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子どもの遊びに、トコトンつきあうということ。


最近、4歳長男はおりがみにハマっている。


最初は、DAISOで買った「はじめてのおりがみ」の本を見ながら、簡単な車を折るなどしていた。

手裏剣を教えたり、いっしょに輪っかの飾りを作ったりしていたら、「あ、折り紙っておもしろいかも」と分かったようで。
そのあたりから、黙々とやり始めた。



はじめの頃、よくしてしまった失敗がある。 
良かれと思って、「折り方」をアドバイスすることだ。

車が作りたいなら、こうしたら?

こんな風に折ると、できるよ!

見て、お母さんも車折ったよ〜


全部、良かれと思って言っていた。
長男の隣に座り、私も一緒に折り紙を楽しんだ。

いつだったか、本で「子どもと心を通わせたければ、おなじ遊びを大人も楽しんでやればいい」というのを見たことがあったからだ。

だから、私も全力で折り紙をしよう!
そう思って、やっていたのだけど。


結果的に、これらの言葉はすべて逆効果だった。


長男にとって、初めての折り紙。
それを、ごちゃごちゃと横で指摘されて、おもしろいわけがない。
それに、まだたどたどしい手つきで折るので、きれいな作品はできあがらない。
その隣で、お母さんがたいへん立派な作品を見せつけてきたら?


萎える。
長男は、「萎えるわ」といった顔で、おりがみをやめてしまうのだ。 


せっかくのびのび楽しんでいたのに、水を差す行為を何度もしていたわたしは、これらの発言をすべて封印した。

そして、次のように自分の役割を決めることにしたのである。

一、聞かれるまで答えないし手も貸さない。

ニ、長男の真似をし、教わる人になる。

三、できた作品は即飾る。

四、どれだけ使っても、気にしない。

わたしの考えた、おりがみを見守る心得


一、聞かれるまで答えないし、手も貸さない。

ひとつめの「聞かれるまで答えないし、手も貸さない」というのは、そのまんまだ。

こっちから、こうしたらああしたら、というのをやめる。
長男が「これうまくいかへんから手伝って」などと求めてくるまで、ただそばで眺めていることにした。

眺めていると、口出し手出ししたくなるときは、目を背ける。
そのくらいの方が、お互いのびのびその時間を楽しめた。


ニ、長男の真似をし、教わる人になる。

ふたつめの「真似をし、教わる人になる」というのは、長男が一番やりたがることだった。

ある時から急に、「長男ちゃんの真似してね」といっておりがみを渡してくるようになった。

そして、「まずここを折って」「裏返して、ここを折って」と、ひとつずつすべての工程を真似させるようになったのだ。
まるで、先生と生徒のように。


これ、正直けっこうダルい。
時間があるときはいいが、忙しいときは付きっきりで折らなければならないので、根気がいる。
でもここで、「早よして」とか「あとは自分でやってね」などと突き放すと、たちまち楽しい時間は終わりを迎える。

ほんとうに忙しいときは無理だが、付き合えるときは、とことん付き合う。
それが、「いっしょに楽しむ」ということなのかなあと思うようになった。

パトカーらしい。右が長男、左がわたし。
夫にも真似させて、3つもできた謎の作品。



三、できた作品は即飾る。

絵もそうだが、完成したらなるべくすぐ飾るようにしている。

はじめの頃は、きれいに飾りたくて「あとで飾るね」などと預かっていた。
でもそれだと忘れるし、溜まっていく。

だから、即壁に貼る。


貼る時は、「ひっつき虫」という壁に張り付く固まりのシールのようなものを使っている。

あと、壁の一部に大きなホワイトボードを貼っているので、そこに磁石でくっつけるとか。
そんなんでいい。
それだけで、長男は十分喜ぶ。

飾っておけば、帰宅した夫にも作品を教えられるので、褒めてもらえる機会も増える。
立体物は、写真を撮るのも有効だ。


四、どれだけ使っても、気にしない。

子どものおりがみの使い方を見ていると、「もったいない」と思ってしまうときが何度もある。

ちょっと切って終わったり、くしゃくしゃに丸めて「おにぎり」にしたあと、もうそれを使わなかったり。
以前はそういうのが気になって気になって、「これまだ使えるよ」とか「もったいないからこっち使えば」などとよく言っていた。

でもこれもまた、長男の集中力を途切れさせる。
せっかく切ろうとしたら止められ、思いついたアイディアを否定される。
やる気が失せて、当然だ。


だからこれも、こちらのルールをぐっとおさえ、よっぽどひどい使い方でなければ言わないことにした。

片付けの時などに、くしゃくしゃの紙を伸ばし、切れっぱしをかき集め、「これはまだ使えるコーナーに入れとくね」と伝える。
まだ使えそうな切れっぱし達をまとめておくと、小さい部品を作る時に使ってくれる。

もちろん、忙しくてこんなマメな片付けができないときもある。
わたしはマメな性格とは程遠いので、そういうときは申し訳ないけど、容赦なく捨てる。
もったいないけど、お互いストレスがないことが一番なのだ。


___________

以上、四つ。
これまでの失敗と経験から導き出した、わたしなりのおりがみを見守る心得だ。

偉そうに書いたが、うまくいかないときもある。
ただ、間違いなく、わたしがあれこれ口を挟んでいた時よりも、長男はおりがみを楽しむ時間が増えたと思う。

長男は、本に載っているような、ちゃんとした作品はまだ作れない。
折り目も綺麗に折れない。

それでも、己のやりたいままにおりがみを楽しむ長男を、ただ見守る。そばにいる。

長男がやりたいやり方を尊重し、それを楽しむ。


おりがみに限らない。

それが、子どもの遊びにトコトン付き合う、ということなのかもしれない。

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