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宗教理由で中絶は絶対にしてはいけなかった母だがしかし。

志田わらびです。
エホバの証人ネタで記事を書くのは、
かなり疲れるので、
ちょっとずつ書いていこうと思います。
過去のことをほじくり出して、
考えても意味ないのかもしれない。
無駄なことしてる気がするー。
でも、こういう心境に至ったのも、
こちらnoteと、読んでくださった皆様のおかげです。
ありがとうございます。

今日は、エホバの証人だった
母の妊娠のことについて。

エホバの証人の決まりの中では、
絶対に堕胎は許されないというものがあります。
堕胎という言葉に対しての
解釈の違いなのか、合法的な中絶も
非とみなされていました。
胎内にいるときから、神の子であり、
神はその子を見ておられたからです。

そりゃ、赤ちゃんができたら、うれしいし、
産みたいというのがナチュラルな反応だとは
思いますが、
世の中には、妊娠・出産によって、
それ以外の大変な事態を招く、
色んな事情があると思いますので、
中絶が必ず、「悪」だと決めつけられない場合もあると
思います。
実際、中絶を禁止した国では女性の自由を奪われたと悲しんでいる方もいます。

でもエホバの証人は
どんな理由があろうとも、
中絶(堕胎)は禁止なのです。
母体に命の危険があってもだめなのです。
そして、輸血も禁止です。
例えば、出産のときに、出血多量で死んでしまっても、
それは神のご意思なのです。
楽園にいって、死者の復活で
会える日を楽しみに待つのです。
そのためにもハルマゲドンを生き残らなくてはなりません。
組織の中には、高齢になってから赤ちゃんが生まれた姉妹も何人かいました。赤ちゃんはかわいかったです。
でも、やっぱりご主人にすごく反対されていたようです。
百歩譲って、本人の信仰を優先したとして、
まわりの家族に選択権はないのでしょうか。

私は母が死んでしまうかもしれないと
真剣に恐怖を感じてそれをこらえていました。

そう、母が妊娠しました。
私が14才の時でした。
母がゴリゴリの信者だった頃です。

宗教が理由で、
生むと決めたんじゃないと思います。
ごく自然に、フッツーに、
生むわ。という気持ちだったと思います。
い・う・て!
言うて、当時、母は、まだ34才でした。
ぴちぴち~~。
今の時代なら、初産で34才以上の方は珍しくないし、
全然不思議に思わないと思います。
けれど当時の母に向けられた
世間の冷たい目。
「まだ生むの?」
「へえ~がんばるぅ~」
「普通、堕ろすやろ」
「だめだめ、あの人、エホバじゃもん」
「上の子がかわいそう」
「普通、2人で止めるよね」
とくに、女の人たちは、
ジロジロまじまじ
不躾に舐めるように母の体を、
見ていました。

母の両親(祖父母)も渋々でした。
無理に産んでもあとがえらいだけなんじゃ?
という言い分でした。
父の仕事も不安定で
経済的には困窮気味だったので、
そう言われたんだと思います。

でも母には中絶する気はさらさらありませんでした。
後になって、母が
「あの子が生まれるとき誰もおめでとうと言ってくれなかった」と
言ったことは、今でも激しく覚えています。
ううう。ひどいわ。思い出したら泣けてきた。

おなかがふっくらしてきた母が
授業参観に来てくれたら
男子が
「お前の母ちゃんエロいな。
なあ、夜、声とか聞こえてくんの?」
と言いました。どんだけげす。

当時、貧乏だったし、
あまり肉も食べたことなくて、
だから母も妊娠中、栄養が足らなくて
手帳に赤いはんこを押されていました。
母が、がんばって、レバーを買ってきて
レバニラを作ったとき、私たちこどもが
「わあー肉!」といって、
たくさん食べてしまったので、
父に
「母ちゃんが食べならんで買ってきたのに、
なんでおまいらが食うんじゃぼけ」
と叱られてシュンとなったりしていました。

ある夜、母が私に
「お母さんがもし死んでも頼むな」
と言いました。母も不安だったのでしょう。
私は少し泣きました。
赤ちゃんが生まれるのは
とってもうれしいことなのに。
しあわせなことのはずなのに。
どうしてこんなに悲しい気持ちになるんだろう。
当時の私はそんな気持ちに蓋をするように、
無表情の反抗期女子でした。

妊娠した!と分かる瞬間には、
こんなふうに、生まれるか生まれないかの分岐点がある
受精卵。
もし、彼がこの世にいなかったら
私たちはどんな人生だったんだろう、
想像もできません。そのくらい、
彼は、大きな存在感をもって、
我が家にやってきました。
王子の誕生です!

また続きを書きます。
最後まで読んでくださって
ありがとうございました。
☆⌒(*^-゜)v☆⌒(*^-゜)v

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