つだ。
 テ―ブル席が10席あり―ブル席が10席あり、常に満席で埋まっているのだが、時間が早めと言うこともあって数席、空きがあった。
 「生ビールを二つ」と頼もうとすると、田宮がそれを押しとどめた。
 「別のものがいいのか?」
 と聞くと、田宮は、「俺はウーロン茶でいい」と言う。酒の肴を数品頼んだ後、田宮に聞いた。
 「酒をやめたのか?」
 田宮は大きく頷いて、
 「一年前からやめている」
 と答え、「実はなあ――」と口ごもった。
 「どうした。何かあったのか?」
 気になって尋ねると、田宮は疲れた顔に笑みを浮かべて、
 「俺、あまり先が長くないんだ」
 と言う。私は、一瞬、彼が何を言っているのか、はっきりと理解できず、聞き直した。
 「長くないってどういうことなんだ?」
 「寿命がないと言うことさ」
 「寿命って――、どこか悪いのか?」
 田宮の顔色は青白く生気の乏しい表情をしていた。しかし、田宮はそうではないというふうに首を横に振った。
 「俺は呪われているんだよ。だから――」
 「呪われている?」
 呪いと言う言葉が私の脳を敏感に刺激し、思わず聞き直した。
 「呪いってどういう意味なんだ?」
 田宮は、携帯を取り出すと、それを開き、メールの画面を私に提示した。
 『田宮さん、あなたを呪います』から始まり、すさまじい数の呪いのメールが田宮のメールに送られていた。
 「こ、これは――?」
 「半年以上前から、一日数十回送られてきている。最近はさらに過激になって、呪い殺すとか、あなたの寿命は後二カ月だ、といったふうに書かれてきている」
 「単なるイタメールじゃないか。気にすることはないよ。それにアドレスを変えるのも一つの方法だと思うが」
 「試してみたよ。アドレスも変えたし――、いろんな方法を試してみたが、どうにもならなかった。でも、俺が呪い殺されると思ったのにはまた別の原因があるんだ」
 「別の原因?」
 「そうだ。メールの中にさまざまなことが書き記されてくるようになって、それが悉く当たるんだよ。たとえば――」
 と言って田宮は、メールの一つを私に見せた。
 『あなたを呪いにかけました。今日、あなたは、道を歩いていて車に撥ねられそうになります』
 「そのメールが送られてきた直後、俺は道を歩いていて、本当に事故に遭いそうになった。歩道を歩いているのに、突然、乗用車が突っ込んできたんだ。幸い、道路に転がった俺はどうにか難を逃れることができたが、危ないところだった。車に乗っていたのは、若い男で、急にハンドルとブレーキが効かなくなってと、言い訳をした。警官には、居眠りをしていたか、携帯で話でもしていたんだろうと、怒られていたがね。その後も何度か、危険を予告するメールが届いて、そのたびに俺は死を覚悟しなければならない状況に陥った。これはイタメールでも誰かの脅迫でもない。明らかに俺は呪われている。そう思ったよ。多分、このままいけば俺は、メールに呪い殺されてしまうだろう」
 「なぜ、携帯を捨ててしまわないんだ。そうすれば呪いから解放されるのではないか」
 「それがなかなかできなくてね。携帯が近くにないと生きていけない。それで井森、お前のことを思い出して、相談に来たんだ。昔からお前、そういったことによく巻き込まれて、その都度、難解な問題を解決していたじゃないか」
田宮の言うように、学生時代から、いや、もっと綿密に言えば、子どもの頃から、摩訶不思議な出来事に遭遇する機会が多く、必ずと言っていいほど事件に巻き込まれてきた。それを田宮は言っているのだ。私は、自分の携帯を取り出して、メールを開いて田宮に見せた。
「これは――!」
 田宮は目を見張って驚いた。無理もない。田宮のところに届いたと同様の呪いのメールが、数こそ少ないが私のところへも届いていたからだ。
 「田宮のところへ来た呪いのメールとおそらく同様のものだろう。私の場合、まだ最近だが、多分、これから数が増してくると思う」
 「どうして井森のところに……」
 田宮の驚愕の表情を見て、私は一つのことが思い浮かんだ。
 「本当のところを言ってみろ。田宮には思い当たることがあるんだろ?」
 「……」
 「呪いというのは、本人に罪の意識があるからこそかかってしまう。田宮には、呪いをかけられるだけの心当りがあるんだろ?」
 頭を抱え、沈黙していた田宮は、観念したかのように顔を上げると、私に向かって堰を切ったように話し始めた。
 「聞いてくれるか井森、実は八年前のことだ。俺は風俗をしていた美弥という女の世話になって、詩を書くと言いながらヒモになって毎日、遊んで暮らしていた。その頃の俺は人生に絶望して自暴自棄になっていたのだと思う。美弥は俺より年が五歳上で、バツイチの女だった。そんな負い目もあったのだろう。あんたは立派な詩人になって、そう言いながら美弥は体を張って俺を養い、応援してくれた。三年ほど一緒に暮らしただろうか、ひどく寂しがり屋で、嫉妬深い女だった。酒にギャンブルに遊び呆けていた俺は、浮気もしていた。若いホステスにうつつを抜かして――、とうとうそれが美弥にばれてしまった。
 美弥は怒らなかったよ。怒る代わりに書置きを残して首を吊った。
 『あなたには絶望した。あなたを呪います』
 一緒に住んでいた頃、美弥は風俗で働くのがきっと耐えられなかったのだろうな。働き場所から何通ものメールを送ってきた。内容はすべて他愛無いものだった。『頑張っていますか?』『食事はしましたか?』『酒はあまり呑みすぎないようにね』。どれも俺を心配するものばかりだった。だのに俺は、パチンコ、パチスロ、麻雀、競馬、女遊び、酒――。好き放題やって少しも構ってやらなかった。
 美弥が死んで一年ほどして、呪いのメールが届くようになった。しかし、それでも俺は美弥の呪いだなんて思っていなかった。そんなこと、常識で考えてもあり得ないからな。
 だが、事故が頻繁に起こるようになって、考え方を改めた。これはもしかしたら誰かの呪いじゃないかと――。一番先に思い付いたのが美弥だった」
考えられないことではないと思った。しかし、それなら私のところに届いた複数の女性名の呪いのメールはどう考える。そのことを田宮に伝えた。
「俺にもわからない。なぜ、井森のところに複数の呪いのメールが届くのか」
 その時、私はあることを思い付いて田宮に尋ねた。
 「田宮の携帯に入っているアドレスの中に俺のメールアドレスが入っていないか?」
 「付き合いが遠ざかっているとはいえ、井森は俺にとって数少ない友人の一人だ。アドレスには電話番号と共にメールアドレスも登録している」
 「それを見せてくれないか?」
 田宮のメールアドレスの中に確かに私のアドレスが入っていた。それほど多くないメールアドレスの名簿の中に、私は「ユリ」という名前を見つけ、  「ひろこ」という名前を見つけた。これは決して偶然ではないと思った私は、田宮に聞いた。
 「この『ユリ』という名前と『ひろこ』という名前は?」
 田宮は、
 「美弥と付き合っていた時、俺が浮気をしていた女だよ。消そうと思いながらそのままにしていた」
 と言う。
 その瞬間、私の中にある種のひらめきが生まれた。
 「田宮、お前を死ななくてもいいようにしてやる。これから、私と共に行動してくれ。多分、私の推理に間違いがなければ、呪いは晴れるはずだ」

 ――田宮の呪いのメールは、ある日を境に止んだ。もちろん私への呪いのメールもすべて跡形もなく消えた。その理由はこうだ。
 私はあの日、田宮と共に田宮が美弥と住んでいたワンルームマンションに行った。最寄りの駅から歩いて数分、交通の至便な場所にあったが、美弥の死後、田宮が家主に追い出されて以来、なぜか、その部屋は長続きせず、空室になっていることが多かった。田宮と共に訪ねた時も、やはり空き室だった。
 管理人に無理を言い、部屋を見せてもらった。
 「この部屋に入った人は皆、逃げ出すようにして出て行くんですよ。何かいるんですかね」
 管理人のぼやきを聞きながらワンルームの部屋の中を見て回った。見回っている最中、突然、田宮が嘔吐した。幸い、嘔吐する寸前、洗面所へ駆け付けたからよかったものの、そうでなければ、掃除代金を取られるところだった。
 嘔吐が終わると、今度は大声で泣き出した。田宮の泣き声を聴いて、管理人が驚いて、
 「私、用があるから出ますけど、見終わったら管理人室に寄ってくださいや」
 と、そそくさと部屋を後にした。
 「田宮、美弥さんに悔恨の言葉があるのなら全部、吐き出せ」
 私が命令するように言うと、田宮は嗚咽を洩らしながら、美弥への悔恨の言葉を次々と口にした。ひと通り、懺悔をした田宮に私は言った。
 「最後に大切なことを言い忘れているだろう」
 田宮は打ちひしがれた姿勢で、しばらく考えていたが、顔を上げると、叫ぶようにして言った。
 「美弥! 俺、詩を書くよ。書いて必ず認められてみせる!」
その瞬間、部屋の色がスッと変わったような気がして、思わず辺りを見回した。
 その日から、田宮は人が変わったように詩を書き始めた。それが功を奏したのか、生活も急激に変化し、同時に呪いのメールの数がぐんと減り、やがて消えた。
 私に来ていたメールが、美弥が仕組んだものではないかと思ったのは、田宮の携帯のアドレスを見てからのことだ。美弥は私と田宮を出会わせたかったのかも知れない。もし、私のところに呪いのメールが届いていなければ、いくら旧い友人とはいえ、あれほど熱心に田宮と関わったかどうか自信がない。
 田宮が十年ぶりに私の元へやって来たのも不自然といえば不自然だった。それでも、私が一番嬉しかったのは、美弥の真心が見えたことだ。
 美弥は田宮を愛していた。田宮にどうにか詩人になってほしいと思い続けてきた。だから、あの日、美弥の部屋に行き、美弥に詫び、詩人になる決意を田宮に語らせた。
 田宮は生まれ変わったように詩に打ち込んでいる。文学に年齢は関係ない。田宮はきっといい詩を書くだろう。そして、多くの人の心に愛の灯を点すだろう。私は、今の田宮を見て、そう信じている。天国の美弥もきっとそうだと思う――。
〈了〉

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