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愛犬に捧ぐ

1.突然のお別れ

残暑が過ぎさり、秋本番を迎える10月上旬の出来事だ。
いつものように朝目が覚めると騒がしい雨音や車が通る水しぶきの音が聞こえた。
雨が降っていることもあり少し冷え込み肌寒く、一層秋を感じさせる雨音以外聞こえない静かな朝だった。
私の愛犬は「ドーベルマン」で8歳を過ぎた雄の老犬だ。
病気持ちなので最近は散歩で外に出歩くことはなく家の庭で排便等を済ませていた。
朝起きて一番に庭に出し、ご飯をあげるのが毎日の習慣だ。
いつもは階段を降り、外に出す準備を始めるとピーピー鳴く声や叫び声が聞こえてくる。
この日はいつも聞こえてくる声がしなかった。
これまでにもそうしたことは時々あり、そういう時は大抵部屋の中で尿や便を漏らしてしまっていることがほとんどだ。
特に何も考えず、リビングへ向かうとぼんやり愛犬が横たわっている姿が映し出された。
その時初めて、便が我慢できなかったのか、それとも寝ているだけなのか、あるいは発作か何かが起こったのか、一瞬のうちにそんな考えが頭の中で回転した。
朝横になって寝ている姿はほとんど見たことがなかったので不自然に思い、すぐに違和感を感じた。
愛犬に近づいても起き上がることはなかった。
ケージを開け、数回手でさすりながら名前を呼んだがそれでも起きることはなかった。
その時すでに愛犬の身体は冷たくなっていたので愛犬に触れた時点で何が起きたのか悟った。
愛犬は亡くなっていたのだ。
尿が漏れており、少し体液も見えたので死んでからしばらく時間が経過しているようだった。
起こったことは理解できたがすぐに納得して頭で処理することができず、しばらくその場で立ち尽くした。
こういう時は本当に感情が表に出てくることはなくただただ死を悟っただけだった。
この日はバイトが休みで動物病院に愛犬の薬を取りに行く予定だった。
しばらくして母親に電話をかけた。
愛犬の死を告げると、「やれることはやったし仕方ないよ」、「二人共よく頑張った」と言われた。
その時初めて愛犬が亡くなった悲しい気持ちとこれまで愛犬のことで悩んできた気持ちが込み上げ、涙が溢れてきた。

2.愛犬を飼った経緯とこれまでの生活

私は幼い頃から自分を含め母親と姉と三人家族で暮らしてきた。
父親は母親と離婚し、しばらく会う機会はあったが絶縁し以後ずっと母子家庭だ。
母親は動物好きで動物関係の仕事に就いていたこともあり、小さい頃から常に家には犬や猫、小動物がいるのが当たり前だった。
飼いたい犬や小動物がいれば他の家庭より比較的容易に飼うことができた。
なのでこれまでに自分の犬として世話をしてきた犬はこのドーベルマンだけではなかった。
チワワ、シベリアンハスキー、スタンダードプードル、バーニーズ等を自分の愛犬として育てた経験があった。
テレビの影響を受けることもあり、ハスキーはディズニー系統の映画である「スノーバディーズ」という映画に出てくるハスキーに影響を受けた。
ドーベルマンは「カールじいさんの空飛ぶ家」に登場するドーベルマンに影響を受けて飼った犬だ。
私自身、犬や動物は好きではあったものの「めっちゃ好き」ではなく親に影響されて飼っていたことがほとんどだ。
また小学生や中学生の時は犬の老後のことなど考えることはできず、興味本意で軽い気持ちで「欲しい」、「飼いたい」と言ってしまっていた。
私は少し神経質な性格で特に思春期になると動物の糞尿の匂いや毛等、全て許容できる訳ではなかった。
そのため正直、動物のいる暮らしにうんざりしていた。
また多くの動物を飼っていれば当然それだけ多くの死を経験することもあった。
だから一頭の犬が死んだからと言って大きく生活が変わることはなく、もちろんそれぞれに思い入れはあったものの自分にとってそれほど大きな出来事ではなかった。
中学ではサッカーのクラブチームに所属しており、基本的にオフの日以外に愛犬の顔を見るのは朝と練習帰りの夜だけだった。
この頃は特に家庭環境にイライラし、母親に暴言を吐いたり物を壊したりすることが日常茶飯事だった。
その時は姉とも不仲で同じ空間にいると些細なことで衝突することが多かった。
親がどんな気持ちで働いているのか、あの頃の自分には理解できず、自分のことだけで頭がいっぱいだった。
そんな中、犬たちがいる生活が嫌になっていたので犬に八つ当たりをしたり冷たく接することが多くなった。
高校でも部活でサッカーに取り組み、プロを目指していることもあり学校や練習に忙しくしていた。
また部活内での上下関係は激しく、監督の罵声や威圧的な態度に萎縮し高校生活では非常に苦い経験も多くあった。
そんな状況ではやはり愛犬にほとんど構うことはなく朝晩の散歩だけを淡々とこなす毎日だった。
大学生になり授業とバイト以外に特に取り組んでいることはなかったので同じ空間で過ごすことは増えたものの愛犬に対する態度はこれまでとそれほど変わらなかった。
大学2年生くらいになると母親が自営業の仕事を拡大させるために拠点を変える等のため、以前の職場の片付けや移動に忙しくしていた。
大学生になると独りで過ごす時間が増えたり、部活に忙しくすることがなくなり自分と向き合う時間が多くなった。
このとき、勉強や読書に関心を強く持つようになった。
そうした中でようやく徐々に母親の苦労を理解することができた。
結局母親はその時の家から距離のある地方に移住することになった。
私は大学生なので一軒家に独り、取り残されることとなった。
姉はというと、その頃彼氏と一緒に過ごすことが多くほとんど家には帰らなかった。
また、私の愛犬以外の動物たちは全て母親が連れて行ったのでほとんど私と私の愛犬の二人だった。
母親が移住するとき他の猫と仲が悪い猫が一匹おり一緒にできないから飼ってくれと頼まれたためその猫も飼うことになった。
ようやく煩わしさが消え、解放された気分だった。
私は独りで暮らすことに向いているようで正直快適だった。
しばらくして姉は彼氏と別れ、大学を卒業した後、ひとまず母親の職場で働くことになり完全に犬と私の二人、そして猫だけになった。
これまでどうしても家に人がいると家事も家族に頼りがちで一人暮らしになって全て自分でこなすようになって初めて今までのありがたみが理解できた。
家事は慣れれば全く苦では無くなった。
それどころか全て自分の思い通りにできるためストレスなくいちいち自分のこだわりを家族に押し付けてイライラすることがなくなった。
独り暮らしは快適だったがしばらく話し相手がいないのは少し寂しかった。
だから家にいる愛犬と猫はより存在感の大きいものになった。

3.飼い主としての自覚

元々愛犬は皮膚が悪いらしくフケが目立ちやすかったり、禿げやすい犬だった。
ある時、胸の辺りがブヨブヨしていて少々膨らんでいるようだった。
母親に連絡し、母親が以前からお世話になっていた動物病院に相談し、愛犬と二人でその病院へ向かうことになった。
大型犬なのでトランクを開け、軽自動車の後方に乗せて連れていくことにした。
どうやら膿が溜まっているようだった。
ひとまず命に別状はないようで一安心した。
抗生物質を処方され、あまり頻繁に愛犬を洗うことがなかったので週一くらいで洗洗ってみることにした。
改善は見られたが服を着せたりすると脂っぽい分泌物によって汚れたり悪臭を放ったりしていた。
胸元だけではなく、太もも、腹部なども禿げたり膿が出やすい体質のようだ。
また耳垢も湿っぽくひどい臭いがしたり、目やにが出やすい体質でもあった。
経過を見たがやはり皮膚の状態が良くないので再度同じ病院で診てもらうことにした。
抗生物質はそのままでシャンプーの回数を増やした方がよく、特に薬用のものを少しの間流さずにつけておくと良いとのことだった。
改善点は見つかったので言われた通りにすることでかなり皮膚の状態は改善することができた。
しかし、抗生物質の継続と週最低2回のシャンプーがなければ体感的に状態を維持できないことがわかり以後それが習慣となった。
家には私一人しかいないため全て世話をこなさなければならず以前よりも肉体的精神的にも負荷がかかり大きな責任が伴っていることを感じた。
しかし今まであまり愛犬に構ってこなかったので病院に連れて行ったり、シャンプーをするなどして世話を焼くことでちょっとした充実感もあった。
毛の短い犬なのでシャンプー自体そこまで大変ではないのだが、特に冬は防寒のために厚めの洋服を着せる必要があり、すぐに蒸れてしまう愛犬の皮膚とはとても相性が悪かった。
頻繁に洋服を洗濯しなければならないし、シャンプー前に服を脱がせたり、着せたりするのが意外と大変なのだ。
服は洗ってもなかなか汚れが落ちないためどうしても使い捨てみたいになってしまうこともあった。
冬の時期は床が冷えるため暖房だけではなくホットカーペットの設置や毛布も必要だった。
特に老犬は温度を気にしてあげないと命に関わるため神経質になる必要があり、
とにかく冬は本当に苦労した記憶がある。

4.衰えていく愛犬

散歩ではたまに一緒に走ることがあったが、愛犬はあまり思いっきり走らなくなったり歩くスピードが落ちたりと衰えを感じ始めた。
以前は散歩に出かけると私より歩く速度が速くむしろ私を引っ張るくらいの勢いがあった。
いつも軽々乗り越えていた段差に手こずったり、部屋で尿を漏らす回数が増えたり、確実に散歩で糞をさせないと漏らしてしまったりということも増えた。
以前まで起こらなかった出来事に遭遇すると相変わらず苛立って愛犬に冷たく当たってしまう自分もいた。
愛犬につい冷たい眼差しを向けてしまう自分がいることが一つの悩みでもあった。
愛犬の衰えを感じる度に何かを失ったような喪失感や虚しさも感じた。
愛犬は非常に温厚な性格で怒った姿を見ることは死ぬまで一度もなく、私はいつもそんな優しい愛犬に救われていたようだ。
病院でも全くの無抵抗で大人しくいつも叱られるとただ悲しそうな顔をする、そんな犬だった。
しかし人懐っこさもあり、人が大好きで甘えたい犬のはずなのに、そんな愛犬を萎縮させてしまっていたなと今になって思う。
愛犬は他の犬にはとても関心があり、散歩に出かける時は周りが見れなくなるほど興奮していた。
特に母親の住む地方に遊びにいくときは他の犬たちや母親、知らない人たちがいることもありとても生き生きしていた。
母親や他の人達に嬉しそうに吠えたり甘える姿もあり、普段家では見せない一面も多くあった。
そうした姿を見るたびに自分が飼い主じゃないほうがいいかもしれないと思った。
独りで大型犬の世話をするのはとても大変で相談はできても結局自分で全てこなすしかないのでそれが不安とストレスになることもあった。
一時期、母親に愛犬を渡していっそ世話を放棄したいという気持ちもあった。
しかし自分の犬だからと踏みとどまった。

5.闘病生活の始まりと覚悟

そうした日々を送る中で軽い痙攣や発作のような症状が現れ始めた。
主に意思に関係なく頭が小刻みに振動したり、苦しそうにもがいたりという症状だった。
そうしたことがたまにではなく頻繁に起こるようになった。
かかりつけの動物病院でてんかんの薬を処方してもらって様子を見ることになった。
薬を飲ませた後はいくらか改善しているように見えた。
しばらくしてまたある時、愛犬のお腹が若干張っている気がした。
今まで犬と一緒に暮らしてきた経験からお腹にガスが溜まって亡くなってしまったことがあり、心配になったので写メを送って母親に電話で相談した。
それから徐々に症状は悪化しお腹が徐々に膨れていき、散歩に行っても途中で立ち止まってしまったりといつものように動くことができなくなってしまった。
段差を上がるのもしんどいようだった。
お腹だけではなく手足がひどく浮腫んでいるようにも見えた。
さらに食欲も減っていき大好きだったドライのドックフードもほとんど食べることができなかった。
当時私は大学生だったので特別忙しくはなかったが主に大学の授業とアルバイトがあった。
そんな中、愛犬をなんとか車に乗せていつもの動物病院へ運んだ。
お腹に腹水が溜まってしまっていると言われた。
お腹に水が溜まってしまう病気はあまり良くないらしく、深刻な病気が疑われた。
できれば検査をしてもらったほうがいいとのことだ。
その動物病院はほとんど一人で病院を開業しており比較的小さな病院のため大型犬を検査をすることができなかったのだ。
お腹に水を溜めないようにするため利尿剤を処方してもらった。
利尿剤を飲ませた直後はほとんど自分で排尿をコントロールできない様子で部屋で漏らしてしまったりふとした時に尿が漏れてしまうようで愛犬に全く落ち度はないのだが多忙な時やバイト帰りなどはしんどい時があった。
しばらく薬を飲ませた様子を見てみたがほとんど改善は見られず、利尿剤の効き目も徐々に薄れ排尿はいつものペースに戻っていった。
母親との相談の下、やはり一回検査をしてもらったほうがいいという意見にまとまり検査をしてもらうことにした。
そこの動物病院では検査を行うことはできないが大きな病院を紹介できると告げられた。
そこでいくつかの病院を紹介してもらい近場で評価の高い動物病院を選ぶことにした。
そこは完全紹介制で私のかかりつけの獣医師の仲介でやっと行くことができる病院だった。
さらに予約制であるため、そこから病院につれて行くまでにおよそ2週間程度待たなくてはならなかった。
すでに正常に歩いたりフードを食べることができない状態だったのでその時はかなり大変な思いをした。
散歩もできる限り近所で済ませ、ご飯は母親に缶詰やパウチ等のウェットフードを送ってもらいなんとか食べさせることができた。
あるいは鶏胸肉やササミを茹でて与えることもあった。
より肉肉しいものが好ましいらしく完全にドライフードのみでは口をつけなくなってしまった。
なんとか病院に行くまでの期間をのりきり、軽自動車の二列目に愛犬を乗せ、やっと紹介してもらった病院に連れて行くことができた。
紹介してもらった動物病院は割高な病院だが評価も高くより高度な医療体制が整っており信頼性の高い病院であった。
最初に大型犬ということもあり検査をするだけでも10万はかかると言われた。
ある程度高額になるのを承知で来ていたが念の為母親に相談し、改めて検査をしてもらうことに決めた。
午前中に予約していたため来院後すぐに診てもらうことができたが身体が大きいため検査に苦戦し当初の終了時刻よりも大幅に延長し帰る頃には18時近くになっていたのを記憶している。
途中経過で呼ばれた際には抜き取ってもらった水を見せてもらいかなりの量だと思ったが完全には抜ききれずまだ多くの腹水が残っているようだ。
それは苦しいに決まっている。
だが愛犬のお腹や浮腫は大分改善したように見えた。
検査の結果としては心臓の状態が悪いらしくうまくポンプの働きができないことから血液の循環がうまくできずに腹水が溜まったり発作が起こったりしてしまうという。
拡張型心筋症と告げられた。
この状態になってしまうとほとんどの場合一年以内に亡くなってしまう可能性が高いとも告げられた。
今年の5月のことだった。
なので新たに心臓の動きをサポートしてもらう強心剤を出してもらった。
発作のような症状も心臓の働きの悪さからきている可能性が高いと言われ、てんかんの薬を止めることになった。
利尿剤は処置としては間違っていなかったのだが予想以上に体重が重く、途中で効き目が薄くなったのは薬の容量が足りなかったからのようだ。
結局、検査と薬代で20万近くかかることになった。
しかし病院に診てもらいどんな状態か知ることで少し心配や不安が緩和された。
それ以降は以前と同じようにとはいかないものの足取りや食欲は戻りつつあった。
しかしやはり食事の好みは完全に変わってしまったようでウェットフードは継続することになった。
愛犬は薬を飲ませなければ命を繋ぐことができない体になってしまったようだ。
だから薬の服用の継続と最低数ヶ月に一度の定期的な検査が必要だった。
それからはこまめに排尿させたり様子を見る必要があり満足に外出をすることができなくなった。
当時は皮膚の薬、心臓の薬、そして利尿剤の3種類飲ませていたが、特に心臓の薬は命に関わるため確実に飲んだか確認しなければならなかった。
食欲がない時は薬も放置されてしまうため時には喉に押し込んで飲ませることもあった。
このように動物病院に通う回数が増えたり、愛犬が衰え世話が大変になるにつれ、いつまでこれが続くのだろいうという漠然としたストレスや不安もあった。
歳を取れば取るほど身体は自由がきかなくなる。
もっとこれから大変になるのかと考えると気分は落ち込んだ。
それと同時に大学生という暇な時期であったことは幸運だと思った。
もうこれは愛犬が死ぬまで向き合っていくしかないんだなと覚悟した。
しかし時間に余裕があるのだから今まで構ってあげられなかった分、愛犬を最優先にした生活スタイルにすればいいと思うことで気分は少し楽になった。
家にいて一緒に多くの時間を過ごそう。とことん世話を焼いてやろう。
そう思うことができた。

6.愛犬と過ごす中での自身の成長

どうしてもバイトに出かけるなど時間に追われた中で世話をしようとすると苛立ってしまうことがあった。
だからなるべく時間に余裕を持ち、生活にゆとりを持つように心がけた。
便を漏らしてしまうのは当たり前、仕方のないこと、漏らしていたら拭けばいいだけ、糞尿の上で寝ていたらシャンプーをするだけ、そうやって考えるようにすることで今まで自分が神経質だっただけで実は大したことではないことに気付かされ、以前より多くのことを許容できるようになった。
愛犬はいつもどこか苦しそうで、そうした姿や衰えていく姿を見ると愛犬の死について考えさせられた。
愛犬と多くの時間を過ごすようになり毎日愛犬と向き合い、愛犬を見ることがようやくできるようになった。
愛犬をよく観察するようになり痛みや苦しみも理解できるようになってきた。
何か異変や相談があればすぐに母親や病院に相談した。
以前と比べ愛犬に優しく接することができるようになった。
今まで愛犬と向き合ってこれてなかったんだなと気付かされた。
犬のことを調べたり、犬についての本を読むようになったりすることも増え、愛犬についての理解が深まった。
愛犬の世話をすることは自分の生きる意味にもつながっていた。
とにかく遅すぎたかもしれないが愛犬と向き合ったことで今まで見えなかったことが見るようになった。
これからは愛犬にできる限りのことをしてあげたいと思えるようになっていた。
愛犬に優しくしたり、撫でたり、褒めることが多くなった。

7.愛犬の最期

今年の夏、5月の検査後から身体の調子は良さそうだった。
ご飯もそこそこ食べているし足取りも悪くない。
特別異変も感じられなかった。
一年以内に死んでしまう可能性が高いとは言われたがなんだかんだ10歳くらいまでは生きると思っていた。
8月に二度目の母親のいる地方へ愛犬も一緒に泊まりで遊びにいくことになった。
去年は9月に行ったのだが、やはりとても楽しそうな愛犬の姿があった。
食欲も良く愛犬の世話をしながら家族と過ごせた時間はとても幸せだった。
家に帰ってしばらくすると呼吸に異変が見られたり、横になって寝ることができなっかたり、うつ伏せで寝てもすぐに起き上がったりと落ち着きがなく、どこか苦しそうだった。
寝ていてふとすると過呼吸のようになり倒れて発作のような症状が起こることもあった。
それから食欲がだんだん落ち始めた。
最初の検査から数ヶ月経っていたこともありまた検査してもらった方がいいと思い母親に相談の上、検査してもらうことにした。
今年9月、今回は愛犬が幼い時にかかったことのある地元のより近くで大型犬の診れる良い病院があったのでそこで診てもらうことにした。
早速診てもらうと、胸の辺りに水が溜まっていたようで水を抜いてもらい、心臓の動きが悪かったので「心臓の薬を増やしてみましょう」とのことだった。
来院後数日すると愛犬は足取りも良くなりご飯も食べてくれるようになり調子がよさそうに見えた。
薬を増やして経過をみてもらうために再度来院することになった。
おそらくこの検査の日々がずっと続くのだろうと思った。
今度は前より心臓の動きが良かったようで時間を空けてまた病院へ行くことになった。
この病院に連れてきてから横になって寝れているし、呼吸の異変等も改善していたので安心して過ごしていた。
三度目の受診ではおそらく胸ではなくお腹に水が溜まっていたらしくまた水を抜いてもらった。
また強心剤の容量と利尿剤を服用する回数を増やすことになった。
この時には食欲に波があるうえ、少食で残すことも多く薬も避けようとするので毎回薬の粒を複数回に分けて喉に押し込んでいた。
結構薬をあげるのが大変なので母親に薬を押し込む注射器とフードを新たに送ってもらうことになった。
愛犬は検査後や水を抜いてもらった直後は疲労から食欲がないことは今までもあったのだが、今度はしばらく経っても食欲があまりなく少量しか食べることができなかった。
排尿のため外に連れて行こうとする時も起き上がるのに苦労していてあまり動きたくないようだった。
四度目の受診日の予定は決まっていたのでそのまま様子を見ることにした。
ある日の夜、バイトから帰りいつものように愛犬の排尿を済ませ、床についた。
次の日の朝、愛犬の動いている姿を見ることはもうなかった。
突然のことだった。
母親に火葬の手配等をしてもらい玄関まで40キロ以上ある愛犬を一人で運ばなければならなかった。
シーツとバスタオルの上に乗せ、引きずって玄関までなんとか運ぶことができた。
玄関を通って愛犬の遺体を見るたびに暗い気持ちになった。
もう動かない愛犬を撫で、「いっぱい苦しませてごめんね」、「よく頑張ったね」、「ありがとう」と声をかけた。
介護生活になることなく、私が休みの日を選んで、私にほとんど迷惑をかけることなく愛犬は旅立った。
火葬はその日の夜だった。
最後の贈り物として心ばかりの花を買った。
花を切って添え、愛犬の最期の姿を見て余韻に浸った。
もう少し時間が欲しかった。
まだ何もしてやれてない。
もっと世話をする準備はできていた。
それなのに、突然逝ってしまった。
先のことばかり考えていただけに突然起きた現実を受け入れることがすぐにはできなかった。
普段ほとんど涙を流さない私が愛犬のことを考えると涙が止まらなかった。
誰かが死んでこんなに泣いたのは初めてのことだった。
「悔いを残さずに他者の死を迎えるって難しい」そう思った。
唯一自分にできたことは最後までそばにいれたこと、愛犬と向き合えたこと、それだけだった。
飼い主として最低限の責務を全うした、そう思うしかなかった。
母親の支えがなければきっと最後まで世話をすることができなかっただろう。
忙しい中、家族や親戚から励ましの言葉をもらった。
自分は独りじゃないこと、周りに支えてくれる人がいることを感じた。
午後7時頃、火葬車が到着し、業者の人と二人で狭い火葬炉へ愛犬を運んだ。
愛犬に最後の別れを告げ祈りを込めて愛犬を撫でた。
最後まで愛犬の姿を見届けることができた。
火葬に2時間くらいかかると言われた。
その間少し散歩に出かけたりしながら愛犬との思い出を振り返った。
90分くらいで車は家に戻ってきて大きかった愛犬の身体は小さい骨壷に収められて帰ってきた。
火葬代金の支払いを済ませ、愛犬に「おかえり」と心の中で呟いた。
飼い主としての最後の仕事をやり遂げた。
自分にも「お疲れ様」と心の中で声をかけた。



8.愛犬がいなくなった後の空白

愛犬が亡くなった翌日、相変わらず静かな朝だった。
リビングに入ると目に入ってくる空っぽになったケージを見ると愛犬が横たわっていた姿がフラッシュバックする。
あんな大きい身体の犬が一体どこへ行ってしまったのか。
生前の姿を思い出すとまだ愛犬が生きている気がしてならない。
家中の空気が重たい。
いつもする愛犬の足音がしない。
鳴き声がしない。
台所に立つと見つめてくる愛犬の視線がない。
違和感だらけだった。
朝起きても愛犬を庭に出すことはない。
買い物から帰っても、バイトから帰っても排尿させることもない。
この日はバイトがあり正直しんどかったが、誰かが死んだからといって周りの時間は止まることがなく、絶えず時間は進み続ける。
世界は同情してくれることはなく、落ち込んだ気持ちのまま淡々と仕事をこなした。
私は愛犬の耳の感触やシャンプーの香りがほんのり残った時の愛犬の匂いが好きだった。
だがもう二度とその感触や愛犬の匂いを感じることはできなくなったのだ。
愛犬の温もりはこの世から消えてしまったのだ。
いつしか愛犬の世話は習慣となり、生活の一部となり、私のある種の生きがいになっていた。
亡くなった今、そう気付かされた。
生きがいを失うとどう生活すればいいのか、どうやって時間を埋めればいいのか分からなくなる。
生きる意味を一つ失った気分だった。
半分、自分がいなくなったみたいだった。
「寒くなってきたから服を着せた方がいいかな」とか「部屋の温度暑いかな」とか「どんなご飯なら食べるかな」とか「今日は漏らしてないかな」とか頭を悩ますことはもうないのだ。
そんなことばかり毎日考えていた。
普段当たり前のようにやっていた習慣が消え、生活に大きな空白ができた。
一時期、愛犬がいて煩わしいと思っていた時期があった。
愛犬がいざいなくなると寂しくなり、「もっと一緒にいたかった」と純粋にそう思った。

9.愛犬との暮らしの中で感じたこと

愛犬はとても優しい犬だった。
怒った姿を見ることは生涯を通して一度もなかった。
怒らないというか、怒れない。
そんな犬だ。
私が感情的になってしまった時もいつも許してくれた。
もしかしたら呆れていたのかもしれない。
そんな愛犬のように自分も優しくなりたいと思っていた。
最後は今までで一番愛犬に優しく接することができた。
遅すぎたけど、愛犬と過ごす中で変われた自分がいた。
「優しくなること」を愛犬が教えてくれたのだ。
私は愛犬と過ごす中で大きく成長することができた。
若い人は身体が自由だからあまり高齢者の気持ちがわからないかもしれない。
私も最初は愛犬の気持ちがなかなかわからなかった。
でもそんな衰えていく愛犬を見ていく中で受け入れなければならないことやどのように接していけばいいのかを学び、他者を理解することにつながっていったと思う。
また独り暮らしをしてより感じたのは、大型犬は存在感があって可愛いけどその分とても世話が大変だということだ。
私はあまり近しい人を亡くした経験がこれまでなかった。
そうした中で愛犬の死と向き合えたことは大きな経験になった。
読書を通して死について考える機会は多くあったが実体験として死に向き合うことでこれからどういった時間を過ごすかを非常に考えさせてくれたと思う。
愛犬は苦しいこともたくさんあったかもしれないけど私は愛犬のおかげでより大きく成長することができた。
だからそんな愛犬に心から「今ままで一緒にいてくれてありがとう」と伝えたい。
またより感じられたのは当たり前だが普段忘れがちなことで命や時間には限りがあるということだ。
今誰とどんな時間を過ごすべきなのかを考えることが大切だし、普段から意識して考えていかないといけない問題だと思った。
向き合うのが早ければ早いほど大切な誰かと濃密な時間を過ごせるはずだ。
こうしたことはこれまでにも考えてきたことなので最後の愛犬との過ごし方にとても生かすことができたと感じている。
いつかは愛犬の死や死に際については向き合わなければならなかったことだった。
愛犬の死がこんなに早く訪れるとは思わなかったがしっかり向き合い最後まで世話ができたことは自分の中で誇りに思っている。
そして失ったものではなく今あるもの、できなかったことではなくできたことを大切にしていきたいと思っている。
人の心は一朝一夕には成長しない。
ある経験を通して成長できるかもしれないし反対に退化するかもしれない。
だが間違いなく愛犬との生活は私を成長させてくれた。
道を踏み外してもまた軌道修正すればいい。
とにかく気づくことができたらラッキーだ。

10.愛犬に捧ぐ

愛犬とは特に最後の1〜2年間共に苦しんだ。
愛犬自身、病気等で苦しかっただろうし、私はそんな愛犬に悩んでいた。
今となってはそんな煩わしさすら恋しく感じられる。
愛犬は病気になってからいつもどこか苦しそうだった。
調子が良くても病気が治っているわけではなく薬でなんとか生命を維持していただけなのだ。
そんな苦しそうな愛犬を見ることがなくなり、やっと楽になって良かったとホッとしている。
終わってみればできなかったことばかりだった。
「なんでもっと早く優しくできなかったんだろう」、
「元気なうちにもっと色んなところに連れて行ってやりたかった」、
「9歳の誕生日を祝ってやりたかった」、
多くの考え事が頭の中を駆け巡るがもう終わってしまったことだ。
今はとにかく「今まで一緒にありがとう」、
「最後までよく頑張ったね」、
「少しの間お別れだね」、
「ゆっくり休んでね」と伝えたい。
「たくさん辛いこともあっただろうけど、この家にこれて少しは良かっただろうか」。
まだまだ愛犬が生きているように感じられ、思うことはたくさんあるけど、愛犬にしてやれなかったこと、できたことも含めて、これから生きていく中で「この気持ちを克服したい」と思っている。
この気持ちを、「愛犬に捧ぐ」。






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