見出し画像

和歌心日記 1 蝉丸

これやこの
行くも帰るも
別れては…


柏木浩人は東北新幹線の自由席の中から窓の外を眺めていた。
「しばらくお別れだな。この景色とも…もう来ることもないのか…」
3席並びの窓側に陣取る柏木の1席開けた通路側に妙齢の女性が座る。
幾分香水の匂いがキツいが悪い匂いではなかった。営業ウーマンだろうか。または、どこぞの会社の役員か。
柏木はその女性に向けた眼を再び窓外に戻す。
雪がほんのりと景色に蓋をしている。
もう少しで福島は新白河を迎えるところに差し掛かる。
「白河の関…だっけか。松尾芭蕉だったっけ」
柏木は独りごちた。

「柏木くんは、もとは都会の人だもんね。やっぱりここにはいられないよ」
「そんなことないよ。いろんなところに転勤してきたし、どこででもやってきたよこれまでも」
「ううん、だからきっと、一ところにずっとはいられないよ」
「いや、そんなことないよ」
「じゃあうちの酒蔵継げる?」
「え…」
「ほら、即答できないじゃん」
「いや、それは考えたこともなかったし…」
「いいんだ。わかってたの」
「いや、良くないよ。でも…」
その後の言葉が出てこない。

結局そういうことか。彼女の言う通り、僕はずっとここにはいられないんだ。

「困らせてごめんね。東京で頑張ってね。応援してるから。柏木くんは都会が似合ってる。じゃあね」
彼女はそう言うとクルっと反対を向いてずんずん去っていく。
止められない僕。

窓を高速で流れていく景色。あの時の彼女の去っていくスピードを思い出す。

これやこの
行くも帰るも
別れては

別れては…か。

ジョウジョウと隣の女性のイヤホンから音が溢れて来る。
琵琶の音だろうか。

よく見ると女性は眼を瞑り指を動かしている。
琵琶の先生か?和楽器か?なんだろう。

そうだ、これは白河の関ではなくて、蝉丸の句だ。

彼は謎の人と言われている。
天皇の子供か、単なる乞食か。しかし、このリズミカルな句は子供の頃から忘れられない。

これから行く人も帰るひとも。
この関を越えていく。

僕は東国に、いや福島から見たら西国だけど。
都会に向かっている。高速で。昔は何日もかけて、いまはたった1時間半で。

遠くないよ美智子さん。すぐに戻れるんだよほんとは。遠くなるのは物理的な距離ではなくて、心の距離だ。

君が来たって良いはずだったではないか。

電車は新白河をいつのまにか越えた。
景色から雪の蓋が取れていた。なんだか一気に福島が遠くなった。

ジョウジョウと琵琶の音が聞こえてくる。
まるで琵琶が泣いているようだ。

僕の眼が潤む。本気だった。

「あら、大丈夫?」
隣の女性がティッシュを差し出してきた。
僕は頭を下げてもらう。結構涙が流れていたようだ。

「琵琶は良い音よね。音漏れしちゃってたわ。ごめんなさい」
「あ、いえ。勝手に泣いてただけなので」
「あら、お別れか何かかしら」
「まぁ、転勤です」
「そう」
女性は少し考え込んだ顔をする。

「若いし、新天地でまたいい出会いがあるわよきっと。どこなの?」
「東京です」
「そう。私も東京よ。次のコンサートは」
彼女はチラシを僕にくれた。雅楽の演奏者だった。
「良かったら来てね。まぁ無理しなくていいわ。なかなか興味持てないだろうし」
そう言うと彼女は笑ってイヤホンをした。
でももう音漏れはしなかった。

僕はまた窓外に眼を戻す。
見慣れたビル群の姿が現れてきた。
無数のビル。
彼女のこともきっと忘れていくだろう。
知ってる人とも知らない人とも、新しい出会いを探そう。

今僕は会う坂の関を越えて行く。


これやこの
行くも帰るも
別れては

知るも知らぬも
あふ坂の関


続く。

この記事が参加している募集

恋愛小説が好き

自由律俳句

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?