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スマホを誰かが落としただけなのに

地下鉄大江戸線の新宿駅に着いて、ホームをおりた途端、ジャージ上下の怪しげな男が、しゃがみ込んでいた。
男の視線の先には、スマホが落ちている。
男は、それを見ているのだが、ホームに響き渡る発車のベルに振り向き、慌てて、電車に乗り込んだ。
どうやら、このスマホの持ち主は、別にあるようだ。
男がいなくなったホームには、ポツンとスマホが落ちている。
人々はそれを避けながら、地下鉄の階段を上がっていく。
俺は、このスマホが気になって仕方なかったものだから、立ち止まって、駅員に届けようと思った。
その時、前方を歩いていたスポーツジム通いのような服装の、非常にアグレッシブなおっさんが、こちらへ向かって走って来た。
そして、来るや否や、電光石火!
スマホを拾い上げた。
俺は、アグレッシブなおっさんがスマホを手にした姿を見て、慌てて駅員に届けなくて良かったと胸をなでおろした。
だが、次の瞬間、
「これ、落としましたか?」
おっさんは、俺の眼前にスマホを突き出した。
一体どういう意味だ、このスマホは、おっさんのではないのか?
「いえ、違います」
俺が否定すると、おっさんはスマホを片手に掲げながら、ホームを見回し、大声で呼びかけ始めた。
「すいませーん!これ落とされた方いますか!」
何故、大声なのかを俺は知っているが、俺以外の人々は、ホームで大声を出しているおっさんを危険人物と見なしたのだろうか、次から次へと避けて通って行く。
「誰かスマホ落としませんでしたかー!」
発車のベルが鳴り続けている。
おっさんは、ベルにかき消されないように、もっと大声を出す。
「このスマホ落とした人いませんかー!」
そう言いながら、おっさんは、突然、電車に飛び乗った。
このおっさんは、ついさっき、この電車から降りて来たはずである。
スマホの持ち主を見つける為に、まさか次の駅まで乗る覚悟なのだろうか?
もう、ドアが閉まってしまう。
ホームから見ると、電車内の人々が騒然としている様子がよく分かる。
スマホのことよりも、凄い勢いで乗って来たおっさんが、凄い勢いで大声を出しているというインパクトの方が強すぎて、そうなっているのであろう。
もう、完全にドアが閉まりそうになっている。
発車のベルが鳴り続け、危機感を煽る。
おっさんは、ホームに戻ろうとするも、身体半分だけ、電車の中にいる。
ああ、挟まってしまう、おっさんの運命やいかに!
「置いときます!」
プシュー!
それは、ほぼ同時だった。
おっさんは、電車内にスマホを置くと、スパイ映画のヒーローの如き身のこなしで、ホームに舞い戻った。
ガタンゴトンガタンゴトン。
持ち主不明のスマホを乗せた電車は、走り去って行った。
俺が、最初にスマホに気付いてから、ここまで、わずか20秒くらいだろうか。
なんというドラマだ。
ティックトックで配信するには、丁度いい尺かもしれない。
そんなくだらないことを考えている間に、おっさんは、何事もなかったかのような顔で、新宿駅の階段を上って行った。
そして、誰のものだか分からないスマホは、電車に乗って運ばれて行った。
分からなければ、この先、どこまでも、どこまでも。
俺は、スマホの持ち主が誰だったのかより、あのおっさんが誰だったのか、そっちの方が気になっていた。
 
 
 

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