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エッセイストを育てる家 三話 ドラマ「父の詫び状」レビュー 向田邦子

 続いて向田邦子原作のドラマ「父の詫び状」を取り上げたい。図らずしも、向田邦子は幸田文の1つ下の世代、青木玉と同じ年1929年生まれである。

 ドラマは向田邦子が子供だったころの、父征一郎(杉浦直樹)を中心とした家族の思い出のエッセイ(「父の詫び状」ほか)のエピソードをつないで脚本化したものである。ドラマでの家族の苗字は「田向」と表札に書かれている(向田をさかさまにしている)。向田邦子をモデルにした長女恭子、二女の順子、母しのぶのほか征一郎の実母である祖母千代(沢村貞子)が同居している。

 ドラマは重苦しい映像と音楽が終わったあと、父征一郎の夢のシーンから始まる。恭子が盲腸のため体育の授業の短距離走に父が代理で出ることを申し出、怪我をするのだ。いささか退屈な寸劇の挿入ではあるが、堅苦しいドラマではないことに視聴者は少しホットする。田向家の朝食の卓で父征一郎がこの夢を披露し、そんな夢を見た本人が笑われると、娘のせいだと叱責する。ドラマは杉浦直樹演じる父が家族を怒鳴り散らすシーンの連続である。二女は海水浴にでかけて下履きを盗まれて、今度からはズロースを履いて泳げと叱られる。弟も帰りになぜパンツを貸してやらなかったと怒られる。時に父の言動や叱責理由に矛盾があることを誰かが指摘すると、それを打ち消すべく、また怒鳴るのである。深夜父が帰宅するとすでに寝ていた子供たちは起こされて、挨拶させられ、土産があればそれを食べさせらる。母が食中毒を気にして断ると寿司の折り詰めは庭に投げ捨てる。視聴者は家族の一挙手一投足を怒鳴りちらす様子に圧倒される。ここでその後のシーンを枚挙するまでもなくドラマの第一のテーマは父の理不尽な叱責であることが明確に示される。

 向田邦子自身が著書で明らかにしたことも含めて統合すると父は大手保険会社のサラリーマンだが、父の母親すなわち祖母がシングルマザーだったため、その父親(向田邦子の祖父)の顔は知らない。苦学して大企業に入り、給仕からスタートして支店長の地位まで登りつめた。学歴がないことがコンプレックスであり、子供の不甲斐なさを叱咤激励するその姿は、自分自身に言い聞かせているようにもみえる。子供の次は、子供の出来の悪いのはお前のせいだと母親が責められる。母親はときに子供や祖母をかばうが基本的には父をたてることをやめない。弟の友達に父親がいないことを知ると、弟と一緒に近くに連れて行ったりして目をかける。親戚などの家を転々とした自分の子供時代を投影しているようだ。

 家族の中での暴君としての父をいつも見ている恭子は、父には家族よりも大事にしているようにみえる会社という存在に気がつくようになる。突然、宴会の帰りに父が同僚を家に連れてきて、二次会となる。しかも、その大人たちは帰宅することなく、次の日まで泊っていく。子供の大切な布団もその晩はお客様用に供される。当然に正月ともなれば、会社のつきあいの人間が自宅にやってきて宴会となり、家族はその応対が当然の役割である。祖母が亡くなった際に社長が弔問に来るが、玄関で三和土に頭をつけるほどの文字通り「平身低頭」ぶりに恭子は驚きを隠すことができない。父は外(世間)ではこのような卑屈ともみえるほど頭を下げて生きてきたのだと。

 そのような認識は恭子が少し大人になったことの証であり、誰でもそのような経験を経て成長していくものであるが、杉浦直樹の家庭での暴君ぶりとの会社での奴隷のような姿のギャップは、視聴者の胸を痛める。どこか少し懐かしいような感情も往来する。ここでこのドラマの二番目のテーマは会社というある種の「家」が家族に対する影響力と言えようか。

 幸田文の家族の考察に続き、「敗者の精神史」として、向田邦子の家族を検証してみよう。向田家の場合、幕臣を先祖に持つ立派な家の崩壊、その再興としての露伴や兄弟の立身出世・活躍、家族の多くの結核での逝去、などの境遇・事情とは大きく異なる。向田邦子の父(敏雄)は私生児で、その父親は石川の向田(こうだ)という土地にやってきて、苗字のその土地名から取り、あえて「むこうだ」と読むようにしたという。ここで幸田露伴・文と同じ「こうだ」である偶然に驚く。大正時代に私生児として生まれた向田敏雄には、幸田露伴のようにもはや復興すべき家はない。大政奉還・廃藩置県とともに各藩の大名、幕臣とその家来、といった武士階級全体からなる家は消滅して、その代わりに旧幕臣澁澤栄一たちが作り上げたのが、それぞれが日本の豊かにしていくことを目指す「会社」という新しい家であった。もとより「家」の無い向田敏雄にとって大企業はすがってでもその一員となり、そこでの命令が絶対であることには何ら疑問はなかったはずだ。

 露伴は幕臣を先祖とする「家」に後継者はなく、身寄りは出戻りの文と孫の玉だけであった。向田敏雄は、先祖とする「家」は明らかでないが、その代わりに会社を自分の「家」として転勤も厭わず服従する。また露伴と違って家族子供には恵まれている。もはや、封建時代ではないので、サラリーマンを象徴させる転勤族の家は二階建ての民家である。一階の座敷は会社関係者もやってくる、いわば会社の延長の空間であるがかろうじて二階は子供や家族の寝室として個人の空間を確保している。このようなあたりのドラマでの描写が、幸田文や向田邦子という個人の出来事というよりは、時代ごとの市民一般の「家」に対する考え方の変遷をほんのりと示しているようである。

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