懺悔屋4 モテる男の純な愛

高瀬 甚太
 
 世にもうらやましい男だと思ったね。全身からモテるオーラがみなぎっている。特に美男子とか、顔に特徴があるわけでもないが、女性を惹きつける何かがあるんだな。一目見てそう思ったよ。そんな男が一体何を懺悔するんだい。そう思いながら話を聞いたよ。
 
 ――俺はさあ、自慢じゃないけど、子供の頃から女にはよくモテたんだ。初めて女を知ったのは十二歳の年、俺はまだ中学一年生だった。その頃は、当然と言えば当然だが、セックスなんてまるで知らなかった。どうやれば出来るのか、無知だったけど、高校生だった近所のお姉さんが懇切丁寧に教えてくれた。そのお姉さんとは一年ほど続いたかな。そのお姉さんが高校を卒業したのを機に別れたよ。
 中二の時、俺は同学年の女の子と付き合うようになった。真面目で成績も優秀、しかも町の名士の娘だった。女の子はもちろん俺が初めてだったよ。そんな娘と俺とがどうして、と誰もが不思議に思うようだが、真面目で優秀な女ほど、俺みたいな不良でどうしようもない男が気になるものなんだよ。俺よりその子の方が俺に夢中になって、そりゃあもう大変だった。女の子がそんなふうなものだからすぐに相手の親に知られてしまい、一時は大騒動になったよ。女の子はすぐに全寮制の私立の中学校に転校させられ、俺は学校で教師に睨まれて、厳しく監視されるようになった。それ以来、その子とは音信不通になってしまった。
 その後、しばらくは大人しくしていたよ。親にもずいぶん叱られたし、学校の監視も厳しかった。次に俺が女と付き合うようになるまで一年ほど待たなきゃならない。
 でも、この頃の恋は、真剣にはほど遠いものだったな。遊びという自覚もなかった。ただ、セックスに対する好奇心、それだけだったような気がするよ。
 中学三年の夏休み、南紀に住む親戚の家に俺一人だけ二十日ほど遊びに行ったことがある。親父の弟の家で、俺にとっては叔父さんにあたる人だ。俺の親父は堅物だったけれど、叔父さんはそうじゃなかった。だから家族も開放的で、俺にとっては過ごしやすい家といえた。
 叔父さんには三人の子供がいて、上が俺と同じ年の娘、真ん中が俺より二歳年下の男、三人目が小学生低学年の娘だった。
 海に近い家ということもあって、よく海へ遊びに行った。叔父さんの娘は顔こそ叔父さん似で、それほど美人じゃなかったけれど、南国育ちということもあって、グラマーだった。素朴で純情な娘だったから気が引けたけど、ずいぶん長い間、ご無沙汰していたから魔が差したのだと思う。俺はいとこのその娘と一週間目に出来てしまった。
 さすがに親戚の娘と出来てしまったのはまずかった。俺はばれないようにやったつもりだったけれど、同じ家にいるんだ。ばれないはずがないよね。俺はすぐに大阪に戻された。
 俺の家と叔父さんの家、双方で家族会議が行われたが、俺たちはどちらも中三だ。結婚なんて出来るはずがなかったし、俺にはそんな気なんて毛頭なかった。長い間、いざこざが続いたあげく、俺は今後一切、叔父の家に行かない、娘にも会わないと誓約書を書かされて、その時はそれで終わった。
 高校進学にあたって、両親は全寮制の高校に進学させようと本気で考えていたようだ。でも、そうならなかったのは、意外と俺の成績が良くて、府立高校に進学できる見通しが付いたこと、これが大きかった。全寮制に入学するとなると費用的にも大変だ。それに比べて府立なら大した費用はかからない。結局、俺は自宅から高校に通わせてもらえることになった。命拾いした、その時の俺の感想さ。
 男女共学の高校に入った俺は、クラスは別だったが同学年でも、とびっきりの美人を見つけた。アイドルタレント顔負けの美女で、スカウトがウロウロしているとの情報もあったほどだ。スタイルがよくて美人でおまけに頭がいいと来ている。男たちが騒がない方がおかしいよな。同学年の生徒だけでなく、上級生も目を付けていたようだ。もちろん、俺もそんな中の一人だった。
 同学年というだけで何のつながりもない俺は圧倒的に不利だった。そんなこんなで悶々している時、俺は同学年の女生徒からメル友になってもらえないかと告白された。女性の告白を受けて、それを断るような俺じゃない。「ああ、いいよ」と軽い気持ちで引き受けたよ。
 俺は特別ハンサムというわけじゃない。確かに背も高い方だし、スタイルは悪くなかった。それほど目立つわけじゃなかったが、昔からなぜか、女性に興味を持たれてしまう。女が魅力を感じるものが俺にあるのだろうか。自分ではあまりよくわからないが、中一の時のお姉さんもそうだったし、中二の時もそうだ。南紀の叔父の家のいとこもそうだったと思う。みんな、向こうが勝手に近づいて来た。それを俺はご相伴に預かったというわけだ。決して俺の方から積極的だったというわけじゃない。
 俺の友だちは皆、不思議がっていたよ。
 「何でお前がそんなにモテるんだ?」ってね。
 俺だって不思議で仕方がなかったよ。だって、俺よりハンサムな奴は万といるし、スタイルのいい奴、金持ちの奴、もっと言えば家柄のいい奴――、言い出せばきりがない。
 中一の時、付き合った高校生の女は、
 「どうして私、あんたみたいな子供と付き合っているんだろうね。でも、あんた、何となく魅力があるんだよ。口ではうまく言えないけどさ」
 と、そんなふうに俺を評した。中二の時、付き合った同級生の女もそうだった。
 「岸くんて、何となく危なっかしいんだよね。何となく放っておけないし、母性本能をくすぐるタイプなのよね」
 南紀の叔父の家のいとこもそうだ。積極的だったのはいとこの方で、俺はさほどでもなかった。浜辺で二人っきりになった時、いとこが俺の手を握り、その手を胸に持って行って、
 「私、大きいでしょ」
 と言って俺に自分の胸を触らせたんだ。それがきっかけで俺はいとこと関係を持った。そのいとこも、関係が出来た後、言っていた。
 「大輔くんて、どう見たって真面目そうじゃないのに、どこか純情ぽく見えて、そのギャップに魅力を感じるわ」
 それぞれみんなバラバラの感想だったけれど、多分、そのどれもが俺を言い当てていたのだと思う。人間て、いろんな側面をもっているものだし、一言でその人を語れないものがあるじゃない。もし、一言で簡単にかたづけられてしまうような人間だったら、きっとそいつは魅力のない奴だということになる。
 言い遅れたが俺の名前は岸大輔だ。俺の父親が名づけたって聞いている。俺はあまり気に入っていないが、母親は俺の名前が大のお気に入りだ。理由は簡単だ。母親は怪物と言われた大投手、松坂大輔のファンだった、それだけのことだ。
 
 メルアドを交換するようになった同級生の女の子の名前は、田代雅と言った。中肉中背、特筆するには内容の少ない女の子だったが、笑顔だけは可愛かった。明るい女の子で、毎日、俺に他愛もないメールを送り続けてきた。
雅とはメールだけの関係で、二人だけで会うこともなかった。一緒にどこかへ行こうとか、映画を観に行きたいと言ったメールは届いたが、俺は一切、無視した。
 だが、一度だけ無視することの出来ないメールがあった。
 ――私の友だちに井早環という子がいるんだけど、男の子に超人気なの。同学年だけでなく先輩からも人気で、親衛隊まで出来ているぐらい。環のそばにいると自分が恥かしくなってしまう。やっぱり美人に生まれないと損ね。
 井早環が、俺が目を付けた女だってことはすぐにわかった。雅が環と友人であるということが本当なら、環と知り合う絶好のチャンスだと、その時、俺は思ったね。俺は早速、
 ――一度でいいから、そんな美女の顔を拝みたいね。
 と、雅に返した。すると雅からすぐに返信があった。
 ――私とデートしてくれたら、環に合わせてあげるわよ。
 雅には興味がなかったが、井早環には興味があった。だから俺は、雅とのデートを快諾した。
 その日はすぐにやって来た。土曜の午後、俺と雅は梅田のHEP FIVEの前で待ち合わせをした。雅は薄いピンクのスカートと白いシャツにスカートと同系の薄いピンクのカーディガンを羽織っていた。制服姿の時はそれほど魅力を感じなかったが、私服になると違う。可愛いな、と俺は素直に思ったよ。
 HEP FIVEで食事をして、赤い観覧車に乗った。雅は上機嫌だったが、俺は、いつになったら環に会えるのだろうと、そのことばかり考えていた。
 この日の雅は妙に積極的だった。俺の関心をそそろうとでも思ったのか、観覧車の中でしきりに誘いをかけてきた。雅は多分、未経験だったのだろう。男を知らない女、特有の大胆さがあった。キスの一つでもしれやればよかったのだが、環のことが頭にあった俺は、その気にならなかった。
 「井早環はどうした?」
 俺は雅に聞いた。
 「ごめん、環は今日、大学生の彼とデート中なの。梅田で合流しようと言っていたけど、彼の都合で難波方面に向かったみたい」
 悪びれずに雅は言った。最初から環と会うつもりじゃなかったのだろう。 俺は雅の口ぶりからみてそう思った。
 「これからどこへ行く? 私、甘いものが食べたい」
 甘えた調子で雅が言った。俺は、醒めた口調で雅に言った。
 「いや、これでおしまいだ。もうメールはしないでくれ」
 観覧車を降りた俺は、雅を置き去りにして一人で帰った。雅の態度に、俺は何となく腹が立っていたからだ。以来、俺は雅のメールには一切、返事をしなかった。
 
 井早環との縁はこれですっかり切れたと思っていた。クラスも違うし、帰り道も違う。環は何のクラブにも入っていなかったし、俺もまたクラブに参加していなかった。
 環に大学生の彼氏がいると雅は話していたが、俺はそんなこと、少しも気にしていなかった。彼氏がいようがいまいが、チャンスさえあれば俺は環をものにしてみせる。そんな自信が俺にはあった。
 高校に入学して以来、俺は久しく女性を絶っていたが、二年の春にクラスが変わり、新しくクラスメートになった常陸優菜という女の子と親しくなった。テニス部に所属するスポーツウーマンで、激しい練習のせいで陽に焼けた肌が印象的な女の子だった。彼女とは、席が隣だったことから親しく話すようになり、二人で一緒に昼食を取ることが多くなった。
 早熟な常陸優菜は、何ごとにも積極的で、性に対しても関心が高かった。そのせいで俺たちはさほど時間を置かず関係を持った。優菜は貪欲に俺を求め、俺もそれに応えたが、さすがにクラスメートとの付き合いは気を遣う。俺たちの仲はすぐにクラス中の噂になった。しかし、俺と優菜の仲は一学期終了を待たずに終わった。俺が下級生の女に心変わりしたからだ。
 優菜の怒りは半端じゃなかった。だが、俺の気持ちがすでに醒めていると知ると、潔く身を引いた。俺は天性の浮気性というか、何度かセックスをすると、すぐにその女に飽きてしまう。所詮、男と女はセックスでつながっている動物だ。飽きたらすぐに次の獲物を探す。中学生の頃から続く俺の、女性に対する思想は高校生になっても寸分も変わっていなかった。
 下級生の女は、可憐という言葉が似合う本当に純情な女の子だった。水間幸代というその子と知り合ったのは、授業が終わった放課後のことだ。一人で校門を出て、駅に向かう途中、水間幸代が友だちと共に俺を待っていた。
 「これ、お願いします」
 と、突然、紙を差し出されて驚いた。そこに書いてあったのは、その子のメルアドと住所だった。
 「お付き合いしてください」
 はっきりとした声でそう言ったので、俺は少し迷った後、
 「ああ、いいよ」
 と、軽く受け流した。
 「本当にいいんですか?」
 水間幸代は弾んだ声で俺に聞いた。瞳の大きな色の白い女の子だった。この頃、俺は優菜と付き合っていたが、そろそろ飽きが来ていたので乗り換えようと思っていたところだったのでタイミングがよかった。
 だが、純情可憐な女の子と付き合うと骨が折れる。これまでみたいにむやみやたらと手が出せない。何しろ彼女は夢みる夢子ちゃんだ。恋を崇高なもののように考えている。
 下手に手を出すと火傷する。そう考えた俺は、一定の距離を置いて付き合うようにした。俺にしては珍しいことだった。
 しかし、優菜と別れ、女の肉体が恋しくなった俺は、やはり我慢が出来なくなり、幸代を夜の公園に連れ出すと、その場ですぐにキスをした。突然の俺の行為に幸代は呆然となり、その後、しばらくして泣き始めた。どうしようもないなと思った俺は、幸代に、
 「もう帰ろう」
 と声をかけた。すると幸代は涙ぐみながら、俺の手を掴み、
 「初めてだったから驚いたの。ごめんなさい」
 と言って俺に謝った。幸代と関係を持ったのは、それからしばらくしてからのことだ。
 
 いろんな女と関係を持ったが、井早環に対する興味を失ったわけではなかった。ずっと気にしていたのだが、同じ高校の同学年の生徒であるという以外、俺と環には何の接点もなかった。俺はだいたい自分から女に対して積極的に行かない性質だ。モテることを意識しているわけではないが、面倒だから――、その一語に尽きた。
 人を好きになるということについて、そんな俺でも時々、考えることがあった。十七歳という若さのせいか、性に対する関心は高かった。同級生の男子連中は、グラビアアイドルを眺めながら、あるいはAVを見て自慰をする、そんな奴らが多かった。俺のように次から次へと女と関係を持っているような男はほとんどいなかった。俺はそのことを他の奴らに吹聴していたわけではなかったが、喋らずともわかるらしい。羨望の視線を俺に寄せて来る者もおれば、嘲笑する者も中にはいた。そんな奴らはたいていモテない連中だ。何も行動を起こそうとしない。
 大学進学を決心したのは二年の夏だった。二流か三流の大学しか行けそうになかったが、それでもいいから大学へ行くようにと、両親に言われた。俺の中には勉学に勤しむ気持ちなどなかったが、大学へ行けば四年間、楽しく遊んで暮らせる、そんな思いがあった。成績が中ぐらいだった俺は、両親の申し出を即座にOKした。
 幸代との仲は、三年の春まで続いた。二年生になった幸代に、「妊娠したようだ」と打ち明けられた時は、正直、眼の前が真っ暗になった。今まで女と散々、遊んできたが、妊娠させるようなヘマは一度足りとてして来なかった。
 幸代の家は中級家庭のお堅いサラリーマンだ。妊娠がばれたら騒動になる。何とかしなければと思った俺は、中絶費用を用意して幸代に病院へ行くよう言った。
 決まって定期的にある生理が遅れている。そのことだけで妊娠を決めつけるのは早かったが、堕胎するなら少しでも早い方がいい。病院へ行くのに付き添って、検査をしてもらい、もし、本当に妊娠していたらその場で堕胎させる。俺はそう決めていた。
 しかし、十七歳になったばかりで、学生の身だというのに、幸代は、もし子供が出来ていたら産んでもいいかと、俺に尋ねた。
 そんなこと、許せるはずがない。俺は即座に堕胎を主張した。俺と幸代は意見が衝突したまま、病院へ行った。
 検査の結果、単なる生理の遅れで、妊娠していないことがわかった。安堵したものの、妊娠の件で幸代は俺に不信感を抱き、自分を愛してくれていない。そう思ったようだ。結局、俺たちはそのことが原因で別れることになった。
 この頃になると、女にでたらめな男、女に手が早い男として、校内中に悪評が高まり、女の子は誰も俺を敬遠して俺を相手にしなくなった。
 おかげで静かな高校生活最後の年になった。俺は受験勉強に専念し、二流から一流に近い大学に入学できる目途がついた。だが、俺の女癖の悪さは先天的なものだ。改心したってすぐには治せるものじゃない。高校最後の夏休みの時だった。
 知り合いのマスターに、「ウエイターの男子店員が一週間、夏休みを取って旅行に出かける、その間だけでいいから手伝ってくれ」、と頼まれて働くことになったのだが、そこで俺は、ウエイトレスのバイトをしていた森川恵美と知り合う。彼女は俺より一歳年上だったが、俺たちはすぐに仲良くなり、仕事を終えた後、二人で酒を呑みに行くようになった。未成年の俺は酒を口にすることなど、ほとんどなかったので、一緒に飲みに行き、深酔いして酔いつぶれることが度々あった。そんな時、俺は恵美のマンションに泊まり、そこで大人の関係を持った。一週間のバイトの間、結局、俺はそのほとんどを彼女のマンションで過ごした。バイトを終了した後も、その関係はしばらく続いたよ。
 恵美と知り合ったことで、俺の生活は根本から乱れたね。受験勉強もしなくなり、学校を終えると彼女の部屋に入り浸るようになった。
 家に帰って来なくなった俺を心配した両親が恵美の部屋に乗り込んだことで、俺たちの関係は終止符を打った。
 だが、そんなことがあってすぐに、俺は自分の適性を知ったよ。俺は女を相手にする仕事が向いているんじゃないか、そう思ったんだ。
 大学に入学してすぐに俺はアルバイトをするようになった。ホストのバイトさ。ホストの仕事をバカにする奴もいるけれど、あれはあれで大変な仕事なんだ。客のほとんどが風俗嬢で、仕事でたまったストレスをホスト遊びで解消しようとする。そんな女を相手にするんだ。少し想像しただけでもわかるだろ。金を稼ぐしんどさをつくづく味わせてくれたよ。
 男を相手にして稼いだ金を今度は男に使う。俺たちは、そんな女たちの財布の紐を如何に緩めさせるか、苦心するわけだ。
 バイトでホストの仕事をするようになった俺は、すぐに贔屓客を捕まえることが出来た。早紀という名前の風俗嬢の女は、俺がバイトで入った店の常連のようで、「新人です。よろしくお願いします」と、挨拶すると、贔屓のホストを下がらせて俺に隣に座るよう命じた。
 「名前、何て言うの?」
 「達也と言います」
 俺の源氏名だ。早紀は三十代後半と思しき風体で、いかにも長年のキャリアを誇る風俗嬢といった感じの女性だった。
 「達也のためにドンペリプラチナ抜いてあげるわ」
 サポートに付いていたホストが、大きな声を上げて早紀の注文を復唱した。
 「早紀さま、ドンペリプラチナ入りました!」
 すると、店の中にいた接客中のホストが一斉に立ち上がって手を叩く。早紀は満足げな表情で店内を見渡し、俺を見た。
 ドンペリというのは、シャンパンの中でも特に熟成年数の長い「ヴィンテージ・シャンパン」に属するものを言う。一番下のランクでも八年程度の熟成を行うというから値打ちのほどがわかろうというものだ。また基本的に「ブドウの出来が良い年のみ仕込みを行う」ため、年によっては製造を行わない場合もあるという。日本では、エノテークの古いヴインテージなどを指して「ドンペリプラチナ」と呼ぶことがあるが、どちらにしろ最高級の飲物だ。それを早紀はいとも簡単に注文する。一体、いくらするのだろうかと、俺は気が気じゃなかった。
 バイトで入った俺だったが、二週間もすると、店でなくてはならない存在になった。早紀以外にもたくさんの贔屓の客が増えたのだ。
 ホストにとって大切なことは、客の愚痴を聞いてやることだと、俺は店長から最初に教わった。客を女王さま気分にして、盛大、金を遣わせることがホストの仕事だ、と聞いて、その通りにやったに過ぎなかった。中には露骨にセックスを強要してくる客もいたが、客とねんごろになったらこの仕事は続けられない。そう聞いていたので、俺はうまく立ち回り、相手をその気にさせておいて、するりと逃げた。決して客と寝ることはなかった。
 大学は中退した。何のために通っているのか、わからなくなったからだ。向学心はずいぶん昔に失せていた。俺はホストの仕事に邁進し、金を稼ぐことを第一の目的に考えるようになり、一年も経つと普通では考えられないような大金を稼ぐようになった。
 金と女と酒とギャンブル――。それが俺のすべてになった。毎日が楽しい、まるでバラ色の人生だと、俺は青春を謳歌していた。
 ホストの店へは毎日、午後11時に入るのが通例だ。客が入り始めるのは午前0時を回ってからになるので、それまで俺は、ミナミの行き着けのスナックに顔を出したり、女と食事をしたりして過ごす。その日はたまたま買い物があって梅田に行き、それが終った後、知人に会うために堂山辺りを歩いていた。
 俺は堂山辺りの猥雑な感じが嫌いではなかった。雑居ビルが立ち並び、いかがわしい人物が往来する。もちろんサラリーマンやOLの姿もあるが、仕事柄もあってか、そういった人間たちの方に自然に目が向いた。
 知人と会い、酒を口にして少し酔いが回っていた俺は、酔いを醒ますためにゆっくりとした足取りで歩いていた。その時のことだ。俺は信じられないものを見た。
 すれ違った人物を見て驚いたのだ。女は、俺のことなど知らないから気付かなくて当然だったが、俺にはその女が誰か、すぐにわかった。
 ――井早環、高校時代、俺が憧れた女だ。その女が薄いブルーのドレスを身にまとい、いかにも水商売といった風情で俺の横を通り過ぎた。
 相変らず美しかった。濃い化粧が自然に身についていた。昨日や今日、水商売を始めたといった感じではなかった。
 よほど、呼びかけようかとも思ったが、俺と井早環には何の縁もゆかりもない。声をかけようにもかける言葉がなかった。スタスタと通り過ぎて行く井早環の背中をただ見つめるだけだった。
 俺らしくもなく、胸がドキドキと音を立てて鳴った。中学時代、高校時代、大学に入ってからも俺はとっかえひっかえ、女と関係してきた。付き合った女の数など、多すぎて今はもう数えていない。そんな俺が、純真な少年時代に戻ったかのように胸を鳴らすのだ。不思議で仕方がなかった。
 ――俺の思い違いじゃないだろうか。井早環が水商売をしているわけがない。
 そう思い直そうとしたが、無理だった。あれは間違いなく井早環だった。
 
 俺を贔屓にする客は多かった。早紀は、俺のために金を遣い過ぎたのか、半年ほどでツケが溜まってドロンした。早紀は風俗でずいぶん稼いでいたようだが、それでも追い付かず、闇金にも追い詰められ、結局、逃げるしか方法がなかったようだ。ホストに貢ぐ女たちはみんな哀れだった。落ちるところまで落ちなければわからないようで、俺を贔屓にした客たちもほとんどの人間が苦界に沈んだ。
 贔屓客が俺の気を惹こうと競争して金を遣う。俺をこの店のナンバーワンにしたくて俺の売上を上げるために狂奔する。馬鹿みたいな話だが、女たちは皆、真剣だった。
 俺は、店でナンバーワンの売上を何度も上げ、不動の地位を保つことが出来た。だが、どうしてだろう。少しも嬉しくなかった。金もある、ブランドの衣服や持ち物を持ち、マンションも家賃八〇万円という高価なタワーマンションに住んでいた。この若さで大したものだと皆は言うが、そんな暮らしに慣れてしまうと、不思議なもので飽きが来る。贅沢だといえばそうだが、一年も二年もそんな生活をしていると、次第に自分が高慢になり、俺に近付いてくる奴らも金目当ての奴が大半に思えてきた。
 ――空しい。
 そう思い始めたのは、三年が過ぎた辺りからだ。一時は、暴力団員の知人に誘われて闇カジノにも通ったことがあるが、それほどギャンブルには興味が持てず、深入りしないまま終わった。
 女もそうだ。客の女とは寝なかったが、俺の周りには常に女がいた。昔から女には不自由しない、常に俺はそう豪語していたが、女とのセックスにもそろそろ飽きが来ていた。
 結婚など意識したこともなかったが、二五歳を過ぎた辺りから結婚もいいかなと、ぼんやりと考えるようになった。だが、どの女もセックスには最適だったが、生涯、共に暮らそうと思えないような女ばかりだった。
 そんなある日のことだ。俺は用があって梅田に出かけた。用を終えて、帰ろうかと思って梅田の雑踏を歩いていた時、以前といっても数年前のことだが堂山辺りで井早環に会ったことを思い出した。
 まさか、もう会うことはないだろうな、と何の期待もせずに堂山辺りを歩いていた、その時のことだ。俺は思わず目を見張った。向こうから歩いてくる人物に見覚えがあったからだ。あれは――。
 濃い黄色の眩いドレスに身を包んだ井早環が俺のすぐそばを通り過ぎようとした。
 「井早環さんじゃないですか?」
 ごく自然に声が出た。環は驚いた様子で立ち止まり、俺をじっと見た。
 「やっぱりそうだ。井早さんだ。俺、同じ高校に通っていた同学年の岸と言います」
 環はしばらく俺を見つめていたが、踵を返すと、何ごともなかったかのように俺のそばを去ろうとした。
 「待ってください。時間ありませんか? 俺、あんたに会いたかった。高校時代からずっとあんたと話をしたいと思って来た」
 環は立ち止まり、振り返ると俺に小さな笑みを漏らした。
 「ありがとうございます。でも、今の私はあの頃の私とは違います。どうか、そっとしておいてください」
 疲れた表情をしていた。見かけとは違い、環は人生の敗残者であるかのような表情で、俺に向かって腰を折り、頭を下げた。
 「1分でもいい、俺に時間をください。あんたとどうしても話がしたいんだ」
 環は戸惑った表情で俺を見た。酒か、クスリに蝕まれているのではないか、蒼ざめた表情は健康な人のそれではなかった。
 「商売柄、そう言われるとつっけんどんには出来ないわね。じゃあ、少しだけ――」
 俺は近くにある喫茶店に環を招き入れた。
 派手なブランドのスーツに身を固めた俺は、どこから見てもホストそのものだった。環もそうだ。服装、髪型、化粧、どれをとっても水商売のものだ。
 喫茶店で俺は環に何を話したのか、今はほとんど記憶にない。それほど夢中になっていろんなことを喋ったに違いない。環がどういう思いで俺の話を聞いていたのか、俺にはわからない。だが、環が人恋しく思っていることだけはよくわかった。ポツリポツリと話し始めた環の過去はこうだった。
 ――有名国立大学に入学した後、環は友人に誘われて北新地のホステスのアルバイトをするようになった。高級な会員制クラブで客もセレクトされていると評判の店だったが、その店の会員の客の一人に、田畑英二という、三十代の男がいた。その男が環の人生を一変させた。田端は大阪でも名高い暴力団の幹部で、その田端に強引に女にされた環は、クスリ漬けにされ、愛人となってしまった。大学を中退し、家を出た環は田端と同棲。環が水商売の仕事に従事するようになったのはそれからのことだ。
 環は、半ば自嘲気味に過去をかいつまんで俺に話した。
 「そいつを捨てられるか?」
 俺は聞いた。環は首を振って答えた。
 「無理よ。私、薬ちゅうだし、クスリなしではいられなくなっている。あいつから逃げたいと思っているけれど、あいつ、暴力団の幹部だから逃げてもすぐに連れ戻される。連れ戻されてひどい暴力を受ける。あいつがいなければクスリも手に入らないし――」
 自暴自棄に近い様子で環は淡々と話した。
 俺の周りにいる女にもそういった類の女が多い。女は自分の過去を聞いてもらいたがるが、俺はいつも聞くだけで何もしない。だが、この時の俺は、どうかしていたのだろう。環に向かって、
 「俺が助けてやる。俺と一緒に暮らさないか」
 と、普段、吐かない言葉を口にした。環はキョトンとした顔で俺を見つめ、
 「何言ってるの? 私、暴力団の情婦でおまけに汚れた女よ」
信じられないといった様子で首を二度、三度、振った。
 だが、俺は、俺と一緒に暮らそうと、その言葉を何度か繰り返し、環を無理やり納得させた。
 ――どうせ、あんただって、すぐに私を捨てるんでしょ。
 環はきっとそう思っていたのだと思う。環は俺のことをそれほど信じているわけではなかった。ただ、自分が今いる場所から逃げ出したい、常にそう思っていただけなのだろう、それは俺にもよくわかった。
 結局、その日のうちに俺は環を俺の住まいに連れ込んだ。タワーマンションの最上階、見晴らしだけは抜群の住まいだ。環もきっと気に入ってくれるだろう、そう思っていたが、環は早速、クスリの禁断症状が出て、苦しみ始めた。
 クスリを辞めさせるのは並大抵の努力ではない。俺は、マンションの一室に鍵をかけ、金属性のものなどを取り除いた部屋に環を閉じ込め、食糧や飲物を差し入れるだけにした。
 環の悲鳴に近い叫び声は、まるで断末魔のようで、俺は何度も耳を抑え、心を鬼にした。病院へ入院させる方法もあったが、違法のクスリをやっていたことがばれれば、環が罪に問われる。そのことを畏れた俺は、環を監禁して、クスリを抜こうと決心した。
 もう一つ心配があった。田端というヤクザのことだ。暴力団の幹部であれば、顔も広い。環が俺の元にいることがばれるのも時間の問題だと思った。
何とかしなければ、と思う、そんな俺の気持ちが通じたのか、違法薬物の一斉取り締まりで、環を脱出させた三日後、田端が捕まったと報道があった。違法薬物取扱いだけでなく、田端にはさまざまな罪状が重ねられ、おそらく十数年は出られないだろうと新聞紙面で解説されていた。
 
 俺がホストを辞めたのは、それから一年後のことだ。ホストで貯めた金を利用して、俺は日本橋に『たまき』という小料理の店を出店した。二階建てで宴会にも使える、しかも安くて酒も肴も美味しい店という触れこみでネットを中心に宣伝したところ、旅行客を中心に開店早々、予約が殺到した。
 店を女将に任せ、俺はIT関連の会社興した。従業員十名足らずの小さな会社だったが、商事会社を中心に企業と次々に契約を結ぶことが出来、まずは順調な船出となった。
 環とは、ホストをやめてすぐに結婚をした。小料理屋は店の名前を見てもわかる通り、環の提案によるものだ。
 薬中毒から脱した環は、以来、とても元気でしかも美しくなった。環と同棲するようになってからというもの、俺はすべての女と手を切った。
 幸せの価値というのは、一人の女の存在によってずいぶん違うものだと俺は思ったよ。環に出会っていなければ俺は、多分、今でも生きがいを見出せないまま、ホストの仕事に従事していただろう。
 
 男はそうつぶやいて懺悔を終え、席を立った。経営者になっても、男のホスト然としたたたずまいは変わらない。きらびやかな衣装に身を包み、身をひるがえして男は去った。仕事が変わっても、着慣れた服装を変えるのは難しいのだろうなと、その時、俺は思ったよ。
〈了〉

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