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脊髄損傷 再生医療の挑戦② 患者の望みに応える 骨髄間葉系幹細胞治療

脊髄損傷になると、車椅子や寝たきり生活となるのが常識だった。そこへ、2018年、一筋の光が差した。四肢麻痺から歩行できる状態へ回復が期待できる再生医療「骨髄間葉系幹細胞治療」が厚生労働省から条件・期限付きで薬事承認されたのだ。開発元の札幌医科大学理事長・学長山下敏彦医師に話を伺った。


損傷した脊髄は二度と治らないという定説

 脊椎(背骨)は人間の支柱になるとともに、体幹・四肢の運動の根幹をなす運動器です。背骨の中央には脊柱管があり、その中に繊細な脊髄という組織があります。体を動かそうと思ったとき、脳からの指示は脊髄を通り、手足に伝わります。また物に触れた感触などは末梢の神経から脊髄を介して脳に伝わります。
 脊柱に何らかの衝撃が加わり、脊髄が傷つくことを「脊髄損傷」といいます。脊髄を損傷すると、脳での指示が筋肉に伝わらず手足の麻痺を生じ、肺や内臓までうまく動かなくなります。
 20世紀初頭のノーベル賞受賞解剖学者ラモン・イ・カハール博士は言いました。
「脳や脊髄などの中枢神経は一旦損傷すると元通りには戻らない」
 それくらい脊髄損傷は回復の難しい外傷です。日本には10万人以上の患者さんが存在し、年間約6000人が新たに発症します。中にはスポーツなどで受傷した若年者も含まれ、車いすや寝たきりなどハンディキャップを背負って生活することになります。
 これまでも脊髄損傷の治療法として、可能な限り症状を軽減するため受傷後急性期に行う手術療法や、残存した神経機能に対するリハビリテーションはありました。しかしながら、損傷した脊髄を回復させる方法はありませんでした。

常識を覆す幹細胞を用いた再生医療

 そこで注目されたのが再生医療。損傷した脊髄を修復し、喪失した神経機能の回復を促進する治療法の開発は、多くの医療者や患者さんが強く望んでいたものでした。
 自己複製能力や、他の種類の細胞に変わる分化能力など、特殊な能力を持つ「幹細胞」は再生医療に適した細胞です。
 いくつか種類のある肝細胞の中で実験を重ねた結果、「骨髄間葉系幹細胞(MSC:MesenchymalStem Cell)」にフォーカスしたのが、札幌医科大学神経再生医療科の本望修教授でした。MSCは骨髄液中の細胞1000個に1個の割合で存在し、神経や骨・軟骨、筋肉、血管、内臓など体のさまざまな組織に分化する能力を持っています。本望教授を中心としたグループは、脊髄損傷や脳梗塞など神経疾患に対するMSCを用いた細胞療法の基礎研究を長年続けていました。
 動物実験でMSCの脊髄損傷に対する機能回復の効果を十分に評価した上で、2013年12月より整形外科と神経再生医療科が連携し、札幌医科大学附属病院で受傷直後の頸髄損傷症例に対する医師主導による治験を開始しました。医療機器・医薬品大手のニプロ株式会社との共同研究です。
 治療の手順は、受傷後31日以内に患者本人の腸骨(腰の骨)から骨髄液を採取し、細胞を分離・培養して製造した点滴で全身に投与します(図1)。
 細胞を投与した後は一般のリハビリテーションを行い、半年後にどれだけ手足の動きが改善したかを評価しました。13例の患者さんに投与した結果、12例で四肢の動きの改善を確認できました。また、治療に伴う重篤な合併症もありませんでした。

図1

神経疾患に対するMSCの治療メカニズム

 どうしてMSCを投与すると傷ついた神経が改善するのか。これまでの研究結果より推察できる神経疾患に対するMSCの治療効果を時系列に紹介します。


「投与後早期の効果」
①MSCが傷ついた神経部位へ集まる作用(ホーミング効果)
②MSCが神経栄養因子を放出することにより傷ついた神経をさらなるダメージから守る、あるいは傷ついた神経周囲の炎症を抑え込む作用(神経保護作用、抗炎症作用)
③傷ついて脆くなった周囲の血管を補強し、神経周囲への悪影響を抑え込む作用(血液脳脊髄関門の安定化)
「投与後中期の効果」
④傷ついた神経同士を接続する配電線の役割(軸索)の修理(脱髄軸索の再有髄化)
⑤傷ついた組織へ周囲の血管から新たな血管を誘導する、さらにはMSC自身が血管に分化する作用(血管新生)
⑥傷つき断裂した軸索を接続しなおすために、新たな軸索を伸張する作用や健康な組織からの新しい軸索のネットワークをつくる作用(神経可塑性の亢進)
「投与後晩期の効果」
⑦傷ついた部位に集積し、定着したMSCが神経系細胞へ分化する作用(神経再生)。


 幹細胞を点滴で全身投与することで、傷ついた組織だけでなく、周囲の健康な組織にも細胞が届き、さまざまなタイミングで今回紹介したような治療効果を発揮します。この点が通常の薬物治療と大きく異なる点であり、重要な点であると考えます。

世界初の薬事承認 脊髄再生治療薬

 厚生労働省は2015年より「先駆け審査指定制度(現・先駆的医薬品指定制度)」を開始しました。根治療法がなく社会生活を送るのが困難な患者さんのため、新しい治療薬・治療法によって「有効性の大幅な改善が見込まれる」場合、早期に実用化するための新制度です。2016年、MSCを用いた細胞製剤は再生医療等製品の第1回対象品目に選ばれました。
 そして2018年、厚生労働省より本治療が保険収載下の一般診療として製造販売が条件・期限付きで承認されました。
「商品名:ステミラック注/一般名:ヒト(自己)骨髄由来間葉系幹細胞」(製造販売:ニプロ)です。ただし、これは厚生労働省が展開する、再生医療等製品に対する早期承認制度に基づくものです。正式承認には、7年間の期限で症例数を増やし、更に高い安全性や有効性を証明する必要があります。

即効性のある治療で四肢麻痺から歩行という症例も

 治療対象は、受傷後31日以内を目安に骨髄液採取を実施することが可能な受傷後間もない脊髄損傷の患者さんです。事実上、受傷後、約2週間以内に札幌医科大学に入院する必要があります。
 ステミラック注は患者自身から採取したMSCを2〜3週間かけて約1万倍(1億個)にまで培養します。その後、安全性試験、品質試験を経て、最終的に製品化します。投与は末梢静脈内に60分程度かけて点滴静注します。
 保険適用後の一例を紹介します。45歳の男性がトランポリン着地の際、頭部から転落して頸部を屈曲するケガを負い、四肢麻痺になりました。股関節以下は全く動かない状態でした。受傷56日後にステミラック注を実施したところ、治療翌日には座位が可能となり、歩行器を用いて歩けるまで回復しました。ただし、治療を受けた患者さん全員が必ずしもこのように回復するわけではなく、個人差はあります。
 現在、全国の急性期病院やリハビリテーション施設の協力のもと市販後調査を実施しています。治療開始からこれまでに全国から100例以上の患者さんの転院を受け入れ、当院で再生医療を行い、良好な成績を得ています。
 ステミラック注を希望される場合、入院している医療機関からの紹介のみを受付しておりますので、医療機関から札幌医科大学へご連絡下さい(図2)。
 主治医からの診療情報を基に治療が可能かどうか事前確認をいたします。

図2

ステミラック注が世界を変える

 脊髄損傷の多いコンタクトスポーツのひとつにラグビーがあります。2022年3月からは(公財)日本ラグビーフットボール協会から、「ラグビー等スポーツ選手における脊髄損傷に対する骨髄間葉系幹細胞を用いた再生医療の最適化の研究の奨励」を目的にご寄附をいただきました。
 現在、札幌の施設1カ所で治療薬を製造している段階ですが、東京(羽村市)の施設もスタートすれば、より多くの患者さんの要望に応えられるようになります。脊髄損傷で苦しむ方が一人でも多く、機能回復できるよう研究・臨床に励んでいきます。(談)

(公財)日本ラグビーフットボール協会への感謝状贈呈。左から廣田助教、坂根正孝先生(協会)、河野一郎先生(協会)、私、田島卓也先生(協会)

札幌医科大学 理事長・学長
山下 敏彦(やました・としひこ)

1983年札幌医大学医学部卒。整形外科学講座教授、附属病院の病院長などを歴任し、
2022年4月より札幌医科大学第4代理事長・第12代学長就任。

※『名医のいる病院 整形外科編 2024』(2023年10月発行)から転載