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センシティブな話をするならまず自分の立場を明らかにしてくれ

私は知識に乏しいことに関しては語りづらいとは感じるが、政治的な話をすることは特にやぶさかではない。ただ唐突に社会問題について「〇〇国は××すべきじゃない?」みたいに聞かれたりするのは正直ウザくないかと過去に思った次第だ。物事の背景とか、考慮しなきゃいけない要素が多いし、個人的にスタンスがはっきりしてる場合ほど面倒だと感じた。


ある程度特定覚悟で話をするが、何が起こったかと言うと、退勤後、同年代のさっぱり仕事のできない上司に南京事件について詰められた。彼は言った。「ホロコーストを否定することはドイツでは違法ですよね?だから日本でも南京について同じようにすべきじゃないですか?」
満員電車で不特定多数の人に聞かれるのも面倒なので切り上げようと、背景が異なる物事を並列に話しない方がいいと思うという趣旨の返事をすると、「でもあんなにひどいことをしたんですよ?」といった感じで強く詰められたのである。なんだかイラっとしたので「欲しい答えが決まってるなら、そういう人に話聞いたほうがいいと思いますよ」って言っておいた。

前提なのだが、ドイツの話をするとそもそもホロコースト否定を禁止する法律は「(論文などで)公式に発表するな」っという内容であって個人の考えを拘束するものではない。その証拠にホロコースト否定者はドイツ国内にも、圧倒的少数派だが、存在している。

私はドイツ国内での捉え方、学校での教え方、結果としてどんな考えの人がいるか、その人たちはどんな"属性"の人か、を知っているので語ろうと思えばいろいろ語れる。一方で日本について特定のnarrativeを広めたがってる人が世界に沢山いることも知っている。この話はまた後日すると思う。

正直、警戒した理由として、その人が中国から帰国してるというのもあるのだが。そして意外かもしれないが、それが一番大きい。

とにかくドイツのことを誤解されていると感じたので、そこはひたすら困った。

個人的な意見を開けっぴろげに書くと、詳しくはないが、研究を阻害するような法律になっているのであれば、それは良くないと感じてはいる。
これも別の機会に書きたいと思うが、私は「現地の教育だけを受けている状態であること」を自覚している。歴史的には多面的視点を持って研究すべきであるが、その一方で政治的には"最終的かつ不可逆的に解決"としたいことを理解している。そしてホロコーストの話題で現地人同様に私は感情的にもなる。

史実と物語、信用性

彼の「南京事件は事実認定し議論は禁止すべき」という意見に対し、同じ"時代"に起きたからといって歴史上の出来事を並べるのは違うんじゃないかと思った次第である。出来事が史実と言えるまでは深い研究が必要で、何十年じゃ終わらないことはザラだと思っている。そして国際情勢もそれに大きく関係する。「被害者の言い分"だけ"が正しい」という思想はよろしくないし、どっちも"疑わしい"と思った方がいいと私は考えている。

正直、個人的には昔の人類は結構頭おかしいと思っている。しかしそれを今の基準で考えても無駄なので、感情で裁くのは無理筋だろう。それに場合によるのだが、その人の先祖が一緒くたに悪く言われることってシンプルに嫌じゃないか?と思うのだ。よく言われる米国中心の「日本は当時邪悪だったからね!」という言説のことである。
私が世間に伝えたいこととしては、後の世代の責任とかの話でなく、私の祖父は戦争に大反対だったし、ウェーブの終わりを告げに来たアメリカ兵を撃ったことをとても悔やんでいた。当時、誰もが喜んで戦争していたわけではなく、ミクロな視点で見ると開戦時に反戦運動をしていた人もいることを知ってほしかった。祖父は戦前から帝国海軍に所属していた。戦争したいから軍にいたのではない。戦争はあってはならないと信じて疑わなかったからこそ入隊したのである。

話を戻して日中の話をするなら、そもそも双方としては政治的に仲良くする予定がないのではないか。和解金と人民の統制はトレードオフなので、和解するメリットがないというか。

センシティブな話題におけるコミュニケーション

結局私がモヤったのは聞き方なのだろう。真面目な話の時に、人の意見聞こうとするふりして自分の意見に基づいて「~じゃないですか/ですよね?」と言われるのが嫌だ。事実関係や知識とかと切り離して心情を聞くだけなら帰りの満員電車で話を振ってもいいと思うが、もっと高度な話を真剣にしたいなら相手のことも考えたほうがいいと思う。しかも所詮ほんの数駅で降りるんだから程々にしてほしい。真剣に思うところがある人ほど話が終わらないのだし。それに、トランプ元大統領をracistでsexistだと主張する人に「証拠はありますか?見せてください」と詰め寄るアメリカの街頭インタビュー動画を見たから思うのだが、活動家じゃないのだから常に証拠を持ち歩いてるわけないじゃないか。

何の前触れもなくセンシティブな話をするのは、なぜセンシティブなのかわかっていない感じがして、場面を選ばないと失礼だと思うのだ。インタビューの類で言うと「あなたはこの国に来てどんな差別を受けましたか?」とかだってそう。あるいは国を跨がない場合はいじめ体験とかを聞くとか。
好き好んで人が苦しんだ話をする人は少ないだろう。むしろ嫌悪感を示す人が多いと思うのだが、どうなのだろうか。暴露療法を模した「あなたの人生で最も辛かった体験を話してください」といったセミナーもあるらしいが、いかがなものだろう。(※暴露療法は専門家の指導の元でのみ行ってください)
要するに本人の意思に反して不快感を伴うな話に持っていくのはやや嫌がらせに近いのではないかと思うのだ。

"センシティブ"である理由

そもそもなぜセンシティブな話題は"センシティブ"なのか。それは解決していない課題に関する話題であり、議論の余地がある(とされる)からではないか。例えば過去の戦争に関連する話題であっても、この世の中に戦争がある限り"解決した課題"とは言い難いと私は思っている。
そして何より話がこじれた時、場合によってはお互いの人間関係に影響が出る可能性だってある。宗教以外を含む信仰に関わる場合、人権侵害に至る恐れもある。しかも、ルールや裁き方などにおいて、信仰>法であることは珍しくない。もっと言うと極端な思想を持っている人が話の中にいた時、極端な行動に出る恐れだってある。国家によって立場が異なり、これが国家、結果として国民の利益に関わるケースも国際化された社会においては十分センシティブであると考えていいだろう。

"〇〇事件/問題"は××が引き起こした=××はなくさなければならない/二度と存在してはならないという言説がある。
教育現場などでは加害者と被害者がいるというnarrativeで事象が語られる。この時被害者は必ず実在している一方で、加害者は別の事象の被害者であったりすることがある。これは特定のグループに対する嫌悪を覚えさせることで被害の予防効果を狙っているものである。嫌悪感という強い感情と結びつくため、話題に挙がると感情的にならざるを得ない(=話題にされただけで傷ついている、二次加害的なことを受けている)。
ちなみに私は日本の教育現場はあまり感情的な教育をしていないと理解している。原爆が最大の話題の一つだとは思うが、「アメリカによる悪事」というnarrativeではなかったように聞いている。

あとは、なんとなく"生理的に無理"なケースがあるだろう。説明しがたい拒否感が生じることもないとは言えない。

提案

私はセンシティブな話題について話したい時、「〇〇について興味があるんだけど、今度一緒にそういう話/議論をしたい。」と徐々に歩み寄る方がいいと考えている。まず、そもそもその手の話題に乗る意思が相手にあるかどうかを確認するのだ。そして必要に応じて相手にも考えたり、知識をつけたりする時間を与えるのだ。それに「自分はこういう立場である」と前もってフラットに伝えておいた方がショックが少ないのではないだろうか。後から「そういう人だったの?!」とならなくて済むかもしれない。戦中の話なら「ちなみに自分のご先祖は当時〇〇してた人」っていう情報も与えていいと思うのだが、どうだろうか。

要するに、センシティブな内容であってもオープンに話ができることはとても重要でいいこと。だけど"センシティブ"である意味を理解して話をした方がお互いのためではないのだろうか。

本来であればいろんな方面のプロにでてきて議論してほしい話題ではある。

変な例えかもしれないが、信頼感があるかどうかもおそらく関係があって、「お宅の池のお魚見せてください!」に対して全く知らない通りすがりの人か、さかなくんかで反応やその要求に付随する感情は違うはずだ。

自分が"proper"に話せるかを判断できるかどうかもポイントかもしれない。

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