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拝啓、十二の私へ -暗黒中学生期-

おはようございます(am8:13)

今日は息子と二人っきりワンオペ土曜日なので
noteを書く時間なんぞないと思ってましたが
ご機嫌にトムとジェリーを見ながら遊んでるので母もひとりで遊ぶもんね。

AIにお任せして朝の音楽を聴いてましたら
いろんな曲を流してくれてて
まーホントAIとは気が合わないわ!と思ってたんだけど
突然、ゆずが流れた。

必聴アルバム!!


ちょうどここ最近。
これまでの辛い辛い記憶たちとやっと決別して生きていけそう、って思ってたところで。
ゆず聴いたらさ、なんかさ、私よく頑張ったねーーって想いが溢れてきちゃって。書きたくなっちゃったんだ。聴いてくれるかい?(突然の問いかけ

ゆずを知ったのはたぶん小学校6年くらい。
ラジオで夏色を聴いたのがゆずっ子のはじまり。
お小遣いはたいてそれまでのアルバムやインディーズアルバム(ゆずの素)も全部買って、中学生になったら人生初めてのホールライブにもいった。
ホールの名前まで覚えてる。
2回目のライブは期末テストかなんかの前で
テスト勉強のプレッシャーで吐き気が止まらなくても
オエオエなりながら行ったのを覚えてる。
一緒に行ってくれた友達たちには本当に感謝だし、テストのプレッシャーで胃液を吐いてた私、どんなメンタルしてるの。限界だよね。休めよ。笑

と、ゆずにはいっぱいいっぱい楽しい思い出が詰まってるんだけど
それと同時に中学時代は人生最初の挫折と言えるほど辛いことも多かった。

挫折というか文字通り「へし折られた」みたいな時期。

中学入学、早々。たぶん4月だったと思う。
朝、下駄箱に手紙が入ってた。
「え、やだラブレターかな、漫画みたいやん」と心躍らせたのも束の間

お前はクラス全員から嫌われている
なんちゃらかんチャラ

結構長くて筆跡わからないようにしててかなり陰湿だった

最初の一文がパンチ効きすぎてて一生忘れない。忘れられない。

え、4月だぜ?
私の何を知ってんのよ、って話なんだけど嫌われてるんだって。
全員かは知らないけど”誰か”は明らかに嫌ってるってことよねと
若干12歳の私は深く深く傷つきました。
小学校ではまぁまぁ陽キャとして学級委員とかもやったり
小学校の代表で市長に会いに行ったりとかもしたし
目立ってたがゆえに女子からは嫌われてたと思うけど
明らかに嫌われてると言われたのは初めてで。

え、どうすればいいの。
入学したばかりの学校、クラスで、どうやって振る舞えばいい?
真実味はなくても「クラス全員から」って言葉が脳みそにひっついて離れない。
先生にチクったりしたけど状況は変わらず、なんならむしろそこから嫌がらせはエスカレートしていった。
筆箱壊されたり、こっそり給食のジャムを制服につけられたり。。
私以外にも被害者はいたと思う。
いじめというか嫌がらせをしている犯人たちは
先生も生徒もみんなわかってた。
満たされてない有り余った男子たち。

でも私は当時プライドと正義感が人一倍あったので
割と立ち向かってたというか・・逃げなかった。
今思えば逃げても良かったのに、と思うけど。
陽キャとしてのプライドが勝ってた(何それw

結局そういう嫌がらせみたいなのは中学を卒業するまで続いて・・・
男子からのいじめだったからどんなネットワークで繋がってるかわからなくて同級生はだいたい信用できなくなり
ものの見事に”人間不信人格”が形成されてしまった。

これが形成されてからこれをベースに30年以上生きてきちゃったのよね。
今でもまだ名残はある。

こうして回想してると思い出しきれない自分の感情があって
その瞬間に戻って中学生の私と話をしてみたい。
内心はいっぱい傷ついてたけど
負けん気とプライドで3年間をやりきった自分。
大人になるにつれて逃げることをたくさん覚えたけど
この時は逃げる方法も逃げた後のこともわからず恐怖しかなかった。
だから毎日を必死に食らいついて生きていたと思う。

だからかな、割と重い皮膚病と闘っていた時期でもありました。

東洋医学の視点で
当時を振り返るといろんな毒素を溜め込んで生きてたのがわかる。

あーもう本当に、よく頑張ったね、私。

P.S.
高校生期もしんどかったけど
大学はとてつもなく楽しいから大丈夫だよ!



っておい、沼の話はどうなった!(前回記事参照)
リクエストがあれば書きます。笑←


今日はこの辺で。良い週末を。

十二の私と君へ♡(ハート)を押して〜
みんなよく頑張ってる。







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