充実した毎日を送っていたのに、産後鬱と子ども達のアトピーで地獄のような日々を過ごし、過労で倒れ、そこから回復するまでの話②

今までで一番苦しかったとき

二人目の産育休中、
子ども達のアトピーに悩んでいた時期は地獄だった。

消えてなくなりたい、と頭の片隅に「死」がよぎる日々。

私自身も人生の中でアトピーが酷かった時期が何度かあるんだけど。

リアル「お岩さん」みたいな顔で学校に行けない時期もあったし。

そんな私から生まれた子たちもやっぱりアレルギー体質で。

全身アトピー、喘息の気もある。

病院に行っても対処療法のみで、
完全に治ることはなく。

長男のときは、私がアレルギー体質だから仕方ない、とどこか諦めていて、“普通に”処方されたステロイドを使っていたのだけど、

その後長女が生まれ、彼女が生後1ヶ月のときに湿疹が出始めたのを見た時に、

「このままずっと薬使ってくの?根本的に治せないの?」

とふと思った。

それから毎日時間があればアレルギーについて調べ始めた。

私はステロイドの長期服用の副作用でムーンフェイスになっていたこともあり、

なんとか自然に治せないか、
大人になって治すのは大変、
メイクができなくてつらい時期もあったし、
子ども達には私と同じ経験させたくない、と。

陰陽五行、マクロビ、ホメオパシー、
アーユルヴェーダ、酵素栄養学、
オーソモレキュラー(分子栄養学)、クレイ、
メンタル関連…

気になった本は片っ端から読んだり、
専門に教えてる人のところに勉強に行ったり。

体内の悪いものが出ている状態だから
薬で無理に症状を抑えないほうがいい、
世界中の自然療法に共通した考え方に従ってみようと、
長男に薬を塗るのをやめ、娘には一度も塗らなかった。

食事を変え、身の回りの物を変え、色々試してみた。

ところが、夫婦の花粉症はすぐ治り、 
私の食物アレルギーも殆ど気にならなくなったのに、
子ども達のアトピーはなかなか改善しない。

湿疹は酷くなる一方で、
子どもの顔を見るのも辛い。

スマホで簡単に写真が撮れる時代なのに、
子どもの写真は撮れなかった。

赤ちゃんの時の可愛い写真がないなんて、
今でも本当に悲しい。

私は毎日外に出て身体を動かさないと気が済まないタイプだったのに、
周囲に何か言われるのが嫌で引きこもりがちに。

体中真っ赤で、浸出液でぐちゃぐちゃかつ
乾燥でガサガサの我が子達…

痒すぎて日中は機嫌が悪いことも多いし、
夜は眠れない。

同じ部屋で寝る親も、皮膚を掻きむしる音や
痒くてぐずる子どもの声で眠れない。

服やシーツに浸出液がくっついて固まってしまうし、
皮膚片もたくさん落ちるので洗濯も掃除も大変。

そんな対応に一日中追われていた上に、
完母だったので食事のことでも常に頭がいっぱい。

母乳のため食べたいものも我慢。
外食などもっての外。

かと言って完璧にできない、
徹底できない半端な自分が本当に情けなく、
常にイライラ、落ち込んで…の繰り返し。

これでよくなった人が沢山いるのに、
うちの子ども達が改善しないのはなぜ?
私のせいだよね…

一番辛いのは子ども達なのに、
アトピーの痒みの辛さは私も経験あるからわかるのに、
親なのに、なぜ私はちゃんとできないんだろう…
と罪悪感でいっぱい。

私がこんな状態では家族関係も悪化。

自分の精神状態も影響していると頭ではわかっていても感情のコントロールはできないでいた。

「僕、ママに何もしてないよ…」

アトピーで血だらけの子ども達を見て、
思わず涙がでた時に長男に言われた台詞。 

ショックだった。

あぁ、本当に子どもって親が悲しんだり落ち込んだりしてると、自分のせいだと思っちゃうんだなって。

このままではマズイ、変わりたい、
私が変わらなきゃと思った。

子どもにとって最も身近な存在である親。

その親の精神状態が子どもに大きく影響することは容易に想像できる。

でも、アトピーはとにかくメンタルもやられる。

気を強く持とうと決めたつもりでも、
またすぐ心が折れる、の繰り返しだった。

■娘のアナフィラキシー

ある朝、配偶者が、冷蔵庫にあった私が作ったジーマーミ豆腐を娘に食べさせた後、
出勤していったことがあったのだが、
その直後、娘が嘔吐。 

全身みるみる真っ赤な発疹が出てきた。

娘はこの時初めてピーナッツを口にしたのだが、
それがダメだったのだ。

何故かこの時の私は妙に冷静で、
今までの知識を総動員して手当した。
(梅干しの黒焼きとかレメディとか)

その上でお昼休み直前だったので
近所の小児科に電話したところ、

「お母さん!ピーナッツアレルギーは危険です!!すぐに救急車呼んでください!!」

と言われた。

救急車って、結構来るのに時間かかるんだよね。

待ってる間に私の応急処置が良かったのかわからないが、だんだん娘は落ち着いてきて、その日は事なきを得た。

■脱ステをやめる

だけど、娘には食物アレルギーがあることがわかったので、ちゃんと調べた方がいいな、となり、
人から勧められた大きめの病院の小児科に行くことに。

あーでも行ったらステロイド出されちゃうよな…
憂鬱だった。

そしてやはりまずはこの肌を何とかするのが先だと、普通にステロイドを塗るよう指示された。

えーでもなぁ…
医師から説明されても全然頭に入ってこない。

看護師から薬の塗り方を教えるから、
といったん廊下で待つように言われた。

どうしよう…

だけどその時、配偶者に「もういいんじゃない?」って優しく言われて。

私は次の瞬間、わーっと涙が溢れ、
人目もはばからず大号泣。

この時の敗北感といったらなかった。

2年近く、何のためにこんなに頑張ってきたの?

だったらさっさと楽して薬使えば皆こんな苦労しなくて済んだよね。

この頃子ども達の身長が伸びにくくなっていて、
それは痒くて眠れないし、浸出液が出てたから
そこに栄養持っていかれてたんだと思う。

そこに不安を感じつつも、
今はアトピー治すのが先だと思って今までやってきたのに。

私がやってきたことは虐待じゃないか…
最低だ…

■アトピーが落ち着くまで

ステロイドを塗るようになると、
みるみる湿疹がなくなっていった。
それはそれで恐ろしかった。

湿疹が落ち着いてくると、
子どもも親も眠れるようになった。

その後も暫くステロイドに対する不安は持ちつつも、見た目がキレイになると、
こちらの精神的にも楽になっていった。

自然療法の専門家や自然派ママからは理解はされないと思うけど、
夫婦共に心身の限界が来ていたし、
あの時は仕方がなかったんだと割り切るしかなかった。

あのままでは保育園にも預けられず、
私も職場復帰できなかっただろうし。

アトピーも出たり引っ込んだりがあり、
その度に薬を塗っていたが、
段々と使うことが減っていき、
気づいたら全く使わなくなっていた。

季節の変わり目など、忘れた頃に出ることはあるが、薬を使わず、他のケアで治るレベルに。

ありがたすぎる…

健康以上の宝はないとゆーが、本当にそうだと思う。

あの頃、お互いよく生きてたよね、
本当に壮絶だったよねって
たまに思い出して夫婦で話すこともある。

またアトピーが出たらどうしよう、とびくびくするのではなく、

今は見違えるように綺麗になった肌を素直に喜び、あとは子ども達の体の力を信じようと。

今でも当時のことを思い出すと、
人目がある場所でも100%泣いて呼吸困難になってしまうので、ずっと思い出さないようにしてきた。

今も泣きながら書いている。

苦しすぎて、あんな思い誰にもしてほしくないけど、子ども達のお陰で健康への意識が変わったのは確か。

花粉症は治っちゃって春が気持ちいいことを知った。

病院になんか行かなくても
自分でケア出来るから大抵のことは大丈夫。

子ども達は穏やかで兄妹は仲良し。

もはや、元気でいてくれたらそれでいい、
という境地になるので、子どもに対する悩みもない。

自分だけのことならここまで真剣に考えることはなかったと思うと、子ども達には感謝しかない。

今はそういう風にこの経験を捉えるようにしている。








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