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対人支援に愛はいらないのか?

 貧困、児童虐待、不登校、いじめ、非行、精神障害、薬物依存症、引きこもり、ヤングケアラー、若者の自殺、犯罪被害者支援など、様々な社会問題があるが、愛(同情や思いやり)がなくても、救われる社会制度があることが重要であり、愛のような不確かなものに頼るのは、時代遅れであるという考えがある。
 そして、このような考え方の延長線上に、マスメディアが流す障害者が障害を克服し努力する物語を感情ポルノとして否定する傾向も表れ出した。障害者から勇気をもらったというボランティアの純粋な体験は、感情ポルノとして解釈されてしまうことになってしまった。従って、支援対象に対する同情心に基づく思いやりから、対人援助職につくことは、否定されることになる。
 さらに、この考えからすると、親身になって支援するカウンセラーやソーシャルワーカーは、全て否定されることになる。夜回り先生もアウトになるし、保護司による人格的関わりを基礎とする保護観察制度なども否定されることになる。
 また、弱者救済を目的とするNPO法人が、人々の憐憫の感情に訴えかけるCMは、全て感情ポルノとみなされる。虐待児童やヤングケアラーなど、孤立化する若者に手を差し伸べる多くのNPO法人は、救済対象の悲惨な物語を紹介し、人々の憐憫の感情や正義感(道徳意識)に訴えかけ、人々から寄付金を募って、活動資金に充てている。ボランティア宣伝活動における感情ポルノ的手法は、偽善の証であるとみなされる。
 このような思想がNHK障害者番組バルバラを中心に福祉の分野に入り込んできた。簡単に言えば、「同情や思いやりはいらない、金をくれ」という思想に尽きる。しかし、今流行のトラウマインフォームドケアの観点から考えると、支援者から同情されて二次被害的に心が傷つくのは、十分にトラウマが癒えていないからである。人の善意が信じられないほど、過去に心が傷ついてきた証拠なのである。
 今、心の支援を求める孤独な若者は、後を絶たない。愛情に飢えている。
それが現場感覚である。感情ポルノ論者は、その現実が見えていないのである。
もとよりソーシャルワーカーやカウンセラーは、支援対象とのラポールな関係を築くことが求められる。信頼関係の前提には、支援対象を思いやるという感情が無くしては不可能である。つまり、支援関係には、他者愛が必要である。
 いくら福祉制度が充実しても、それを支えるのは、ソーシャルワーカーやカウンセラーであり、我々がつなぐことになしには、福祉制度の支援にはつながらない。
 ソーシャルワーカーのバイブルであるバイステックのケースワークの7原則は、愛そのものである。

 


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